ROCK
FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.134


恥ずかしながら、御歳云十歳の七鉄、震えました・・・

 いきなりワケワカンナイ大見出しとイラストで始めてしまってスマン・・・。
 ある休日の昼下がり。 この七鉄、久しぶりに女性との出会いに激しく動揺してしもうた。 近年記憶にないほどウロタエテしもうたわい。 「けっ おいおいジイサマよ。 いい歳こいて真っ昼間から出会い系サイトかい? おさかんなこったな、まったく・・・」って、おぅ、そうなんじゃぁ〜♪ あまりのセクシードレスに目のやりばに困り、しかもそのアマ、はなっからわしを老いぼれ扱いしよったんで、颯爽とコート脱いでゲットしたてのThe-King新作ナッソーをバーン!とお見舞いしてやったわい!!ってジョーダンじゃねえぞコラァ〜! 出会い系サイトなんざ覗いたこともないし、第一そっちは間に合っとるわい!って何がどう間に合っているのかなんてのはどうでもええ。

 いやいや、例えばだ。 ある日突然にお隣に引っ越してきた女性が「わたしのパパね、昔エルヴィスのバンドでギター弾いてたの」ってサラリと言ってのけたら、諸君はどう反応するか? 「何だとぉおおおおおお〜」と絶叫してしまい、その女性に食らいつくか? もしくは「え? あっエ、エルヴィス・・・コステロね。 ぼ、僕も結構好きですけど」って返すか? 恐らく大半の輩はその発言のとてつもない事実に唖然、呆然としてしまい、絶叫どころか声を失い、冗談どころか言葉も忘れてしまうのがオチじゃろうな。 それが正常な人間の反応ってもんじゃ。 ところで実はな、わしはそれに近い体験をしてしまったんじゃよ。

 たまたまご近所付き合いをすることになったお嬢さんと挨拶程度の自己紹介を交わしたんじゃが、彼女はロサンゼルスから引っ越してきたと言うんで、そこから少々アメリカ談義、ロス談義になったんじゃ。 「ロス行ったことありますか?」と聞かれたんで、「えぇ何度か。 大好きなドアーズというバンドがロス出身なものですから〜♪」と、どーせそんなことを言ったって分かりゃしねーじゃろうとタカをくくりつつも、ついつい口を滑らせてしもうた。
 そしたらそのお嬢さん、何事もなかったかのように、実にあっさりと表情ひとつ変えることなくわしにこう言った。

「あぁドアーズね。 えぇ知ってます。
 
 私の友人のパパはドアーズでベース弾いてましたから」と・・・・・

 ・・・ド、ド、ドドンパ・・・じゃなくて、ドアーズのベーシストじゃとお〜・・・わしゃー一瞬窒息しそうになったぞ。 エルヴィス、ジョン・レノンに次ぐわしのフェイバリット・ロッカーであるジム・モリスンのバンド、ドアーズじゃぞ。 ライオネル・リッチーのコモドアーズじゃねえぞ、こらぁぁ! 15年ほど前まで千葉県にあったスーパーマーケットのドアーズでもねえぞ、おいっ! 世の中には病的な嘘つきってのは結構いるもんじゃが、こういう嘘やハッタリはアリエナ〜〜〜〜イ!
 その後の彼女との会話の記憶がほとんど無いんじゃ。 恐らく、「そ、それはそれは結構なことで・・・」とか間抜けズラしてその場はやり過ごしたに違いない。 わしが業界におった頃は少々似たような出会いがあったことはあった。 しかし今や業界と手を切り20余年。 そのお嬢さんだって業界人でも何でもない。 大体ドアーズだってバリバリの現役バンドではないのだ。 そんな状況においてだな、しかもありきたりの日常生活の中で突如至近距離から発せられたこの言葉。 頭ん中がショートした、真っ白になった、ってのはまさにこんな状態のことを言うんじゃろうな。
 
