相変わらず
         ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.164


エルヴィスは死んだ。 ビートルズももういない。
ロックで文化というものを創造した人々は
何処へ行ってしまったのだろう?

つまり、これはただのシングルじゃない。
現代における、文化の創造だ!


 日本ではThe-Kingのホースシューリング最終バージョンの話題がこれから爆発することじゃろう! 「ロック・アイテムの王道、ここに極まれリ!」ってな感じでな。 一方、ヨーロッパのロックシーンにおいては、只今デヴィッド・ボウイの10年ぶりのシングル「Where Are We Now?」とアルバム『The Next Day』
(正式発売は3月13日)の話題がスゴイことになっておる。 このタイミングから察すると、エルヴィスを師と仰ぐボウイの指に、最終ホースシューリングが輝く日も、そう遠くはあるまい! 上の写真も、「それだ、そいつがほしい!」ってボウイがThe-Kingにオーダーしとるように見えるな。(笑) ヨロシイ。 わし自らボウイ殿にお届けしてしんぜよう!

 ところで「デヴィッド・ボウイが新作のレコーディング中」なんてニュースは一切入ってこなかったし、「既にボウイはナナテツより一足先に隠居生活に入った」って報道されておった!ってのはジョークじゃが、現代はSNSの普及やらパパラッチさんの暗躍やら!?あるのに、どうやって隠し通せたんじゃろう? と不思議なほどの突然のボウイ復活のニュースじゃ。
 新曲「Where Are We Now?」じゃが、わしも久しぶりにベテラン・ロッカーの新曲に感動した。 輝かしい過去の実績と未来への新しい視点とがしっかり繋がっておる。 「老い」という現実を正面から受け止め、嘘偽りのない自分の足元からリベラルなメッセージを送る正真正銘の新曲じゃ。 これはローリング・ストーンズの50周年記念活動や、レッド・ツェッペリンの期間限定復活劇なんかの“お祭り”とは次元が違う! 新作のアルバムの方が聞けるまで一ヶ月ほどあるので、その前に是非とも諸君にデヴィッド・ボウイの存在に興味を持って頂きたいと願っておる。

 60年代末期よりスタートしたデヴィッド・ボウイの活動歴を一挙にご紹介するのは難しい。 それは「本当に一人のアーティストなのか?」と信じられないような多彩な音楽性をボウイは披露してきたからじゃ。 まるでファッションを着替えるように、3〜4年ごとに、作品にして2〜3枚のサイクルで音楽性の変革を続けてきたのじゃ。 オリジナル・アルバムは24枚(ライブ、サントラ、ベスト盤は除く)あるが、 この中に7〜8種類のそれぞれ別個の音楽をやっとるのじゃ。 これは単一のアーティストとしては異例というか、異常じゃ。
 まあ今回はデヴィッド・ボウイの「異常性」を語るのは最小限に留めておいて、時代に求められた流行音楽の突破口になったり、流行の頂点に達したりした作品をいくつか紹介したいと思う。 傑作と褒め称えられた時もあれば、駄作とこき下された時もあったが、デヴィッド・ボウイは流行の中に埋没することなく、常に時代性と闘いながら音楽活動を突き進んできた真のロック・アーティストなのじゃ。

 
 

デヴィッド・ボウイが10年ぶりの新作を発表!
流行への先制打!決定打!!となった気鋭と異端の作品を辿る



エルヴィスとアメリカン50sに捧げられた、ヨーロピアン・アメリカンロック

 ステイション・トゥ・ステイション(1976年) 
 
