NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.182


 オールド・ロック・ファンにとって、ヤング・ロック・ファンからのもっともキビシ〜質問のひとつはコレじゃろうな。

「最近のロック聞いてますか?」

 さっきまで、エルヴィスじゃ!コクランじゃ!! もしくはビートルズじゃ!ストーンズじゃ!!ってエラソーにブッテおったのに、突如胸の奥は“冷汗たら〜り”状態。 なんとかこの苦境を切り抜けようと乏しい知識をかき集めて返答しようとするが、焦れば焦るほど、ヤングロッカーの名前なんざ思い浮かばない。 だから

「やかましー! ガキんちょロックなんざ聞いてられるか!」
って頑固オヤジに豹変するか、もしくは、

「いや〜、もう最近耳が悪くなってもうてなあ〜」
ってご老体ぶって笑いを誘うしかない。 ワケーもんの前であんまり恥をかきたくないんで出来るだけ話題を50s、60sあたりで留めておく努力を怠らないわしじゃ!(エラソーに言うな!)

 しかしそんな誤魔化しの日々!?ともオサラバじゃ。 わしは最近のティーン(10代)の音楽を聴いとるぞ! もうすっかり「恋するフォーチュン・クッキ〜♪」に夢中でなあ〜。 あの振付もたまらんのじゃあ〜つったお約束のギャグは置いといて、イギリスからデビューした天才少年ロッカー、ストライプスと、ボブ・ディランの再来と評判の天才少年シンガー、ジェイク・バグ。 このダブル・アーティストに結構ハマっておるのじゃよ。 ストライプスは平均年齢16歳! ジェイク・バグは17歳。 どちらもヨーロッパで大ブレイク中! ストライプスは日本公演を大好評のうちに終えたばかり。 ジェイクのデビューアルバムはイギリスでNo.1ヒット! まさに天才少年の名をほしいままにする快進撃をしとる。

 しかし16、17歳って、一体わしの年齢マイナス何歳になるんじゃ?ってそんな事よりも、まだ高校生クンではないか! まったくもってスゲーガキが出てきたもんじゃ。 芸能界が謳う天才少年、天才少女ってのは、そのほとんどが眉唾モンか、ただのアイドルちゃんじゃが、彼らはモノホンじゃ。 わしが言うんじゃから間違いない! どうせなら、The-Kingのニュー・ナッソーを羽織ったイキのイイ、ヤングなネオ・ロカ・バンドを期待したいところじゃ。 今回の新境地に達したナッソーは才能あるティーン・ロッカーにもバッチリ似合うからな! まあ最大のお楽しみはまだまだこれからと信じよう!

 何はともあれ、ストライプスとジェイク・バグの出現に触発されっぱなしなんで、今回はロックの歴史を遡りながら、かつて天才少年シンガー、天才少年ギタリストとか言われたグレイトなボーイたちを引き合いに出しながら、「ロック天才児列伝」を語ってみたくなった!


歓迎! 恐ろしきガキども!!

シーンを驚愕させた、ロックンロール天才少年列伝


ブルース・ロックの原点はココだ!
                     

■ ストライプス ■ 
  
 まずは現在ブレイク中のストライプスから。 ジェイク・バグはまだシンガーソングライター然としており、ロッカーとしての資質を計りかねておるので、後日あらためて。
 ストライプスはアイルランド出身の4人組。 ホワイトブルース路線の上にどっしりと腰を下ろした、ひっさびさに登場した王道的ブリティッシュ・ロック・バンドじゃ。 アニマルズ、ザ・フー、ゼム、ストーンズあたりの60年代のホワイトブルースバンドをコピーしまくって成長してきた坊やたちであることは一聴してすぐに理解できる。
 最初は「ほほぉ〜なかなかやるではないか!」って余裕をかましていたわしも(何の余裕じゃ!?)、平均年齢(16歳)を知ってビックリ。 これは16歳のサウンドじゃない! というか、16歳でしか出せないサウンドというか!? 彼ら自身の言葉を借りれば、「ロックをやりたい!」という渇望感に満ち溢れておるのじゃ! それにわしの言葉を付け加えるならば、「周囲にはくだらないサウンドしかない!」という絶望感が彼らのサウンドのスピリットじゃ。
 
 まだまだ青いわな。 でもその青さは、近い将来デカい実に成長してロックシーンを席巻する可能性がある、というよりも、必ずやそうなって欲しい!と切望したくなるようなバンドじゃよ。 専門サイトに動画があるから、まずは2〜3曲聞いてみてほしい。 60年代にデビューしたイギリス系ブルースバンドから感じた熱きマグマのごときエネルギーの鼓動がストライプスからも聞こえるはずじゃ。
 現在○○歳のわしじゃが、もうわしなんかが決して“立ち返ることのできない領域”からロックをやっとる、そんな姿勢が眩し過ぎるぞ! 頑張れストライプス、七鉄がついとるぞ!!