 しばらくして我に返ったわしは、もうひとつのドデカイ事実に気が付いた。 確か彼女は、ドアーズの2003年のベーシストと言っておったな。 そ、そ、そのお方ってのは、1970年代のブリティッシュ・ロック界切ってのセッション・ベーシストとして名を馳せたフィル・チェンではないかっ!とビックラ・アゲイン!! ジェフ・ベック、ロッド・スチュワートが全盛時代に残した名盤に堂々と名を連ねており、当時のツワモノロック・ファンなら誰でも知っておったベーシストじゃよ。 わしゃ〜もうメ・マ・イ・ガ・シ・タ。 ドアーズ、ジェフ・ベック、ロッド・スチュワートとの距離が一瞬の内に縮まった気がして〜なんて青臭いことは言わんが(ホントはそんな気分か!)、なんかこう得体の知れない高揚感に毎日毎日襲われて仕方が無いのじゃ! 酒が進んで進んでもうどうしようもない!! この気持ち、どうやったら抑えることが出来るのか? いや、抑える必要などないのか? とりあえずどんな形にせよ、このコーフンを対象化して一旦頭ん中から出さんといかんっつうことで、今回この場をお借りしてフィル・チェンのご紹介をさせて頂く事に相成った。 The-Kingのボスも快諾して下さった!
 太っ腹じゃのお〜♪ 諸君、どうかしばしお付き合い下され!


アジア人系ロッカーの誇り! 
ロック史にその名を刻したベーシスト、
フィル・チェンを語らせてくれぇ〜!


◆ドアーズのベーシストに関する基礎知識


 フィル・チェンを紹介する前に、ドアーズとそのベーシストについてのお話をしておこう。 1967年にメジャーデビューしたドアーズには専任ベーシストはおらんかった。 ロックバンドにベーシストが居ないというのは前代未聞、考えられないことじゃ。 じゃがドアーズは、ライブにおいてはキーボードプレイヤーのレイ・マンザレクが左手でキーボードベースを弾くっつう強引な力技でベーシスト不在の穴を埋めておった。 スタジオ・セッションにおいては、時たま臨時のベーシストが呼ばれることもあったが、基本的にドアーズはベースレスで押し通したのじゃ。
 2001年、ヴォーカリストのジム・モリスン死後30周年記念(?)としてドアーズは一時的に再結成。 ジムの代わりにイアン・アシュトベリー(カルトっつうハードロック・バンド在籍)とベーシストを加えてツアーを敢行。 2003年にはサマーソニック出演のために来日を果たし、その時のベーシストがフィル・チェンだったのじゃ。 サマーソニック出演時限定のプレイじゃったらしいが、ドアーズの歴史の中で、キャリアも力量も、唯一際立ったベーシストだったのがフィル・チェンなのじゃ。
 残念ながらわしは2003年当時は東南アジア放浪中だったので、このライブは観ておらん。 じゃが知っとったよ、ドアーズが来日するのは。 でもジムのいないドアーズには興味が薄かったし、当時の最大の関心事は、カンボジアの世界遺跡アンコール・ワットじゃったからな〜。 生粋のロッカー、ドアーズ・フリークのわしとはいえ、人生にはイロイロとあるんじゃよ、イロイロと!  
 

