NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.180


  「ダンディと呼ばれし男たち」−このシリーズをスタートして早や三ヶ月。 ダンディ史上に語り継がれる人物を5人を取り上げてきたが、折りを見て視点をロック史の方に移してみようとアレコレ調査しておった。 半世紀を超えるロック史の中で、モノホンのダンディが一人や二人いても不思議はないが、結論から言うと、現在のところは「こいつこそが、ミスター・ロックンロール・ダンディだ!」ってのが見つかっておらんわい。
 候補者は何人かおり、その彼を称賛する書籍とかブログとかでは「ロック界のダンディ」とされとるが、それはあくまでも熱狂的なファンの視点からなんで、冷静に検討すると「?」じゃよ。 みんなダンディたる決定的な“サムシング(何か)”が欠落しとるように思う。 ロックというスピリットと「ダンディ」という美意識は相容れないものなのか?
 
 The-Kingよりこの秋第一弾のサイコーのナッソーが連射され、わしの美意識、ダンディ哲学!?に熱い血潮を送り込んでくれたんで、今回は「ロックン・ロール・ダンディ」の候補者を紹介しながら、彼らが本物のダンディになることが出来るのか、もしくはそのつもりがあるのか!? 諸君と一緒に考えていきたい。

 上の写真は、メジャー・ロック史上唯一アルバムタイトルに“Dandy”というフレーズが使用された、マーク・ボラン&Tレックスの「地下世界のダンディ」。 果たしてロック界にダンディはおるのじゃろうか!? 

 
 ダンディと呼ばれし男:第6回〜番外編
 “ロックンロール・ダンディ”に近づいたロッカーたち

                      

■ 七鉄流「ロックンロール・ダンディ」七ヶ条 ■ 
  
 最初に、わしが定義しとる「ロックンロール・ダンディ」たる七ヶ条をご紹介しておこう。

 まずはロッカーにとって切り離せない要素、酒、クスリ、女じゃ。
@ 大酒飲みでもヤク中でもOK。 要はその悪習を克服できた強靭な精神力の持ち主。
A 例え女グセが悪くてもOK。 ただし、お人形ちゃん的、パー子的女性には興味のないこと


 次に音楽性やキャリアについて。
B 黒人ブルースに造詣が深いこと。 ロッカーの基本中の基本じゃ。
C 文学的、哲学的に考察を重ねた作品を発表しとること/内省的な作品が幾つか存在すること
D アルバムカヴァーやライブ・サポーターに、女性をあまり起用しないこと。


 ファッションにおいては、ヘアスタイルはわしはこだわらん。 ただし中年以降も痩身を保っておることを大前提として、
E どんなファッションも着こなしてみせる、マルチセンスの持ち主。

最後に
F ファンを拒絶する孤高性をまとっておること。

 以上じゃ。 諸君の知っとるロッカーと上記の7ヶ条を参照してみてくれ。 全部クリアしとるロッカーはおるか? 「7つって多過ぎじゃねえか?」と言われそうじゃし、偉大なるエルヴィスですら到達しとらんじゃろう。 でも、それぐらい多くのハードルの先にこそロックンロール・ダンディがあるのじゃ!


■ ブライアン・フェリー ■

 まずロック史上最初に「ダンディ」と呼ばれたであろう、この男。 フォーマル系スーツ類の着こなしは抜群で、ロッカーのファッションに正当的でお洒落なスーツスタイルを導入した先駆者じゃ。 ファッション誌にもよく取り上げてられておったな。 また音楽性も多彩であり、古き良きポップスを独自のセンスで聞かせてみせる手腕はロック史上有数じゃ。
 じゃが「ロックンロール・ダンディ」と呼ばれるには決定的なウイークポイントがあった。 
上記Dが欠落しとる。
 彼のバンド、ロキシー・ミュージックのアルバムカバーやライブには極上の女性モデル、ダンサー、シンガーが乱舞しとる。 それが彼なりのエンターテイメントだってことは分かるが、多過ぎた美女たちの起用は、ご本人のカリスマ性、孤高性の構築を著しく損なっていたように思う。 まあダイヤモンドの原石の様な美女を探し出して来てスポットライトを当てるセンスは抜群じゃったから、羨ましいがのっ!