元祖天才ロック少年! クラプトンも憧れたブルース・フィーリング

■ スティーブ・ウインウッド ■

 ロック史の中で最初に“天才少年”の形容詞を付けられて紹介されたのはこのお方じゃろう。 3年前にエリック・クラプトンとのジョイントコンサートを行って、その健在ぶりを日本のファンにも披露したホワイト・ソウル・シンガーじゃ。
 1965年に16歳でスペンサー・デイビス・グルーブのシンガーとしてデビューし、黒人シンガー顔負けのヴォーカルを聞かせてブリティッシュ・ロック・シーンを騒然!とさせたものじゃ。 ブルース嗜好の強い白人ロッカーが一生懸命ブルースをコピーしとる時代の中で、図抜けた才能をわずか16歳で披露したスティーブは、まさにミュージシャンズ・ミュージシャン。 一夜にして白人ロッカーの憧れとなったのじゃ。
 その後トラフィックというブルース&フォーク系バンドを経て、69年にはクリームを脱退したクラプトン、ジンジャー・ベイカーとスーパーバンド「ブラインド・フェイス」を結成。 天下のクラプトンを向こうに回して、その圧倒的な歌唱力で一気に世界的なホワイト・ブルース・シンガーに登り詰めたものじゃった。
 (右写真、左端がスティーブ)


天才少年のまま生涯を閉じた!?超ガンコ・白人ブルースマン

■ ポール・バターフィールド ■

 
スティーブ・ウインウッドに対して、アメリカン・ロック界で最初に“天才少年”の呼び声が高かったのが、このお方。 こちらはシンガー兼ハーモニカ・プレイヤー。 じゃが評判ばかりで、なかなかメジャーシーンに登場してこなくてな。 「黒人と一緒にブルースをやってるスゴイ白人少年がいる」って噂ばかり。 1965年、23歳の時にようやく自らの名を冠したバンドを率いて大々的に注目を浴びたもんじゃ。
 まあそのポール・バターフィールド・ブルースバンドってのが、もう一人の天才(ギタリスト)マイク・ブルームフィールドがいたこともあって「ホントに白人のプレイなのか!」って、アメリカのロックファンは度胆を抜かれたもんじゃ。 突然変異でこんなことが出来るはずもなく、10代の頃からの鍛練の賜物だってことは充分に分かったが、やはり天才少年の頃のプレイを聞いてみたかった!ってのがファンの共通した夢じゃったな。 

 このお方のキャリアの最大の特色は、メジャーシーンで人気者になるような道を一切選ばなかったことじゃ。 常にブルース。 明けても暮れてもブルースの一辺倒。 それだけに伝説も多い。 もっとも有名なのは、10数分間のブルース・ジャムにおいて、まったく息継ぎをせずにブルース・ハープを鳴らし続けることができたというオハナシ! ザ・バンドの「ラストコンサート」での客演において、マディー・ウォータースのバックでその脅威のプレイを披露しておる! まあ本当に息継ぎが無かったのかは、わしはどうも分からんが・・・。
 そんなバケモノみたいなプレイが現実的に可能なのかどうか。 人間離れした肺や内臓、喉の機能を持っていたことは確かな様で、それをいいことに浴びる様にアルコールを摂取していたようじゃ。 結局それが遠因となって病死。 う〜ん、昔のブルースマンみたいじゃ、っつうより、天才ブルース少年のまま亡くなったと言うべきじゃろうか。


ともに後楽園ライブがピークになった、忘れじのヤング・ブルース・バンド

■ フリー & グランド・ファンク・レイルロード(GFR) ■

 
ストライプスに先立つこと44年前、1969年にイギリスとアメリカからそれぞれ平均年齢が20歳にも満たない天才少年たちによるバンドがデビューした。
 イギリスからはフリー。 先のスティーブ・ウインウッドとは別種のブラックフィーリングを湛えた天才シンガー、ポール・ロジャースを初め、17〜19歳にして既に10年選手のような貫禄と重厚感あふれるホワイトブルース・サウンドを展開した。 「この若さでこの音を出せるって、将来なんかあるのか!?」って変な心配をさせてしまうほどの早熟ぶりは圧巻じゃったなあ〜。 ポールとドラマーのサイモン・カークは、1974年に新たにバッドカンパニーを結成してアメリカン・チャートを暴れまくる世界的バンドマンに成長したもんじゃ。