◆フィル・チェンとドアーズとの出会いは38年前

 
“チェン”というファミリーネームから連想される通り、この方の容姿は完全に東洋人。(左写真、右端の人物) じゃが詳しいプロフィールは英字のネットにも登場しておらんから正確なデータとは云えんが、どうやらジャマイカ出身の中国系アジア人であり、60年代にはレゲエ界のセッション・ベーシストとして腕を磨き、1970年代に入って新しい活動の場を求めるべくイギリスに渡ったそうじゃ。 世代的にはビートルズやストーンズのちょっと後ぐらいじゃろう。
 彼の名が音楽メディアに最初に登場したのは、1973年の「バッツ・バンド」に参加した時じゃ。 「バッツ・バンド」とは、ジム・モリスンの死後2年してから解散したドアーズのメンバー2人がイギリスで結成したバンド。 ジェス・ローデンという優れた白人ブルース・シンガーをフロントに置いた渋いブルース&フュージョン・バンドじゃった。 フィル・チェンとドアーズとのジャムはこの「バッツ・バンド」から、実に38年前に始まっていたのじゃ。 フィルはアルバム1枚でバッツ・バンドを脱退。 その後、ゴンザレスっつうブリティッシュ・ファンク・バンドに参加しながら、ジェフ・ベック、ドノヴァン、ポール・コゾフといった当時一流のブリティッシュ・ロッカーとのおびただしい数のセッションをこなしたそうじゃ。 当時はセッションマンの名を正確にクレジットする習慣が希薄だったので、彼の当時の仕事を正確に炙りだすのはチト難しい。


◆その名を永遠にした、ジェフ・ベック、ロッドとのアクション

 フィル・チェンの名がロック・シーンの表舞台を賑わしたのは1970年代中盤からじゃ。 まず何と言っても「ギター・インストゥルメンツの名盤」との誉れ高いジェフ・ベックのファースト・ソロ「ブロウ・バイ・ブロウ」(1974年発表)に参加してからじゃ。 このアルバムは「哀しみの恋人たち」「フリーウェイ・ジャム」「ダイヤモンド・ダスト」といった名曲も多く、当時流行のフュージョンのライトアップなテイストと華麗なロックギターが融合した世のギター野郎どもが酔いしれたアルバムじゃ。
 実は当時わしはこのアルバムがあまり好きではなかったんじゃ。 各楽器のレコーディングが別個に行われ、フィルのベースラインを唯一のガイドラインとして各々の楽器パートを後付け、切り貼りしていった様な違和感が強かったんじゃよ。 これはプロデューサーのジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)のセンスだったのかもしれんがな。 しかし、天下のジェフ・ベックを差し置いてサウンドのセンターに居座るこのベーシストは如何ほどのヤツなのか? 世間様とは別個の理由によって、わしの頭ん中にフィル・チェンがインプットされたんじゃよ。  セッション全体を司る指揮者のような存在がフィルだったということじゃ。

 「ブロウ・バイ・ブロウ」で一躍名を上げたフィルは1975年のジェフ・ベックの来日公演にも同行しており、その後は当時飛ぶ鳥落とす勢いのロッド・スチュワートのバックバンドのパーソナル・メンバーに!  これまた名盤「明日へのキックオフ」「スーパースターはブロンドがお好き」でファンキーで骨太のベースラインを弾きまくり、一気に人気ベーシストになった。 特に世界的な大ヒットとなった「アイム・セクシー」の跳ねまわるようなダンサンブルなベースラインに注目が集まり、楽器マガジンでもフィルの存在、テクニックが盛んに取り上げられておった。 ロッドの1979年の来日公演にも同行し、その模様はNHKの「ヤングミュージックショウ」で放映され、「すげーベーシストがいる!」って日本のロック野郎にも広くその名が知られるようになったんじゃ。
 洋楽ロックバンドの中に東洋人を観るのは、結構な衝撃じゃったな。 その数年前には、やはりロッドのバンド(フェイセス)に迎えられた日本人ベーシスト・山内テツがおったが、そのテツには申し訳ないが、存在感ではフィルの方が断然凄かったもんじゃ。 バンド・サウンドを引っ張っておるのは間違いなくベーシスト、フィルじゃ!と誰の目からもはっきりと分かるオーラがあったのじゃ。