■ デヴィッド・ボウイ ■

 現在のところ、「ロックンロール・ダンディ」にもっとも近いと思われるボウイ。 7ヶ条をすべてクリアしておるようじゃが、
欠落しとるのはBではなかろうか。
 どんな音楽でも貪欲に取り入れて、華麗な変身と再生を絶えまなく繰り返してきたボウイじゃが、それはブルースをどうしても消化できない決定的なもどかしさ故の所業にも思えるな。 
 どうしてわしが「ロックンロール・ダンディ」の要素に、黒人ブルースへの信仰を挙げたのか。 それは“虚無感の果てにたどり着いた強靭な忍耐力”というスピリットがブルースの骨格であり、それはロックンロールへと受け継がれるべきであり、ダンディ・スピリットにも不可欠だと思うからじゃ。 それは“どんくさい”スタイルと紙一重であり、取扱いにはズバ抜けたセンス、ロッカーとしての根本的な資質が問われるからじゃ。 でもボウイには必要なかったのかもしれんな。 彼は何をやってもあまりにも洗練され過ぎておるからな。 ボウイは黒人ブルースよりもエルヴィスに憧れ過ぎだったからじゃろう。


■ マーティン・ターナー ■
 70年代から現在も活動を続ける、イギリスの文化勲章的バンド・ウィッシュボーン・アッシュのシンガー兼ベーシスト。 枯れた味わいの美旋律と黒人音楽の豪放な展開をミックスした独自のサウンド・センスは今も健在であり、マーティンの古き良き色男の様なルックスも、ファッションセンスもダンディとして申し分なし。
 ただし21世紀以降は、いかにも
医療の力を駆使して生き延びておる感が否めない。 病と闘いながら(?)活動を続ける意欲は称賛されて然るべきじゃが、肉体的衰えにどうにも同情を感じてしまう。 ダンディとは孤高であり、人から同情されてはいかんのじゃ。 申し訳ないが「ロックンロール・ダンディ」となる器ではなかったってことか。


■ ドン・ヘンリー ■

 「ホテル・カリフォルニア」をはじめ、イーグルスの数多くの名曲を歌ったシンガー兼ドラマー。 デビュー当時はいかにもテキサスの片田舎から出てきたような野暮な風貌じゃったが、イーグルスの快進撃とともにどんどん垢ぬけていったもんじゃ。 
 イーグルス解散後も充実したソロ活動を続行し、ハリウッド界的セレブなセンスと、武骨なテキサス野郎の雰囲気が同居した風貌は、「ロックンロール・ダンディ路線」を一直線!と思えたもんじゃ。 
 ところが近年はイーグルスのリヴァイバルにご執心の様子で、
すっかり太ってしまった。 どうみてもステーキとプライドポテトの食べ過ぎってな太り具合じゃバカたれ! 「ダンディ」どころか、悠々自適の農園主みたいじゃ。 また最近発表されたイーグルスの歴史映像集の中では、他のメンバーがうんざりするほど、かなり金と名誉にガメツイ本性が垣間見えて、がっかりじゃった。
 充実したソロ活動よりも、手っ取り早くかつての栄光にこだわるスタイルがドン・ヘンリーからダンディズム奪ってしまったんじゃろうかのお。


■ キース・リチャーズ  ■
 愚直なまでに「イッツ・オンリー・ロックンロール」を貫くキース。 一般的イメージとは違う独自のダンディ路線を走り続けておる!とわしは見ておる。 しかし「何? ロックンロールダンディだと? 笑わせるなよ」って、こんなテーマなんぞ相手にもしてくれないだろう。 そこがヤツのカッコよさだし、ヤツは生粋のロックンロール・ジャンキーじゃからな。
 それでもしつこく追及していくと、キースの
欠落部分はさしずめEじゃろう。 ファッションに関しては、その時その時の感性にピン!ときた物で素肌を覆っているに過ぎないって見えるからじゃ。 まあそのセンスがイカスんで文句はいえんがな。 彼を見ておると、ロックと古典的ダンディズムってのは、やっぱり相容れないのかな、とも思う。 でも信念を貫いて生き長らえてきた人生のプロセスは、ロック史上でもっともダンディだと言えるかもしれない。