 一方アメリカからグランド・ファンク・レイルロード。 当時の水準でも演奏力自体は並以下だったと思うが、それを補って余りあるブルース・フィーリングとハードロック根性は凄まじく、デビューとともにあっという間にアメリカNo.1の人気ロックバンドになってしまった! 日本でもレッド・ツェッペリンを凌ぐ人気を博したもんじゃ。

 なおフリーとGFRは、当時は珍しかった日本の野球場(後楽園球場)で来日公演を行っておる。 特に豪雨の中で強行された1971年のGFRのライブは、日本の洋楽ライブ史上の伝説になるほどの凄まじい有様じゃった。(←左写真)
 この後楽園ライブを機にして、両バンドの勢いが緩やかに下降していったのも奇遇じゃった。 フリーは解散して、先述のバッド・カンパニーへと変身。 GFRは「アメリカン・バンド」という起死回生の大ヒット曲を放ったものの、デビュー当時のテンションを取り戻せないまま姿を消すことになる。



御大サンタナをかすませた、圧倒的な演奏力

 マイケル・シュリーブ&ニール・ショーン ■

 
映画「ウッドストック」を観た方なら強烈な印象が残っておるはずじゃが、あのフェスティバルはサンタナの事実上のデビュー・コンサートでありながら、完全にサンタナを食ってしまったバックメンバーがいた! それがドラマーのマイケル・シュリーブ! 曲の半分がドラムソロ!みたいな凄まじく手数が多い強烈なドラミングを披露していた少年じゃ。 当時まだ19歳ながら、多勢のリズムセクションもまったく出る幕がないような独壇場! 以降サンタナのライブは、「マイケルのプレイを観たい!」って観客も集まってくるようになり、初期のサンタナ人気を支え続けることになったもんじゃ。
 何度か映画を観て(マイケルのプレイを観て)気が付いたが、目が完全にトンデイル! オクスリの効果を借りておったことは明白なようじゃが、それでもロック史に残る名ドラム・プレイじゃった。

 ウッドストック・フェスから3年後、もう一人の天才少年がサンタナ・バンドに招へいされた。 17歳のギタリスト、ニール・ショーンじゃ。 既に80年代でも通用するようなフルボリュームの超絶な早弾きをかましまくり、ライブでは完全にサンタナの座を奪う拍手喝さいを受けるようになり、さしものサンタナも面白くなかったらしく、1年後にニールはクビにされてしまった!
 しかしニールの才能は確かなものであり、やがてジャーニーを結成して70年代後半からはアメリカン・ロック・バンドの頂点にまで押し上げてしまったのは周知の事実じゃ!
 
 なお、マイケルとニールは、1984年にアルバム1枚だけのプロジェクト「HSAS」にて共演を果たしておる。 日本盤のタイトルは「炎の饗宴」! サンタナ在籍時代の二人の破天荒なプレイのコラボを期待したかのようなタイトルじゃったが、残念ながらマイケルの方は普通のテクニシャン・ドラマーになっておった、というか、ハードロックというフォーマットが合わんかったのか?! 


大物バンドから引っ張りだこだった、美少年マルチプレイヤー

 エディ・ジョブソン ■

 1970年代のプログレ全盛時代において、大物バンドが常に獲得を狙っていた天才少年がおった。 バイオリンとキーボードを変幻自在に操りまくる美少年、エディ・ジョブソンじゃった。
 まず17歳の時にカーブド・エア、18歳の時ロキシー・ミュージック、19歳の時にフランク・ザッパ・アンド・マザースに在籍。 全て超高度な演奏テクニックが要されるバンドであり、エディはそれらを楽々とこなし続け、まさに天才少年の名をほしいままにしておった。 ルックスもお嬢ちゃん胸キュン!の美少年であり、客層拡大のためにもその他の多くのバンドがエディが欲しがっておったのじゃ
 (←動画で容姿とプレイをご確認あれ。 3分15秒あたりから登場)