 まずは、エルヴィス・ファンの皆様へ敬意を表して!?このアルバムから。
 ボウイはエルヴィスと同じく1月8日が誕生日。 しかも幼き頃より熱狂的なエルヴィス・ファン。 11歳の時に初めて人前で歌を披露したのもエルヴィスの物真似じゃった。 そして1970年代初頭につかんだロックスターの名声を引っ提げて、こともあろうにエルヴィス・サイドへ接近して、自ら書き下ろした曲「ゴールデン・イヤーズ」をエルヴィスに歌ってもらいたい!と申し出たのでじゃ。
 「バカモノ! キチガイみたいな服着たイギリス人の歌をエルちゃんに歌わす気か!」ってパーカー大佐が激怒した!のかどうかは知らんけど、あっさりと却下されたらしい。 仕方なくボウイは、「ゴールデン・イヤーズ」を見事なエルヴィス成り切り唱法によって大ヒットさせたのじゃ! エルヴィスとボウイがデュエットしているのでは!?って大いに話題になったな。 そんな懐かしい話題をジョークにした映像もアップされとるので楽しんでほしい!
 
 「ゴールデン・イヤーズ」を含むアルバム『ステイション・トゥ・ステイション』は、白人がどこまで黒人音楽に近づけるか、ヨーロッパ人がどこまでアメリカ音楽が出来るか?ってことを追及した作品じゃ。 巷で言われるほどアメリカンナイズされてはおらず、当時大ブームじゃったアメリカン・ディスコ・ミュージックに飲みこまれることも無く、品格ある白人ヨーロッパ人のゴキゲンミュージックとはこういうものだ!ってのを世間に突き付けた1枚じゃった。
 またラストナンバーは1950年代のアメリカ映画の名作「野生の息吹き」のテーマソング。 ボウイは得意のエルヴィス成り切り唱法を適度にかましながら、まるでミュージカルの様に壮大に歌い上げて、エルビス&アメリカン50sへのオマージュとしておる。
 
 なお「ゴールデン・イヤーズ」や「野生の息吹き」でのボウイのエルヴィス的テノール唱法は絶大な反響を呼び、80年代から始まるイギリス・ニュー・ウェイブの新人シンガー君の多くがあからさまにマネしとった。 シャウトしたりダミ声を発したり、飛んだり跳ねたりするよりも、“まずはしっかりと歌う”スタイルへ若手シンガーを回帰させたボウイの功績は大きかったはずじゃ。
 


さらば60年代。 カバーアルバムのさきがけとなった異色作

 ピンナップス(1973年) 
 
 1970年代前半までのイギリスのロックシーンには「オリジナル曲絶対主義」がはびこっておった。 「ロックはオリジナル曲で!」「カバーお断り!!」「とにかくオリジナル曲で!!!」じゃった。 「どうしてもカバーをやりたきゃ、ライブでやんなさい!」つったマネージメント側からの通達もあったのか、実に多くのバンドがオールド・ロックンロールをライブレパートリーの中に取り入れておったぐらいじゃ。
 そんなオリジナル大偏重時代に、ボウイは全曲カバーアルバムという暴挙をやってのけた。 それもチャック・ベリーとかエルヴィスとかの偉大なる大先輩方の楽曲ではなくて、自分よりチョイ上のアニキ分的ロッカーが60年代中期にやった曲のカバーじゃ。 オリジナル曲が発表された時が近かったんで、そっちの印象が強く残っとるから当然酷評じゃったわな。 「ボウイの才能は枯渇した」「遊びでアルバム作るんじゃねえ〜」「コピーバンドで食い繋ぐつもりか」とかな。

 じゃがわしは好きだったね、コレ。 ヤードバーズ、プリティ・シングス、キンクス、ピンク・フロイドらのシブメの選曲じゃったが、「オレだったらこ〜いう風にやるけどな〜」ってな、生意気なアマチュア野郎の純粋な美意識が昇華した様な迷演(?)が多いんじゃよ。 下手なオリジナル曲を聞かされるよりも、斬新なカバーの方がはるかにエエ!
 この「ピンナップス」の衝撃的な登場により、有名ロッカーがカバー集をやったってええ!っつう風潮は徐々に広まっていき、2年後にジョン・レノンの「ロックン・ロール」やザ・バンドの「ムーンドッグ・マチーネ」の名カバー・アルバムを生むことになるのじゃ。 ジャケ左側の女性は、ミニスカートの伝道師ツィッギーじゃ。 この作品を60年代のヤングカルチャーへのオマージュにしたかったんじゃろう。