■ エリック・クラプトン ■

 20世紀まではボウイとともに「ロックンロールダンディ」にもっとも近かったと思われるクラプトンじゃが、新世紀からは心の故郷である黒人ブルースの世界に戻って行ってしまい、「ダンディ」よりも「仙人」か「虚無僧」の道をセレクトしたようにお見受けする。 それでもファンにずっと追いかけられているんだから幸せなロッカーじゃ。 でもそれが
結果としてFの欠落になってしまうんじゃなあ〜。 難しいな「ロックンロール・ダンディ」とは!ってわしが一人で難しくしておるがな。 謂れの無いイチャモンをつけとるようで、クラプトン・ファンには大変申し訳ないが、それだけ高い理想をクラプトンに求めておるってことじゃ。 


■ マーク・ボラン ■

 最後にスペシャルゲストとして、ロック史上唯一「ダンディ」をアルバム・タイトルに掲げたマーク・ボランじゃ。 70年代初頭にデヴィッド・ボウイと人気を二分しておったグラム・ロック界のスーパースターじゃ。 サウンドもファッションも、ロックと言う名のオモチャ箱をひっくり返した様な豪華絢爛たるバカ騒ぎをやってみせたボランじゃが、ファンの熱狂とは裏腹に、この男は心底醒めきっておったスターじゃった。
 「レコード会社が強要する戦略」「ファンが求める幻想」を仕事として200%こなしながら、「俺は所詮キチガイ・ピエロさ」ってな虚無感を隠し切れないところがマーク・ボランの魅力を駆り立てておった。 「グラムロック? 金の無い生活にうんざりしていたからやってるだけだよ」って有名なコメントは真実じゃろう。 

 結局マーク・ボランは「ロック界」という虚構の世界に飲み込まれて、エルヴィスの死の一週間後に30歳になる直前で死んでしまうが、遺作が「地下世界のダンディ」じゃ。 アンダーグラウンド時代のセミ・プログレの様なサウンドへの回帰嗜好もチラホラ聞かれ、スターではなくてアーティストとしてのリスタート願望がファンなら聞こえたはずじゃ。 そのスタイルが「アンダーワールド(地下世界)」であり「ダンディ・ワールド」でもあったのじゃ。 云十年ぶりにこの作品を聞いたもんが、もしマーク・ボランが延命出来ていたら、「ロックンロール」と「ダンディ」との作品上の共存が聞けたかもしれん、と少々残念ではあった。 幻のロックンロール・ダンディじゃな。 



七鉄の酔眼雑記
 〜意外なダンディ
 
 「ロック界に真のダンディはおらんのかな〜」ってチト調査に疲れていたある日、おもしろい事実に気が付いた。 上記のロッカーを初めとして、「ロックンロールダンディ候補者」のプロフィールを何気に参照しておったら、「好きな女優」ってのが結構共通しておったのじゃ。 それは、ドイツの生んだ往年の大女優マルレーネ・ディートリッヒじゃ。
 1920年代のドイツ映画全盛期に花開き、1930年代からはハリウッド映画に出演した女優さんじゃ。 白黒映画時代じゃが、「モロッコ」「嘆きの天使」「間諜X27」等の名画のヒロインであり、ディートリッヒの深い憂いに包まれた謎めいた美しさは、映画がまだ銀幕の世界と呼ばれた時代の最大の華じゃった。
 また映画の中でディートリッヒが歌った「リリーマルレーン」「リンゴはいかが」は、映画の世界を越えてファンに愛され、歌唱力はさほど大したことはないものの、1950年代以降はシンガーとしての活躍の場をディートリッヒに与えたほどじゃった。

 わしもディートリッヒの魅力にとりつかれて洋画の世界にのめり込んだもんで、「みんなディートリッヒがお気に入り」の事実から、ネットサーフィンの作業がいつの間にか「ロックンロール・ダンディ」から「マルレーネ・ディートリッヒ」に変わっておった!
 そこでまた新たな発見があった。 ディートリッヒに関する記述の中で「ダンディ」という表現に何度も出くわしたのじゃ。 上の写真を見れば、それは一目瞭然じゃな! 女でもない。 男でもない。 かといって中性的でもない。 理想的な両性具有者というか、圧倒的なダンディな佇まいにあらためてわしはノックアウトされた! 「ロックンロール・ダンディ候補者」が憧れておったのもむべなるかなじゃ!
 マルレーネ・ディートリッヒ様には、「ダンディと呼ばれし男たち」シリーズでいつか特別出演頂くことにした! この規格外の大女優の魅力にも迫ってみたい!!


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