NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.166

 今回はかる〜い「謎なぞ」から始めてみようかのお。

「ロック史上最大、最強のスーパーバンドはな〜んだ?」
「ついにボケたか七鉄よ! 『ミリオンダラー・カルテット』に決まってんだろう!」

とお叱りを受けそうじゃな。 確かにそうじゃが、単純にメンバー一人一人のネームヴァリューの合計値からいくと、あるいは「ミリオンダラー・カルテット」の4人の合計値を凌ぐかもしれん!?すごいスーパーバンドがあるんじゃが、分かるか? ヒントはだな、元イーグルス、元ザ・バンド、元E・ストリート・バンド(ブルース・スプリングスティーンのバンド)、元ザ・フー、元クリーム、元バッド・カンパニーのメンバーらが入れ代わり立ち代わり参加して、定期的に再編を繰り返しながら活動しとるバンドじゃ。 極め付けは、元ビートルズのメンバーがリーダーじゃ。

 そんな度が過ぎたジョーダンみたいなバンドがあるのか!って感じじゃが、その名はリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドじゃ。 1989年の初の編成から、都合10回に分けて再編成を繰り返しており、その都度ネームバリュー抜群のメンバーがリンゴ・スターの元に集まってくるのじゃ。 この度の2月末、最新編成(第10期)によるメンバーで日本公演が行われたばかりじゃ!

 わしは思わぬ“棚ぼた”でチケットを入手することになり、急遽The-Kingブランドのファッションをコーディネイトした上で、2月26日「ZEPP TOKYO」のライブを観て来たばかりじゃ。 実は1989年の第1期編成時のライブも日本武道館で観ており、驚くなかれ24年ぶりの同バンドの鑑賞と相成った。 「ZEPP TOKYO」のライブ後、わしはじつ〜に満足じゃったよ。 それはスゴイ演奏から受けた感動の余韻ではなくて、なんつうかのお〜心のこもった家庭料理をお腹いっぱい御馳走になり、身体の芯から温めて頂いたような幸福感なのじゃ。 春らんまんの時期に合わせてThe-Kingから続々とまばゆい新作が発表されるだけでも幸せなのに、なんかいい意味で足が地に付かないというか、スキップでもして帰りたくなるようなハッピーフィーリングに包まれた!
 「ロック史上最大、最強のスーパーバンド」が創り上げた、家庭料理的温かい音楽とは何ぞや? そこら辺を諸君に紹介するべく、リンゴ・スターならびにヒズ・オール・スター・バンドのオハナシをさせて頂くことにする。

 
 
リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド来日記念!
ロック史上最大のスーパー・バンドは、
今すぐにハッピーになりたいロック・ファンのための極上プロジェクト!


アンプの後ろでゴロ〜ンあり!ゲップあり!の笑劇的なライブ!?
 
 まず1989年の第1期編成の日本公演から話を始めよう。 この時のメンバー編成が一番凄いので列記しておくぞ。

ビリー・プレストン、レヴォン・ヘルム(元ザ・バンド)、リック・ダンコ(元ザ・バンド)、
ドクター・ジョン、ジョー・ウォルシュ(元イーグルス)、ジム・ケルトナー、
ニルス・ロフグレン(元E・ストリート・バンド)、クラレンス・クレモンズ(元E・ストリート・バンド)

 ス・サ・マ・ジ・イ布陣じゃ。 こんなメンツで一体何をやらかしてくれるのか!ってもう胸がはり裂けそうじゃったが、いざフタを開けてみたら、わしのロック・ライブ体験史上もっとも期待外れ!? いやしかし、まったく新しいライブ・フィーリングを体験させてくれた忘れ難きライブじゃった。
 まず全員がビッグネームなのに、やたらとニコニコしちゃってて緊張感ゼロ。 ロックンロール・スターとしてのオーラなんか全然無い! 当然ソング・リストはリンゴと各メンバーの代表曲じゃったが、新しいアレンジを熟練のテクニックでバッチリ聞かせるのではなくて、ほとんどリハ・テイク、イージーテイクのノリ。 カントリータッチのアレンジが多かったせいか、まるで同窓会みたいな和気あいあいのスタイルだったのじゃ。 曲のノリに合わせてみんなで頭をかわい〜く左右に振りながら、まるで幼いわが子のお遊戯会を観ておるパパみたいなアクション!

