(←)エルヴィスのレコードをあれこれ想いながら一人たそがれておるわし!? なあ〜んてちょっぴりオセンチにスタートしてみたが、画像加工ソフトの技をひとつ覚えたんで遊んでみたかったのじゃ。 さて、今から40年近く前じゃったかのお。 「もしもロックが嫌いなら/If you don't like rock 'n' roll」という曲があった。 「ほほぉ〜。 ロックが嫌いなら何だっつうんじゃ? ひとつ聞かせてもらおうじゃねーの!」とエラソーに腕組しながら期待して聞いてみたが、いやあ〜思いっきりズッコケたわい。 曲そのものは悪かなかったが、歌詞のオチが「キミは遅れているぜ!(イケてないぜ!)/Then you're too late now 」だもんなあ〜。 学園祭バンドのMCじゃあるまいしよー。 とまあジジイの昔バナシはいいとして、何が言いたいかというとだな。 「ロックが嫌い」というより、「聞く気になれない」時がわしにもあるんじゃよ。 ここ数年、GW明けから5月いっぱいぐらいは、どういうわけだか必ずその症状に陥るんじゃな。 ブルースもダメなんじゃ・・・。 ロック一直線野郎を地で行くわしは躁鬱病のケもないが、ロッカーとしての感性がトーン・ダウン気味なんじゃよ。 「5月病」ってのがあるが、あれは新入社員くんや新入生くん特有の症状じゃが・・・。 そりゃ〜The-Kingの新作が発表された時はテンション戻るぞ! 今回も目の覚めるようなラインナップではないか! 毎度全品ゲットの方針にブレも死角もない。 諸君、わしに続け!ってなもんじゃ!(本当に続くようにな!) でも、このコーナーの更新に限っては5月だけは毎年ちょいと辛いんじゃな〜。 恐らくわしの誕生日も含まれとるGW中の単なる飲み過ぎが遠因じゃろうが、テンションが上がらず「今回はお休みしま〜す」とThe-Kingのボスに言ったら「あっそっ。 ずっと休んでていいから」と昔の“ごとう日”の銀行窓口ちゃんばりに冷酷に言われそうなんで(あの人の目を見ないで淡々と話すのは気味悪かった!)、今回はその間のわしの音楽生活の実態そのものを書くぞ。 たまには「今、こんなんにハマっちゃいました!」「これがマイブームです〜♪」ってなブログ的な内容もええんではないかと。 諸君にも、ちょいとロックン・ロールライフに疲れた時、ロックを受け入れる感性を労わってあげたい時があるじゃろう。 でもロックを聴かずとも、音楽そのものは生活から切り離すことは一生できないんで、八鉄先生も時折かましていらっしゃるロックから離れた異国情緒豊かな作品リストとともに、わしの異種音楽リストも、そんなロックお疲れ状態の時のささやかな参考資料にして下され。 |
もしもロックが嫌いなら/If you don't like
rock 'n' roll !? 〜“ロックお疲れ状態”の時におススメしたい異種音楽セレクション Volume 1 ■シューベルトの感傷的なワルツ/アラン・モタール ロックに拒絶反応が起きると、音楽の嗜好は自然と歌無し曲になるのがわしの特徴。 まず最初に辿り着くのはクラシック、しかも決まってこの作品からじゃ。 わしの少年時代のおピアノのセンセーが、「シューベルトはね、生きている間ずーといい事なかった可哀そうな人なのよ。 でも音楽はキレイでしょう、ねっ!」と。 おピアノもクラシックも全然好きになれなかった七鉄少年じゃったが、このお話だけは幼い胸に突き刺さった! そんなウルトラ、じゃなくてトラウマとこの作品は30年あまりの時を越えて運命的に邂逅して惚れ込んだ1枚じゃ。 「感傷的なワルツ」 「高雅なワルツ」「12のドイツ舞曲」ら5曲のワルツ、舞曲が収録。 イメージとしては古ぼけた西洋風お屋敷から漏れ聞こてくるピアノのささやきってトコであり、今聞いておかないとこの先二度と聞けないんじゃないか?