NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.175

 おあつうこざいますなあ〜、毎日。 年齢とともに暑さ対策が面倒になって、いっそ暑さでイカレタまんまのアタマで夏を過ごしてしまうか!ってな気分にもなるが、そんなある日、ふと昔ボスが原宿ラブテンにいらした頃、来店者の中にかなりの“ノウテンキ・パー太郎くん”がおったことを思い出してしまった。 そのお方はお店に入ってくるなり、
「プレスリィってえ〜石原裕次郎に似てるなあ〜♪」
とか突拍子もない独り言が始まり、「だ、誰なんだこの方は?」と唖然としておると、今度は「プレスリーの専門店に、どーしてコクランのレコードがあるんだあ?」と考えようによってはスルドイつっこみを入れてくる方じゃったらしい。
 こういうお客様に対してもボスは親切に応対したんじゃろうが、大変だったろうなあ〜。 いやいや〜この猛暑の最中でも、新作ツーボタンジャケットをビシッと発表してくる方がもっと大変だあ〜とかなんとか支離滅裂なアタマになっておったら、突然、
「その昔、プレスリィってえ、メジャーリーガーにもいたなあ〜♪」
ってことを思い出した(笑)

 この度は連載中の「ダンディと呼ばれし男たち」をお休みして、猛暑の中でも読んで頂くに耐えられる!?かる〜い話題を提供しようと思う。 わしもチョット夏バテモードなんでな。
 過日、アメリカ在住の日本人の高校生球児がメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースにドラフト指名された事が大きなニュースになったが、実は今から丁度20年前の1993年のドラフトでは、エルヴィスの親戚に当るカーク・プレスリー君(当時17歳)がニューヨーク・メッツに指名されたのじゃ!
 更にその約10年前には、イチロー君も在籍していたシアトル・マリナーズにジム・プレスリーという強打好守の内野手がおった。 今回はメジャーリーグ界におけるこの2人のプレスリーをご紹介したい。 まあ今後の諸君の音楽談義の“肴の肴”程度に覚えておいてくれ〜♪


プレスリィってえ、メジャーリーガーにもいたなあ〜♪”
アメリカ・メジャー・リーグにその名を刻した(?)
2人のプレスリー、カーク&ジム・プレスリーのご紹介


ベースボール、アメフトで大活躍したスポーツ万能の高校生
                      

 まずカーク・プレスリー君じゃ。 このお方の祖父とエルヴィスの祖父が兄弟というエルヴィス一族の中でもかなりエルヴィスと近い親戚じゃ。 生まれも育ちも、エルヴィスの生家博物館のあるミシシッピー州テュペロ。 カーク君は周囲の期待とは裏腹に(!?)音楽よりもスポーツ万能で周囲を驚かせるような少年であり、高校生になると地元テュペロの高校でベースボールのエース投手、更にアメリカン・フットボールのクォーターバックとして鳴らした! 2つのスポーツで地元ミシシッピ大で奨学金を受けて進学することが決まっていたほどじゃ。 スポーツを愛する若者にとっては、まさに憧れのマルチ・アスリートだったのじゃ!
 
 とにかくカーク君の高校時代の投手成績がスゴイ! 37勝1敗じゃ。 そのうち22勝が無失点完投勝利。 さらに1度の完全試合を含め5度のノーヒッターを達成していたんじゃ。 アメリカには日本の高校野球の甲子園大会みたいなビッグイベントはないので、カーク君が投げていたミシシッピ周辺の高校野球リーグがどの程度のレベルなのかは不明じゃが、高校時代の投球フォームを見るとキマっておるので、かなりのレベルに達していたと思われるな! メッツの先輩投手であり、300勝投手になった剛腕トム・シーバーにそっくりのフォームじゃ!
 カーク君の当時のガールフレンドの回想によると、無敵のカーク君の調子を何とか崩そうと、敵のチームはカーク君の投球中に「冷たくしないで」の替え歌を歌って囃し立てていたらしい! う〜ん、下手なヤジ飛ばすよりも楽しそうじゃな〜♪ わしなんか、ロックを歌われたら、益々調子が上がってまうぞ!