 さらに我が目を疑ったシーンがあった! わしはステージ左斜め上の二階席の先頭、位置的にステージの裏側まで見える座席におったんじゃが、最初の数曲の演奏中にアンプの後で寝っ転がってドリンク(ビール?)を飲んだりタバコ吸ったりしとるヤツがおった。 「ローディーかなんかじゃろうが、ふざけやがって!」と憤慨しておったら、それが二ルス・ロフグレンとジョー・ウォルシュだったのじゃ! 自分の最初の出番が来るまでこの態度! レヴォン・ヘルムやリック・ダンコも演奏中にそこにちょくちょくやって来てはドリンク飲んで、ゲップして、談笑してはまたステージに戻るっつう有様!
 リンゴはほぼ出ずっぱりじゃったが、ドラマーというよりも、このロックンロール宴会ともいうべきショーの司会者みたいな役割に徹しておった感じじゃ。 「ライブは真剣勝負!」「血湧き肉踊るライブこそロックの真骨頂!!」と信じて疑わなかった当時のわしにとっては衝撃的な光景じゃったな。



日本人が知らなかった、もうひとつのロックン・ロール・ライブ


 肝心の演奏の方は「金を返せ!」ってなヒドイもの!ではなかったのがミソなのじゃ。 聞いておる内にこっちまでお遊戯会のパパアクションになっちゃって、気が付いてみたら温泉にでもつかってのんびりライブを楽しんでおるような初体験ライブになってしもうたんじゃ!
 わしはそれまで、レコード(CD)というパッケージ、大掛かりなライブというショー、いわばド派手な商品としてのロックンロールしか知らなかったってことだったのじゃ。 ロックの本場では当たり前のシークレット・ギグやサプライズ・ギグを体験することなく、「これでどぉーだあ〜!」ってな決定版しか聞いてなかったことに初めて気が付いたってわけじゃよ。
 
 ビッグ・ロッカーとはいえ、年がら年中“火花を撒き散らす”様な真剣勝負の音楽活動をしておるわけではないのだ。 真剣勝負をするために必要なリラックス・ギグも彼らの活動にはアリなのじゃ。 リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドとは、その大袈裟なネーミングとは裏腹に、ビッグ・ロッカーにとっての再生、蘇生のためのフォーマットなのだ。 そしてそれもまたひとつのエンターテイメントとして成立しておるのが本場のロックだったのじゃ。
 「○○の“あの”フレーズが聞きたい」とか「○○のプレイに圧倒されたい」「○○と△△がどんなカラミになるかミモノだ」とか気合を入れて観る必要などなく、肩の力を抜いてリラックスしながら楽しむロックンロール・ライブもあることを、リンゴ・スターの元に集まったオールスターたちは、「ロック後進国・にっぽん」のロックファンに教えてくれたのじゃった。

 今回の第10期編成のメンバーは次の通り。
スティーヴ・ルカサー(元TOTO)、リチャード・ペイジ (Mr.ミスター)、
トッド・ラングレン、マーク・リヴィエラ、グレッグ・ローリー、
グレッグ・ビゾネット(元デヴィッド・リー・ロス・バンド)。
 会場が小規模になったとはいえ、シンプルでラフでリラックスムードに溢れ、メンバーのジョークも冴えわたったライブ空間は24年前の武道館のステージとまったく変わっておらんかった。
 メンバーがシリアスになる“聞かせどころ”といえば、サンタナのカバー「イヴィル・ウェイズ」「ブラック・マジック・ウーマン」ぐらい。 リンゴを初めとした各人の持ち歌も、まったく気負うことなく、「テキトーに遊んでたらコレ出来ちゃったんだよ〜」的なノリでサラリと聞かせてしまうのじゃ。
 いや、でもみんな上手い! 当たり前じゃが、やはりプロ中のプロというのは、“リラックス・テイク”でさえお金をとって聞かせるだけのセンスが凄いのじゃ。 ベテラン・ロッカーは時として「まだまだ若いモンには負けんぞ!」ってローリング・ストーンズの様にしゃかりきになる場合も少なくないが、「ねえヤングたちよ。 いつかはこんな楽しくゴキゲンにロックやろうよ〜たまらなくハッピーだぜ〜」って呼びかけられているようじゃ。
 ってわしはヤングではないがのお〜。 
 また24年前よりもリンゴ・スターが俄然元気に見えたのだからオ・ソ・レ・イ・リ・マ・シ・タ。 御歳72歳! 信じられんような溌剌としたステージアクトじゃった。
 


ビートルズ時代よりも光り輝くリンゴ・スター!