“俺のアタマに弾(タマ)を打ち込めば、新聞はかきたてる”

 スケアリー・モンスターズ(1983年) 

〜シルエットや影がぁ〜 革命を見ているぅぅぅ〜
〜もう〜天国の自由の階段はなぁいぃぃぃ〜

 衝撃的、聞き方によっては笑劇的!な日本人女性のアジテーションでスタートする本作は、日本のデヴィッド・ボウイ・ファンには忘れられない1枚じゃ。 ってなことはこの際どうでもよろしい。
 80年代になると、70年代末期の大パンクブームがウソだったようにロックシーンはセレブな香りに包まれてきて、オシャレなダンスミュージックやらワルツめいた曲ばっかりヒットする様になった。 王子様ファッションでギター抱えるなんてくだらんコスプレ・ロックは、この頃から始まったと言えよう。 反対に行き場を失ったパンクはますますマニアックで暴力的な方向に堕ちていったなあ。 まあわしは「どっちもツマンネーナ〜」ってゴロ〜ンとしておったが、この作品には脳みそがショートしたぞ! オシャレ・ロックと凶悪パンクの二つの両極端な音楽の磁界をごっちゃ混ぜにした!?ボウイ流アヴァンギャルド・ロックに仕上がっておったからじゃ。 プログレ界のギター・プロフェッサー、ロバート・フィリップ先生も大暴れしとる! 「ボーイズ&ガールズよ、インテリジェンス無きオシャレ、凶暴性は、消え失せろ!」ってな、ボウイ快心の一撃じゃ。

 ボウイはパンクに対して肯定的であり、「まさに僕が待っていたブームだ。 パンクはロックをもう一度荒野に戻したのだ」と発言。 また70年代後半に、ロックの世界にセレブなファッション・フィーリングを導入したのもボウイじゃった。 それから数年後、今度はパンクとオシャレ・ロックとで無秩序に拡散したロックをひとつに収拾してみせたのじゃ。
 じゃがこの路線が踏襲されることがなく、わしは残念じゃった。 次は「レッツ・ダンス!」ってな六本木のアーパーネーちゃんも喜ぶダンス・ミュージックになっちゃったからな。 いつもボウイは同じ路線で最低2枚は作っとったのに、ドッチラケたぞ。 だが80年代の終了間際に、思わぬ形でこの「スケアリー・モンスターズ」的戦闘精神は復活することになるのじゃ。



誰も理解しようとしなかったボウイの真意とは?

 ティン・マシーン(1989年) 

 ボウイの全アルバムの中で、もっとも評判が悪くてセールスも低調だったのが1989年に発表されたロックバンド、ティン・マシンのアルバムじゃろう。 シンセや鍵盤楽器を一切使用しない、ロックバンドとしての原型を追及したサウンドであり、ボウイはいちシンガーとしての戦闘的なロッカーへと変貌を遂げよった。
 しかしながら「そもそもボウイにとってロックとは原点なのか?」「やることがなくなった苦し紛れ」「ボウイにシンプル・ロックは不要」とか散々の言われ方じゃった。 しかも直近の3枚が「オシャレなダンスアルバム」だったので、「新しい創作活動のためのリハビリか?」とまで・・・ヒョーロンカってのは見本盤でタダ聞きしておきながら、偉大なるロッカー対してに頭が高過ぎるぞ!