君の才能を“96万ドル”にしてみせる!?
 ミシシッピー周辺の高校野球界ではまさに無敵のカーク君は、やがてニューヨーク・メッツからドラフト1位指名、しかもドラフト全体で6番目の指名を受けるというとてつもない栄誉を受けた。 メジャーリーグは球団数が多く、当時は26球団だから全部で170〜180人がドラフトで指名されるが、その中で6番目ってんだから、日本ハムの二刀流・大谷君よりもスゴイ評価じゃな!
 最終的にメッツが提示した契約金が96万ドル。 当時のレート(1ドル108円ぐらい)で換算するとな、なんと1億円強! これ、アメリカ球界では異例の数字なんじゃ。 日本とは違って、海の者とも山の者とも知れぬ学生さんに当時のアメリカ球界は滅多なことで大金をはたかなかったんじゃ。 どんな大物でも「成功報酬」的な契約が通例だった時代だから、カーク君の契約金は異例中の異例ってことじゃな!

 「君の才能を100万ドルにしてみせる!」ってのは、エルヴィスのメジャーシーン・デビューに当り、パーカー大佐の口説き文句だったが、カーク君はそれに僅か4万ドル足りない96万ドルっつう超ゴールデン・ルーキーだったのじゃ。
 しかしわしがメッツのオーナーだったら、葉巻くわえて金歯むきだしにしながら100万ドルにしてやったのにの〜ぶはははは! 「プレスリー黄金時代再び! ナナテツ・オーナー、球界のプレスリーに100万ドル!」ってニューヨーク・タイムスの一面を飾ったであろう!


華やかなデビュー・イべントと期待外れの現役時代
      

 
ニューヨーク・メッツとしては一刻も早く「球界のプレスリー」をアピールしてお客さんをたくさん呼びたい! ニューヨークの王者ヤンキースは強さでお客を呼ぶのに対して、1963年に誕生した新興球団のメッツは話題性で客を呼ぶアイディアが得意。 誕生した当時はどうしようもなく弱かったので、選手の実力を二の次にして、女性ウケするグッド・ルッキングな選手ばっかりマイナーリーグからひっぱり上げ、彼らの巨大ポスターをニューヨーク中に張りまくって女性客を集めたこともあったほどじゃ。
 そんなメッツが考えた「カーク君アピール大作戦」じゃが、ドラフトした時点ではまだ高校生だったカーク君を、正式契約を済ませた後にお客さんがもっとも集まる8月のある試合の始球式に起用したのじゃ! またカーク君がサマーホリディの最中だったこともあり、頻繁にVIP席に招待しては試合中に紹介するなどしてお客さんを喜ばせたそうじゃ。 そのメッツの球団事務所には「今度はいつカーク君は来るの?」って問い合わせも殺到!それなりの返答をしてはお客さんを呼ぶに呼ぶ!! 「ぐはははは〜これでデビュー前に96万ドルは償却できたわい!」ってオーナーはパーカー大佐ばりに喜んだに違いない!

 肝心の投手としての活躍じゃが、2年間は2Aのチーム(日本流にいうと3軍)で投げていたが勝率5割程度のごくごく普通の成績。 やがて肩を壊してしまい、ついにメジャーリーガーに昇格できぬまま1996年に引退してしまった。 メッツのユニフォームを着ておる写真は、すべて1994年のスプリングキャンプ時のファンサービス用のショットじゃ。
 メッツは弱くてもお客を集めたり、最下位の常連から突如ワールド・チャンピオンになったりしたことから“ミラクル・メッツ”(奇跡のメッツ)と呼ばれてニューヨーク市民に愛されておるが、ロックン・ロール・キングの血統からベースボール・キングを誕生させるミラクルは起こせなかったのじゃ。


こちらは正真正銘のメジャー・リーガーの“ハウンド・ドッグ”

 カーク・プレスリーのハナシが長くなってしもうたが、カーク君が話題になるちょっと前まで、1984〜1991年にプレスリーという名の正真正銘のメジャーリーガーがおった。 シアトル・マリナース〜アトランタ・ブレーブス〜サンディエゴ・パドレスに在籍していたジム・プレスリー三塁手じゃ。 メジャーリーグ8年間で通算875安打、135本塁打。1985〜87年は3年連続20本塁打もマークしており、1986年にはオールスターにも出場しておる一流選手じゃった。

 しかしジム・プレスリーさんは、エルヴィスとは縁もゆかりもない、ファミリーネームが同じだけのまったくの他人。 しかしそのファミリーネーム故に何かとファンの注目を集めており、長く在籍したシアトルでは“ハウンドドック”のニックネームで親しまれたんじゃ。 エルヴィスの物真似が上手かった!って話は聞いたことがないがな。
 現役引退後のジムさんは、名打撃コーチとしての評判が大変に高く、現在はボルチモア・オリオールズのコーチに就任しておる。 長年低迷しておったオリオールズが今年好調なのは、ジム・コーチの指導の賜物であるかもしれんな!