◆天衣無縫のギャロッピング・ベース!
 フィルのベース・プレイの魅力は、わしなりに一言で言えば“ギャロッピング・ベース”じゃ! ロカビリー奏法のあの“ギャロッピング”じゃよ。 そう断言できるほどフィルのベースは力強くて華やかな楽曲の心臓であり、バンド・サウンドを一気にハイテンションなレベルに誘導するエナジーがみなぎっておるんじゃ。 
 またそれがライブだけではなく、家でレコードを聞いているファンにもはっきりと聞き取れる魅力があった。 当時はベース奏者以外にベースサウンドを聞き分けることが出来るロック・ファンってのは稀であり、またレコード再生技術(ステレオ技術)も、大音量で聞かないとベースサウンドまでクリアにできないレベルじゃったので、ベースライン自体が話題になることも少なかった。 そんな時代の中でフィル・チェンは、楽器プレイの経験や知識のないファンにも人気があった珍しいベーシストだったのじゃ。
 そう言えば、当時わしのロック仲間でベースプレイヤーだった友人がこんなことを言っておったな。 「みんな“アイム・セクシー”のド派手なプレイばっかり褒めるけどさ、それは違うよ。 フィルの凄さは“ブロウ・バイ・ブロウ”だよ。 空音(音を出さない“間”)のタイミング、センスがメッチャかっこいい。 ジェフ・ベックのセンスともタイミングがバッチリだしさ。 あれはレゲエのエッセンスだよ。 やっぱりバンドはベースからってのを教えられるよな〜」とかなんとか、わしに懇切丁寧に解説してくれたもんじゃ。 当時のわしは、分かったような分からんような・・・でも知ったかこいて、他のやつには同じフレーズをかましてエラソーにさせてもろた!


◆80年代の2大ロックンロール・フェスに参加!!◆

 
ロッド・スチュワートのアルバム3枚に全面参加した後、フィルはシーンの表舞台から姿を消し、1980年代からは再び多様なセッション活動に従事しておったようじゃ。 彼の雄姿を久しぶりに拝見したのは、1985年の「ロックン・ロール・オールスター・ジャム」。 チャック・ベリーとボ・ディドリーというブルースとロックン・ロールの継承に長年多大な功績を残した2人の長寿を祝うようなロック式典じゃ。 ロン・ウッド、カール・ウィルソン(ザ・ビーチ・ボーイズ)、ケニー・ジョーンズ(元ザ・フー)、ミック・フリートウッド、ビル・チャンプリン(シカゴ)、ジョン・メイオールらのビッネームとともに、フィルも堂々の参加!
 さらに1989年にイタリアのローマで開催されたロック・フェス「レジェンズ・オブ・ロックン・ロール」にも登場。 レイ・チャールズ、B.B.キング、ジェイムス・ブラウン、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、ファッツ・ドミノといったオールドロックン・ロール・ファンには堪えられないものスゴイ出演者たちのバックを務めておる。
かぁぁーー
 80年代は「ライブ・エイド」に端を発するビッグ・ロック・イヴェントがスタートした年代じゃな。 その中でもロックの過去と現代とを結び付けて未来を正しく構築していくための重要な二大イベントにいずれもリズムセクションの一人として参加を要請されたということが、フィル・チェンというベーシストの偉大さを物語っておるのお。 同じアジア民族として誇らしい限りじゃよ、まったく!

 駆け足でフィル・チェンの表舞台の軌跡、功績を紹介してきたが、これを機会に諸君の記憶の中に彼の名が刻まれることを期待するぞ。 まあ「七鉄のご近所さんの友人のパパ」なんてことはどーでもええから、ひとつヨロシクな! 華やかなロック・スターではないが、ロックの歴史に残るシブイ名プレイヤーを紹介する機会はあまりないので、そのきっかけを与えてくれたご近所のお嬢さんに感謝じゃな。 
 ちなみにフィル・チェンの取材目当てで、そのお嬢さんを「偶然を装って待ち伏せ」なんてことは一切しとらんぞ、わしは! 衝撃の初対面以来、たまに顔を合わせてもフィルのフの字も口にしとらんわい。 それがご近所の者としての守るべきエチケットじゃよ。 まあ、相手が女性なんで「失礼のないように」という気持ちが強過ぎているのは自分でも分かるがな。 いつか、自然とその手の話になったら“そぉ〜と”、あくまでも控えめにそっちへ話題をもっていき、諸君が読み応えのあるエピソードをいただけたら、そん時は必ずこのコーナーで真っ先に発表するとしよう。
 