 かつて、リンゴスターという人物のキャラクターについて的確に語られた言葉を目にしたことがあった。 それはビートルズのマネージメント関係者からだったと思うが、こんな感じじゃった。
 「リンゴ・スターを思う時、私は真冬の部屋の暖炉に火を灯すマッチの小さな炎が目が浮かんでくる」
 リンゴスターをよく知る者たちによると、まさにそんな愛すべきヤツ!らしいのじゃ。 誰もリンゴにものすごいロックンロール・ドラムを叩いて欲しいなんて思わない。 でも彼をみんなで取り囲んで、心に残るあったか〜いプレイをしてほしい!と思っておるそうなんじゃ。 リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドは、多くのロッカーのそんな思いが結実したプロジェクトでもあるんじゃろう。 
 “同期”のチャーリー・ワッツ(ストーンズ)やキース・ムーン(ザ・フー)の様に、“一ドラマー”として伝説になるような存在ではなかったリンゴじゃが、彼は今、空前絶後のビートルズ時代よりも輝いて見える唯一の「元ビートルズ」ではないじゃろうか。

 今まで10回に渡って再編を繰り返されてきたこのプロジェクトに参加したビッグ・ロッカーは約40人にものぼるのじゃ。 40人全員がそれを機にシーンにカムバックを遂げたわけではないが、以後充実した活動を再開するきっかけを得たメンバーに焦点を当てていったらとてつもない長さになるので、今回は控えておこう。

 残念だったのは90年代の初頭に完全復活しそうでしなかったジョージ・ハリスン。 このプロジェクトに参加してみればよかったのにのお〜なんて思っておるのは、わしだけはないかもしれんな。 ジョージは死ぬまで「ビートルズなんか、ショービジネスなんか・・・」ってファンに対してトゲトゲしい態度をとっておったので、音楽をやる楽しさをリンゴとその仲間たちと一緒に思い出してもらいたかったものじゃ。 なんて思いながら今回のライブを観ていたら、ジョージとリンゴの共作「思い出のフォトグラフ」が演奏されたんで、じわ〜んときたな!

リンゴ・スターがようやく見つけた、“元ビートルズとして”のお仕事

 元ビートルズともなれば、ジョン、ポール、ジョージがそうだったように、ソロ活動は「ビートルズとは別次元のハイクオリティな音楽の創造!」みたいなプレッシャーから逃れることは出来ないじゃろう。 唯一リンゴ・スターはそのプレッシャーとは無縁じゃったように思えたが、リンゴはオールスターバンドを断続的にやることによって、ジョン、ポール、ジョージとは別のシーンへの役割を果たしておるようじゃ。
 1989年第1期編成に参加したメンバーの内でリヴォン、リック、クラレンス、ビリーの4人が既に亡くなっておるが、彼らのキャリアの末期にこのプロジェクトに参加したのは本当に幸運だったんじゃろうな〜と、残された映像を観る度に思うな。

 なお、リンゴはビートルズ一のカール・パーキンス・ファンじゃ。 初期のビートルズは、殺人的なツアースケジュールの合間をぬってアルバムを製作していたこともあり、収録曲全部をオリジナル曲でまかなうことは出来なかった。 そこで当然カヴァーソングが収録されるのじゃが、我らがカールのお父さんの曲を3曲カヴァーしとる。 「マッチボックス」「ハニー・ドント」でリードヴォーカルを務めるのがリンゴなのじゃ。 (もう1曲「みんないい娘」はジョージが担当) 今回のライブも、「マッチボックス」のイントロに乗ってリンゴが登場してきた! そこら辺のことも忘れんでいてほしいぞ!