 じゃがわしも、このティン・マシーンには激しく動揺した。 正直なところ、バンドの価値とボウイの目論見が理解できるまでに数年かかった。 わしが思うところのティン・マシーンの真価とはだな、ボウイはハードエッジでタフなロックサウンドと対峙することで、それまでのロック・スター・デヴィッド・ボウイたらしめておる個性を一度破壊することだったんじゃ。 どんな音楽だろうとデビッド・ボウイ・カラーに染め上げることができるバケモノ的なセンスがボウイの個性じゃったが、それをロックサウンドのダイナミズムで木端微塵にしてしまおう!っつう恐るべき試みだったのじゃ。
 平たく言えば、ボウイは自分の個性が覆い隠されてしまうような強力な音楽楽団の一員に成りたかったのじゃ。 個性を際立たせるのではなくて、個性を溶け込ませることで、新しい音楽のグルーブ感を生み出そうとしていたのである。 って発表当時に言えたら、わしはボウイ殿からおまんじゅうが届けられたかもしれんなあ・・・。



ガイコツ・マイクに込められた新たなる挑戦 

 ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ(1993年) 
 
 前述の「スケアリー・モンスターズ」の後、超ディスコ/オシャレ・ポップ路線でアルバム3枚。 そしてティン・マシーンのヘヴィ・ロックで2枚発表した後、ようやく本来のアーティストとしてのボウイが戻ってきたのが本作じゃ。
 ティン・マシーンで「音楽の中に溶け込む自己」を追及しておったボウイが選んだ道は、ヒットチャートを賑わす様な3分間ポップスよりも、社会の中で自然と根付いて広がり、聞く者に心地よいグルーブ感をもたらす、クールなクラブ・ミュージックの世界じゃった。 リズムは流行のヒップホップ系が多いものの、もっと深遠にうねるようなジャズ・ファンクとソフト・トランスの覚醒感に包まれたアルバムじゃ。 ボウイが長らく求めていた“匿名的個性”は、この作品によってまずは完成しておると言って差し支えないじゃろう

 一方、古くからアーティスト・ボウイに慣れ親しんできたファンは、ボウイの個性が“ちらリズム”に終始する長尺な構成に反応はイマイチ。 わしも愛用しとる!?ガイコツマイクでキメとる内ジャケ(写真下)を見た時のコーフンとは裏腹に、「ボウイはなんだかプロデューサーみたいになったな〜」ってちょっとはぐらかされた気分だったに違いない。 
 しかし本作には隠れたコンセプトがあるように思うぞ。 20世紀末に値する平和でオーガニックな音楽空間の創造じゃ。 恐らくドラッグもアルコールも必要のない(オマエが言うな!)、聞く者の心身により浸透する、土着的な音楽のうねりをボウイは表現したかったのだと思えるな。 21世紀に向けての新しいデヴィッド・ボウイのフォーマットになった1枚じゃ。 
 

 「ブラック・タイ〜」の後、2003年までの10年間で5枚のアルバムをボウイは発表しとるが、実はわしはあんまりよお知らん。 わしは90年代中盤から「ロック封印生活」に陥り、更に日本にオサラバして放浪の旅に出てしまったからじゃ。 ってことは、この度のボウイの新作は10年ぶりじゃが、わしにとっては20年ぶりの新作じゃな!
 この度慌てて未聴の5枚のアルバムをチェックしたが、驚いたことに 「ブラック・タイ〜」からの自然発生的なファンタスティックな環境音楽となっており、それが新曲「Where Are We Now?」へも繋がっておるのじゃ。 10年、20年の空白が無かったように感じられるのも、またデヴィッド・ボウイのマジックなんじゃろうな! 
 
 その音楽性の変革と同時に、デビッド・ボウイはファッション・チェンジも繰り返してきたマルチな伊達男じゃ。 ロック・ミュージックとファッションとの関連性や、その両方の歴史を同時に考察する場合、デヴィッド・ボウイは絶対に外すことのできないロッカーでもあるのじゃ。 ストレートな50sファッションをキメたことはないが、さすがはエルヴィスを信望するスタイリッシュなロッカーだけに、ヘアスタイルをはじめ随所に50sフレーバーを感じさせてきた。 この人がThe-Kingのナッソーやらイタリアン・カラー・シャツを着たら?って想像するだけで胸がときめくもんじゃ。
 機会があればボウイのファッションについてもご紹介してみたいが、まずは上記5枚のアルバムによってボウイのシーンにおける先鋭性、先進性をご理解頂ければ幸いじゃ。 誰もが認める名盤なら他でも読めるから、今回はいわば「迷盤集」ってことにさせてもろうた次第じゃ。
 