 21歳の時にU.K.というプログレの大物が結集したスーパーバンドに参加した時がエディの人気の頂点であり、U.K.解散後の80年代以降はセッションミュージシャンやプロデューサーとしての道を選び、そのちょっと早過ぎる表舞台からの脱却はちょっと残念ではあったな。

 
 実を言うとな、今回の原稿は資料をほとんど確認せず、己の記憶だけで一気に書かせて頂いた。 各人の詳細において記憶違い、記述ミスがあったらご愛敬じゃ。
 要するにわしは「天才ロック少年」が大好きだったんじゃよ! ちょっと寂しいハナシじゃが、わしは少年時代から、自分は決して天才でも秀才でもないことが分かっておった。 まあ天才少年が、自分を天才だと分かっているものなのかどうかは知らんが、年端もいかぬ内から自分のアタマに限界を感じていたことがいわば最初の「コンプレックス」だったのかもしれん。 だからこそ、天才少年の才能への憧れは人よりも強くなって、事ロック・ミュージシャンに対しては必死になって聴き、そして調べておったのじゃ。
 そう言えば、ガッコのセンセーだったか、お袋さんだったか忘れたが、「天才じゃないなら、一生懸命勉強しなさい」って言われたことがある。 そのお言葉は「ロック知識」に関してだけは守ったつもりじゃ。(笑)
 でも最近はどうかな〜。 過去の記憶、記録、事象ばっかり追いかけながら歳を重ねておる気がする。 その点、The-Kingのボスはスゴイよ。 常に膨大な情報、資料と格闘しながら新作を発表し続けておるんじゃからな。 そんなボスのヘルプにささやかながら携わる事が出来ることを感謝しながら、新作のNEWナッソーをゲットしよう。 わしよりも遙かに感性が現代的で未来的な諸君においては、わしよりももっとお買い物せにゃいかんぞ!    


七鉄の酔眼雑記 〜我が思い出の天才少年
 
 天才ではなかったわしじゃが、少年時代に今にして思えば「あいつは天才だったな」って思える学友が二人おった。 「類は友を呼ぶ」と言うし、わしと天才に縁があるはずもないんじゃが、あの二人は凄かった!ってつくづく思えるので、ちょっと書いておこうか。

 まず小学校高学年の時のN君。 彼はいわゆる“ガリ勉”“もやしっ子”タイプであり、わしとは正反対。 名字の頭が同じなんで出席番号がいつもわしのすぐ後じゃったのが縁かな。 それにお袋同士が少々仲が良かったってのもあった。 よく彼の家(部屋)に遊びに行ったんじゃが、モノスンゲエ〜書籍の量じゃった! 彼はスポーツ以外は出来ない科目はないような成績優秀じゃったが、そのワケはこの膨大な書籍のお蔭なんじゃろうな〜と思った。
 当時のわしにとって、国語も出来て算数も出来る、理科も出来て社会も出来る、なんてヤツは脳ミソが3つ、4つあるんじゃねえのかって驚きを感じておったが、彼はその代表みたいな存在じゃったよ。 しかもピアノやバイオリンも出来るし、絵も上手じゃったなあ。 そんなN君と夏休みには一緒に自主研究をやるほど仲が良かったのが誠に不思議じゃが、今にして思うとわしはあの頃から既に天才に憧れておったのかもしれん。

 もう一人は、このコーナーで何度かチラリと書いた気がするが、中学3年の時に席が隣になったK君。 彼は勉強も出来たが、それ以上にロックの知識が凄まじかった! ロカビリーの時代からハードロック、プログレまで、とても14〜15歳の少年の知識量じゃなかったな。
 一度彼から手書きのロック評論文と雑誌の切り抜き写真を張り付けたお手製のロック本を頂いたことがあった。 当時音楽雑誌や日本盤のロック・レコードの解説書はチャライのが多かっただけに、K君の方がはるかに優秀なロック評論家だと驚いたもんじゃった。 彼は更にギターやピアノも弾きこなし、既に作曲なんかにも取り組んでおった。 レコーディングの知識もあって、彼に教わった音楽の様々な知識は、現在でもわしのロック知識の基本として息づいておる。 わしにとっては生涯最初、そして最大のロックの先生じゃよ。

 残念ながら、N君ともK君とも、進学先が変わってからはほとんど付き合いがなくなってしまったが、やはりそれはあちらさんが天才で、こっちがそうじゃなかったからって事なんじゃろう。 お二人とも、どうか“才に溺れる”ことなく、今も元気にされておることを願うばかりじゃ。 


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ペラ