と直感させられるような、優雅じゃがとても儚げなピアノの調べじゃ。 シューベルトがピアノによる舞踏用に書いた小曲であり、構成は至ってシンプル。弾き手にも高度なテクニックを要しないらしい。 曲に合わせてワルツしちゃうのも結構じゃが、わしとしてはやはりじっくりと聞いてもらいたいもんじゃ。 大体わしが淑女とワルツしてもなあ〜まさに美女と野獣じゃもんなあ!って大きなお世話じゃバカモノ!! ジャケットもええな。 ロックのLP(CD)ジャケットに見慣れておると、クラシック音楽のジャケットはお上品過ぎてオモシロない。 廉価版シリーズになると、20〜30枚がぜ〜んぶ同じデザインじゃしな。 じゃが、クラシックで数少ないジャケ買いしたのがこれ。 骨董品屋さんの片隅にひっそりと置かれている卓上ランプのような枯れた風情を感じたもんじゃ。 実はわしが買ったこのCD盤は、1960〜70年代にかけて活躍したフランスを代表する伝説の名エンジニア、アンドレ・シャルラン録音&自己レーベル盤の初CD化シリーズの中の1枚。 何が伝説かというとだな、シャルランは「必殺マイク1本録り!」の名人であり、凡庸な演奏でもレコード鑑賞の際にはダイナミックに聞かせてみせる魔法使いのような存在だったのじゃ。 じゃがCDをかけると・・・ありゃりゃ??なんじゃこのノイズは・・・コレ、レコード盤起こしじゃねーのかオイッ! なんでもマスターテープが破棄されてしまっていたらしく、サブマスターも見つからず、市販用レコードからCD化したっつうとんでもねー詐欺みたいなCD! しかしそのチープなサウンドクオリティが、かえってシューベルトのワルツに漂う、儚い美しさを際立たせているようにわしには聞こえた。 音楽にテクノロジーは関係ない!ってことを思い知らされた1枚じゃ。 ■ ハンガリアン狂詩曲/ジョルジュ・シフラ ■ 「ハンガリアン狂詩曲」は、19世紀の大ピアニストであり作曲家、また交響詩の創始者であるフランツ・リストの代表的ピアノ曲じゃ。 ジプシーの舞曲形式チャルダッシュに基づく全20曲から成り、この作品にはそのうちの人気の高い7曲が抜粋されておる。 哀愁を湛えた独特の音程によるゆったりとした「ラッサン」っつうパートと、多彩なリズムが激しく交錯するジプシーダンス風の「フリスカ」っつうパートとの対比を重要視したアルバム構成になっておって、クラシック初心者でも非常に聞きやすい作品なのじゃ。 ピアニストは常時しらふ、いや違った、ジョルジュ・シフラじゃ。 1950年代後半から「リストの再来」とヨーロッパで称されたお方じゃ。 シフラ氏は旧ソ連支配下時代のハンガリーからの国外脱出に失敗して、3年間も捕虜となって悲惨な経験をしたそうじゃ。 釈放後は酒場のピアノ弾きをしながらリスト音楽院で研鑽を続けた苦労人。 終生、演奏の際には革の腕輪をはめ、捕虜時代の屈辱を忘れないようにしたという。 そんな悲惨な背景を持つだけに、流浪の民にして特殊芸の達人であるジプシーの舞曲がモチーフになった「ハンガリアン狂詩曲」の演奏は、まさにシフラ氏にとってのハマり役、出世作になったのじゃ。 この盤の録音は1956年。 グランドピアノの音色には、まだまだアップライトピアノ的な音の温もりが残っておった時代じゃが、それが「ハンガリアン狂詩曲」が湛えた“哀愁美”と“明日なき狂騒”の二重奏にはうってつけに聞こえるんじゃな。 超絶技巧ピアニストのシフラも、バカテクしたいのを堪えて堪えて(!?)楽曲を慈しみながら弾いておるのが伝わってくる。 しかし後半の「フリスカ」での変幻自在なルバート奏法(テンポ変化の自在な組み合わせ)はお見事。 ジプシーの魂が乗り移っているかのような熱演じゃ。 〜余談〜 あれは2002年。 タイのバンコクでディープ・パープルのコンサートが1回だけあり、当日の記者会見からわしは取材に出かけたんじゃ。 その記者会見ってのがヒドクてな。 