 





七鉄の酔眼雑記 〜デヴィッド・ボウイは“出火吐暴威”
 
 デヴィッド・ボウイはわしにとって憧れであると同時に、何ともキモチワリィ〜ロッカーなのじゃ。 聞き始めて四半世紀、いまだに歌っておる歌詞の意味がよくワカラン曲が多過ぎるからじゃ。
 わしは1980年代初頭までのボウイのアナログディスク(LP)は全部日本盤で持っておったが、歌詞の対訳は付いておらんかった。 だから辞書を片手に必死に訳したこともあったが、もうワケわかんなくて、どのアルバムも2〜3曲であえなく断念するのが関の山じゃったよ。
 1984年に「デヴィッド・ボウイ詩集」っつう歌詞対訳書籍が発売になり、驚喜して発売日に買ったんじゃが、ますます分かんなくなった。 自分で一度もつれさせた糸が、他人の手を借りたらますますこんがらがっちゃったって感じじゃ。 「アンタ、自分で意味分かって訳してんの?」って対訳者にイチャモンつけたくなるような日本語訳じゃったな。
 1990年代になるとボウイの旧作アルバムが全部CD化となり、そこには歌詞対訳サービスがあったが、これも期待外れ。 というか既に期待しておらんかったがな。 「あぁ、やっぱりアンタも分かってないんだな」って対訳者に同情して終わってしもうた。 
 
 ロックの歌詞を読み慣れて(聞き慣れて)おると、前後の繋がりが見えない、突拍子もない展開には驚かなくなるもんじゃ。 つか、逆に日本の歌の歌詞の当たり前な展開が退屈になってくる! また多少は詩歌、散文、神話の類なんてのに親しんでおれば、奇想天外な擬人法や隠喩(人を物に例える)、不統一の時制なんかもかえって楽しい!と勝手に思い込みながら、ジム・モリスンとかボブ・ディランとかキング・クリムゾンとかの難解とされる歌詞と対決してきたわしじゃ! じゃが、デヴィッド・ボウイの歌詞だけはまったくお手上げじゃ。

 イギリスに行った時、現地のロックファンの何人かに「ボウイの歌詞は分からん!」ってぶつけたところ、「日本人の君に分かるはずがないだろう」と“上からマリコ”かまされてもうた! じゃがそん時の連中の落ち着かない視線をわしは見逃さなかったぞ。 本音は「オレだってワカンネーよ」じゃろう!
 7〜8年前には新訳書「デヴィッド・ボウイ詩集―スピード・オヴ・ライフ」が発売された。 わしの大学の後輩(アカの他人じゃが)が訳者だったんで買ってみようかとも思ったが、気合の入り過ぎたような重厚な内容に、立ち読み中にマジで目まいがしたんでヤ〜メタ。 定価は4,000円ぐらいだったと思うが、先日Amazonでチェックしたら倍ぐらいの金額になっていて、やっぱりヤ〜メタ。 どうせ入手しても読み切れんことは分かっておるしな。
 
 ガッコのおベンキョーに苦労しておった頃、「どこが分からないかが分かれば、そこからスタートすればいい」なんてセンセーによく言われたが、ボウイの歌詞に関しては、どこが分からんのかもワカラン・・・。 大体だな、3行目ぐらい、いやノッケからちんぷんかんってことも多い。
 今回久しぶりにデヴィッド・ボウイに関する評論をたくさん読んでみたが、この「ワケワカラン歌詞」の謎を解明出来るかもしれない「ヒント」を見つけた。 ボウイの歌詞の書き方に関する“ある特殊なテクニック”じゃ。 それを元に地道に取り組んでいけば、ひょっとしたら!って希望が湧いたが、既に埃のかぶったわしの脳ミソが果たして付いて行けるかどうか? まあ「ボケ防止」のひとつとして取り組んでみようと思うとるんで、いつの日か! 

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