 ところでじゃ。 彼女を介してフィル・チェンまでの距離を一気に縮める策は、実は、あるっ! フッフッフッ、必殺の策がな。 分かるか諸君、それが。 な、なにぃ〜わからんだとお〜バカモノ! 一体何年The-Kingブランドのファンをやっとるんじゃ、キサマラ! カギはThe-Kingファッションじゃよ! 常日頃そいつを全身にかましておけば、自然と彼女の目に入るじゃろう。 そしたら「私のご近所にグレイトなロック・ファッションのおじさまがいるっ!」てなるに決まっておーる! そーなりゃハナシは早い。 その噂がフィルの耳に届くのもそう遠くはないはず!とわしは信じておるぞー。 そーなればこのわしがフィルに徹底的にThe-Kingファッションを叩き込んでやるぞ!

七鉄の酔眼雑記 〜“オレ流”よ、終わるなかれっ!

 プロ野球も最終決戦の日本シリーズに突入しようとしておるな。 それにしても中日・落合監督の辞任は寂しい限りじゃの〜。 わしは中日ファンではないが、落合監督という人物は大好きじゃ。 何でって、現代の日本におけるたった一人の真の「反逆児」だからじゃよ。 周囲に何を言われようといわゆる「オレ流」を貫き、最終的には反対派を黙らせるだけの結果を残すところが、月並みの言い方じゃがスゴイ人物だと感心しておる。
 「反逆」の代表格といえば、一昔前はロックだったのお。 しかし今の若者がやっとるロックとは、ファッションとバンド編成だけがロック的で、叫んでいることは所詮「みんなお手手つないで仲良くしましょう」じゃねーか。 ひで〜のになると、ビジュアル系とか言いやがってキャーキャー騒がれさえすれば勝ち組とか勘違いしとるから、もう何も期待できんよのお。
 「そんな事言ったって七鉄さん。 あんただって周囲に反抗的なガキがいたら、すぐにひっぱたいて常識論を叩きつけるだろう?」とかいわれそうじゃが、そりゃそうじゃ! ふざけたガキどもはもう片っ端から〜っていやいや、わしの言いたい「感心すべき落合流反逆」とは、スタートから周囲に媚びない〜それがブレることなく終始一貫続く〜最高の結果に結び付けるってことじゃよ。 今の日本は、政治家でもスポーツ選手でもアーティストでも学校の先生でも、最初から大衆迎合主義ではあるまいか? じゃから余計に落合監督の孤高の輝きが眩しかったのじゃよ。
 取材嫌い、インタビュー嫌いとして知られる落合監督も、わずかだか記憶に残る“激言”を残しておる。
 「ID野球? ミーティング? その前にオマエラ下手っぴーなんだから身体動かせ」
 「オレの数字越えたら褒めてやる。 まあ一生褒められないってことだけどな」
 「日本のマスコミは野球を理解しようとしないでしょう。 話すことなんてないよ」
 「今どきの子ってのは、責任が自分にあると思わないじゃない? そんなヤツらを自分で考える選手にするのは大変なんだよ」
 こんな発言、ヤリ玉に上げられないのは落合監督だけじゃろう。 まあその代わりに「お客さんが減った」という屁理屈を押しつけられて指揮官の任を解かれてしまった訳じゃが、それでも不貞腐れることなくチームを日本一に手が届く位置まで先導するとは、あまりにもカッコ良過ぎるではないかっ! 今後、もし最下位に沈みっぱなしの横浜を浮上させたり、ナベツネさんにモノ申す球界の権力者にでもなったりしたら、わしは間違いなく落合シンパになるじゃろうな。 オレ流の限界を知りたいのではなくて、もうしばらくオレ流の威力を見せ付けて、日本の「反逆児」から「革命児」になって頂きたいのであ〜る!



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