「タイ料理は食べたことある?」「知ってるタイ語は何?」「タイの女性はキレイでしょう」とかのバカゲタ質問ばかり。 パープルさんたちも明らかにドッチラケ。 そこでこのわしがカツを入れた! 他のプレス連中が誰も質問しないキーボードのドン・エイリーに向かって、「失礼ですが、あなたはシフラの影響を受けてますね?」とハッタリをかましたんじゃ! そしたら「シ、シ、シフラを知っているのか!」ってクラシック音楽に造詣の深いメンバーたちの眼の色が変わった! それから少しだけパープルさんと音楽に関するやりとりをしたが、その途中ヴォーカルのイアン・ギランなんて、わしに片目つぶって親指立ててくれよった! いえ〜い!! タイ人プレスの皆さん、ゴメンナスゥワ〜イ。 つか、実は隣にいたタイ人カメラマンが「邪魔だよオッサン」みたいな態度を取ってたんで捻じ伏せてやりたかったんじゃ! ■ Trein Mearsk/Icebreaker International ■ このアルバム、このアーティスト、今のところ日本では紹介された形跡がまったく見当たらないので、とりあえず英語表記しておくぞ。 今年4月末にThe-Kingのボスと2人で大酒かっくらって(当日頂いたギャラはきれ〜いに使い切った!)深夜に帰宅した後に、泥酔状態の中でまったくの偶然にYou Tubeサーフィンでひっかかったんじゃ。 ジャンルはひと昔前の言葉で言えばエレクトロニック・ポップスかのう。 Icebreaker Internationalとは、アメリカ人とイギリス人のデュオらしく、今までアルバム3枚発表し、なぜだかNATO北大西洋条約機構という軍事同盟から資金援助を受けている(?)とか何とか、よおわからん二人組。 一応英語のHPはあるんじゃが、わしの英語力では実体がつかめんので、これ以上はご勘弁。 アルバム・カヴァーには、横浜から東シナ海、インド洋、地中海、大西洋を経てニューヨークまで、いわゆる地球半周の長大な航路が描かれており、そこから連想される通り、途中寄港するあちこちの港町の紀行音楽が収録されておる。 しかしカヴァーを飾っているのは巨大な貨物船。 まあ普通のワカゾーのセンスなら豪華客船とかヨットとかにするじゃろうから、あえて貨物船をもってきたセンスに「ほほぉ〜やるな!」と。 実際にIcebreaker Internationalの2人は、貨物船に船員として乗り込んで船上作業をこなしながら、世界各国の港、港の印象を譜面に記していったらしい。 陸路の旅による紀行音楽作品はあったが、航路による作品はあまり聞いたことがないが、そこが本作のポイントじゃ。 紀行とはいえ、スタイルの根本は放浪ではなくて漂流であり、その一貫した受動性がメロディとリズムに不思議なゆとりを感じさせるのじゃ。 なんだか、船乗りだったおじいちゃんの昔話のBGMって感じじゃ。 ■ サハラ・ブルー〜アルチュール・ランボー没後100年追悼アルバム ■ 今回のラストはアル中の乱暴者、ではのうて、アルチュール・ランボーというフランスの文学史上衝撃的な存在として永遠の名声に輝く詩人の没後100年を記念して、ランボーの詩に、世界中のミュージシャンが楽曲を付けたコラボレーション・アルバムじゃ。 その昔、ランボーの日本語詩集の帯には 「見つかったぞ 何が? 永遠が 太陽と融合した海が」 って一節が踊っておったなあ。 中学生のわしは「あんた、そんなんホンマに見つけたんかいな?」と思うたよ。 「僕にはすべてがあった 僕には何もなかった」 って一説もあったな。 やはり七鉄少年は「あるのか無いのか、どっちなんだい!」ってイラついた!?って、こーいう事をヌカすガキってえのは詩的センス・ゼロのしょーもない大人になってしまうって実際なっとるわい!? この作品はサウンド的には、ワールドミュージック、トランスミュージック、現代音楽、環境音楽、前衛音楽のひしめき合い。 