 最近のリンゴは、やたらとピース・サインをかましており、ライブ中も幾度となくピース、ピースじゃ! それがまた似合うんじゃな〜♪ ベテラン・ロッカーも、そして我々ファンみんなをハッピー、ピースにしてくれるリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド! この次の第11期編成のライブでは、The-Kingファッションに身を包んで、リンゴの大好きなカール・パーキンスを初めとしたロカビリー大会!なんかもやってほしいところじゃ! The-Kingファッションとピース・サインも似合うはずじゃ。 それまでは、まずわしらがThe-Kingファッションをゲットしまくってピースサインをキメテおこう! 



七鉄の酔眼雑記〜30歳になったら老人になってしまうだろう!?
 
 「20歳になった時、つぐづく歳を取ったと思ったよ。 30歳まで生きていたら、僕は老人になってしまうだろう」

 「ビートルズ名言集」の類を読むと、リンゴ・スターの残した言葉で必ず紹介されるのがコレじゃ。 リンゴは1940年生まれだから、20歳になったのは1960年。 まだビートルズの一員としてデビューする前じゃ。 キチガイじみたスケジュールに振り回されておったビートルズ時代の発言なら分からんこともないが、そうではないのじゃ。

 一般的にはあまり知られておらんが、“不良少年”のイメージで売り出されたローリング・ストーンズのメンバーよりも、“良い子ちゃん”でアピールされたビートルズのメンバーの方が断然グレタ少年時代を送っておった。 その中でももっとも悲惨だったのがリンゴじゃ。 リバプールの最貧地区で生まれ育ち、しかも身体が弱くてろくすっぽ学校に通う事も出来ず、ジュニア・ハイスクールの卒業式では学友の誰一人として彼の顔を覚えておらんかったそうじゃ。
 思春期に行き場を失いかけたリンゴ少年は、その後は「かつあげ」「かっぱらい」「喧嘩」に明け暮れ、ドラムに出会うまではロクでもない奴じゃったらしい。 やがて複数のバンドで日夜ドラムを叩きまくったリンゴ少年は、故郷リバプール一のドラマーとして名の知れた存在となり、地元のロックバンドのメンバーの中では唯一スポーツ・カーを所有する華やかな存在になっていたそうじゃ。 ジュニアハイスクールを卒業する15歳までは学校にも行けずに、家と病院の中で悶々と過ごしておったんじゃから、その劇的な変化の連続に対して「歳を取った」と悟っても不思議はないのかもしれん。
 そしてその後“栄光のビートルズ”に招へいされるんだから、そこまではまったくもってスゴイ人生の展開じゃな。 ドラムが彼の人生を激変させたのじゃ。 リアル・ロックン・ロール・ライフを地でいったパターンじゃ。

 70年代はソロ活動もそこそこ成功させておったが、80年代も近くなると、リンゴ・スターの名は完全にロック界から聞かれなくなったもんじゃ。 なんでも重度のアルコール中毒に陥ってしまい、私生活も崩壊して、リハビリのための入退院を繰り返しておるという冴えない噂だけが広まっておったな。
 そして1989年、先述のオールスターバンドで彼は復活のきっかけを掴んだわけじゃ。 オールスターバンドの企画も、実は当初はアルコール中毒のリハビリとして持ち上がったと聞いておる。 再びドラムがリンゴを救ったってことじゃな。

 ビートルズと言えば、とにもかくにも、ジョンとポール。 ちょっとマニア君ならジョージ。 でもリンゴの軌跡をなぞってみると、自伝/伝記の類を読むならば、案外リンゴのハナシが一番身にしみるんじゃないか?と思えてくる。 ロッカー、プレイヤーとしてよりも、ロックスターとしての地位が先行してしまう他の3人よりも、人生の喜びも悲しみもファンと分かち合える話がリンゴの軌跡にはいっぱいあるような気がするんじゃな。 ロック界の中でも稀な、一般人目線を持った人なんじゃないか、と勝手に想像してしまうのじゃ。
 オールスターバンドで数多くのロッカーの第二、第三の人生を救ったリンゴ・スターには、今度は我々ファンの魂を救ってもらいたい。 自伝/伝記の出版、是非お願いしたいところじゃ。  


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