 ちなみにカーク・プレスリー殿は、現在地元テュペロで学生野球のコーチをやっておるそうじゃ。 正式なメジャーリーガーには成れんかったが、圧倒的な高校時代の成績とドラフト1位の栄光は地元では不滅なんじゃろう。
 テュペロを訪れるエルヴィス・ファンは後を絶たないが、カーク・プレスリー殿まで訪ねる事はないじゃろうが、わしは今度テュペロに行くことがあったら、The-Kingファッションを手土産にカーク・プレスリー殿に会いにいこうと思うとる。 エルヴィスの親戚だからってミーハーな迫り方ではなくて、元ドラフト1位選手という栄誉に敬意を表する姿勢の方が心を許してくれるかもしれんな。 このわしも同じ高校野球球児で投手じゃったから、ベースボールにロックンロールに、楽しいお話がたくさん出来ると信じておる!
 多分、カーク・プレスリー殿は今では地元のちょっとした名士なのかもしれん。 テュペロの名士とお近づきになれたら、その時はど〜んとThe-Kingのアピールをしてくるからな!  



七鉄の酔眼雑記
 〜メジャーリーグ・チームのネーミングはオモシロイぞ!
 
 “プレスリー”というネームつながりでメジャーリーグのプレスリーをご紹介したが、そのついでにメジャーリーグのチームのニックネームについても少しウンチクをたれておこうかのお!
 諸君がティーンエイジャーの頃、自分のバンドのネームを乏しい英語力で必死に考えたことないか? 少しでもクールなヤツを!って脳みそ振り絞ったことがあるじゃろう。 まあロックバンドの名前ってのは、音楽スタイルをシンボライズしたり、流行を意識したフレーズなんかがまず基本になるじゃろう。 だからアメリカのバンドでもカッコイイネームが多いな。 日本人もアメリカ人も、ロック好きのオトコの精神構造は似ているといえるじゃろうな!
 これがアメリカのスポーツチーム、それもメジャーリーグになると、ちょいとばかり事情が違ってくる。 とにもかくにも本拠地を置く都市の住人たちに愛されるってことが絶対的な条件になるのじゃ。

 カーク・プレスリー君が契約した「メッツMet's」ってのは、「メトロポリタンズ(都会人たち)Metropolitans」の略じゃ。 ニューヨークにはヤンキースもあるが、ヤンキースがブロンクスなどのブルーカラー地域に根差しているのに対抗して、ハイソ・エリアの人々を意識したネーミングじゃ。
 ジム・プレスリーが所属していたシアトル・マリナーズは、シアトルが西海岸有数の港湾都市であり、そこで生きる逞しい船員や海兵隊(マリナー)がシンボライズされておるネーミングじゃ。
 
 ネーミングでもっともオモシロイのはドジャース。 「Dodgers」って、現在ネット辞書で調べてみても 【 @すばやく身をかわす人 Aごまかしじょうずな人、ぺてん師 B特定の責任をのがれる人 】 って何のことだがサッパリ分からん。
 これはだな、昔ドジャースはニューヨークのブルックリンが本拠地じゃった事に由来するんじゃ。 ブルックリンというのはトロリーバス(路面電車)が名物で、住人たちはトロリーバスをよける(dodger)様にしながら街中を往来していた。 だからブルックリン住民はトロリー・ドジャーの別称で呼ばれており、そこからシンプルに「ドジャース」としたんじゃ。
 チーム名の意味、ネーミングの真意なんかにも興味を持ってメジャーリーグに触れていくのもまたオツじゃよ。 お国柄というか、何かと勇ましいネーミングにこだわろうとする日本人には考えられないようなジョークやシャレのセンスが楽しめるもんじゃよ!


 

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