参加したミュージシャンの国籍は、アルジェリア、ノルウェー、イギリス、イスラエル、フランス、アイルランド、イラン、エチオピア、そして日本(リュウイチ教授もおるぞ!)であり、これらの国々のナショナルミュージックのメロディエッセンスに乗せてランボーの詩がフランス語、英語、アラビア語、ヘブライ語で次々と歌われ、また朗読されるのじゃ。 こんな風に書くとシッチャカメッチャなアルバムの様じゃが、エクトル・ザズゥーというアルジェリア系フランス人プロデューサーが、この多種多彩過ぎるエレメンツを見事にまとめあげて、ランボーが詩で描いた壮大な世界観&死生観を音楽で再現しようと試みておる。 正直なところ、音楽作品として傑作なのか駄作なのか、わしには分からん。 大体ランボーの詩ですら、象徴的過ぎてわしは分かるようで分からない。 しかしこうしてランボーの詩を敬意と情愛の念をもって音楽化したことは、高価なダイヤモンドに様々な角度から照明を当ててその輝きの本質を披露することにも等しい。 文字の中に眠っていたランボー真意が音楽によって露わにされるスリリングな瞬間がやってきそうな、きそうにないような、そんな期待と興奮がこの作品の本質かもしれない。 叶わぬ夢じゃが、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ジム・モリスン、デヴィッド・ボウイら、ロック界の詩人と呼ばれるロッカーたちに歌唱、朗読をやってもらいたかったのお。 「サハラ・ブルー? さかな辺にブルーで鯖(さば)ですかあ〜」って長島さんゴッコやっとる場合ではないですぞ! 〜余談〜 30年ほど前じゃったか。 「限りない無邪気さから生まれた詩 世界中の詩人たちが青ざめた頃 彼は砂漠の商人 詩なんかよりもうまい酒を・・・ランボー あんな男 ちょっといない」っつうナレーションの入るウイスキーのCMがあった。 あれにはシ・ビ・レ・マ・シ・タ。 お調子モンのわしは、そのウイスキーの虜になり、それまで“積んどく”に過ぎなかったランボーの詩集を読み返したもんじゃ。 あのCMまた見たいの〜と思うておったら、なんとYou Tubeにアップされておった! 是非ともご覧あれ。 大道芸人たちが砂漠で演じるCMのイメージは、この「サハラ・ブルー」の音楽観に通じるところがおおいにあるぞ。 その他にも、詩の朗読アルバムとか、ふる〜いヨーロッパの映画女優の歌モノとか、津軽じょんがら節とか、この時期はロックとは異郷の音楽へ安らぎを求めておる気がするなあ。 誰だったか名前は忘れたが、どっかのライターさんが「昔の芸術家はスランプに入ると、人里離れた奥地にこもって、やたらと難しい哲学書とにらめっこをして日常を遮断しようとする」ってのを読んだことがある。 わしも“5月病”の時は、程度の差はあれ、そんな感じかのお。 まあ誰にも、その人だけの“5月病”ってのがあるじゃろうが、その時は必要以上に現実に悩むことなく、このわしのよう気分転換の道具(異種音楽)を常備しておけば問題なかろう。 現にわしは既に元の自分に戻って、こんな感じで(写真右→)元気じゃぞ! でも一番のカンフル剤は、The-Kingが“5月病”なんかにひるむ事なく、新作を発表し続けておることじゃ。 ボスは奥地にこもることもなく、難しい哲学書を読む事もなく(本当は読んでいたりして!)我らロックファンのために日夜格闘してくれておるからのお。 諸君のお買い物がより旺盛になれば、The-Kingとボスは永遠に“5月病”やスランプとは無縁になるじゃろう! 自分の宝物ロックン・ロール・ファッションの歴史を絶やさないためにも、The-Kingへのご愛顧の念、今後もよろしゅー頼んだぞ! |
七鉄の酔眼雑記 〜ブログに燃えるか、さりげなく生きるか!? ちと驚いた。 近しい友人4人(男性2、女性2。30歳〜45歳)と飲んだ時、何気にみんなブログをやっとる事が判明したからじゃ。 それで職場に行って直近の同僚たち(男性5、女性1。20代後半〜40歳位)にも訊いたところ、6人中4人がやっとると! 有名人の過半数がブログをやっとることは知っておったが、まさか身近な者まで揃ってやっておるとはなあ。 それで調べてみたら、日本語のブログってのは2500万以上存在しておって世界一多いらしいな。 単純に計算して、日本人の5人に1人がやっとるってわけか。 まあ2500万の内、頻繁に更新されとる割合がどれぐらいあるのかは不明じゃが、久々に自分が時代に取り残されていたような気分になったわな〜。 「僕のブログ読んでみて」「私のも必ず見てね」とお願いされることは少なくないが、どれもこれもわしには・・・。 大体だな、どこそこで何を食ったか、何に出くわしたか。 また、こんな物を手に入れました、あんな物もらっちゃいましたなんてのは、それが非日常的な体験であるならば人様に読んで頂く価値はある。 しかし個人の雑記帳の走り書きみたいな内容を、どうして世間に向けて発信するのか理解でけんかったな〜。 まあ最近の若者ちゃんにとっては、ブログというのは自己紹介、コミュニケーションの重要な手段なんじゃろうが、「コイツ、自分のアホさ加減をさらけ出しとるのが分からんのかのお」と首をひねりたくなるようなブログも目につくもんじゃ。 え?アホさ加減を出す事も重要じゃと? 知らんわそんな事! え? アンタは既に出しとるって? ほっとけ! しかしこの度あらためて読ませて頂いたブログの中には、読み応えのあるものがいくつかあったな。 まず誤字脱字が少なくて、話し言葉と書き言葉の使い分けがしっかり出来ておる。 読者への最低限のマナーが守られておるから、基本的に読みやすい。 それから極端に趣味の世界に特化しておらずに話題が豊富。 自分の日常、心情を披歴する時も、その時の周囲の状況、花鳥風月を取り入れて独りよがりにならないような配慮もされておる。 要するに分別のある大人のブログなのじゃ。 おそらく書いておる本人にとっては精神安定作業になっとるんじゃないかと思われるのお。 「七鉄さんは物書きなんだから、ブログなんて造作もないでしょう。 やってみたら?」と誘われたものの、どうしたもんかいのお。 わしはもう何年にも亘って日記は書き続けておるから、デイリーの作業に従事すること自体はしんどくはないじゃろう。 極端な方法としては、日記の中から口外したって構わない部分を抜粋、校正の後にアップさせればブログ更新になるわけじゃ。 でも何と言ってもThe-Kingのこのコーナーをもう5年以上も定期的にやらせてもろうとるから、ネット上の不特定の読者よりも諸君の方が大切じゃ。 それにだな。 別の飲み会でこんな言葉を聞いたので、自分の日常をさらけ出す行為に躊躇しておる−「オフはさりげなく生きていたい」。 71歳にして現役バリバリの会社社長さんのお言葉なんじゃが、それが年寄りの節度ある正しい生き方だと静かに強調されておった。 幼い頃に戦争でご両親を亡くすという不幸を乗り越え、約50年にわたり海外を飛び回って仕事をされてきたという方だけに説得力は抜群! う〜ん、悩むところじゃのう。 仕事以外でも「ワケーもんにはまだまだ負けんゾ!」ってブログで暴れるか。 静か〜に流れゆく雲のように過ごすか。 わしの元々のキャラとしては後者に徹するのは難しいことは分かっとるが、“さりげなさ”は男の大切なダンディズムであることは重々承知しとるしな〜。 もうすぐ我が親父殿の三回忌の法要があるので、墓前で相談してみるかいのお。 まあブログをやるならやるで、「七鉄」とは別キャラで書くじゃろうから、諸君が読んだら驚くかもしれんな〜。 いつになるか分からんけど、立ち上げの際にはお知らせしたいのでヨロシクな! GO TO TOP |