ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.128

 わしのこのコーナーまでたどり着いたってことは、The-Kingの新作シャツ4タイプは既にチェックしておるな。 うむっヨロシイ! 4タイプの中でも特にわしは淡いレッドとミントグリーンのカラートーンにノックアウトされた! 品性と情熱性がミックスされたあのカラートーンは紛れもなくフィフティーズの産物! つくづくエエ時代だったんじゃなあ〜と遠くを見る目になってもうた。 そこで、過去を偲ぶには格好の機会であるお盆にちなんで、偉大なる故人に捧げられたトリビュート・アルバム(追悼作品)の特集をやってみたい。 お盆は近親の物故者へ祈りを捧げる習慣なので、多大なる影響を受けたアーティストとはいえ、赤の他人を偲ぶ機会ってのは命日になるじゃろう。 じゃが命日は亡くなった方それぞれに異なるので、「トリビュート特集」のタイミングってのは実に難しいもんじゃ。 そこで“当たらずも遠からず”の「お盆」の季節にやってみることにしたぞ!

 ところで「トリビュート・アルバム」や「トリビュート・コンサート」ってもんじゃが、長らくわしは好きにはなれんかった。 肝心の主役が故人だから不在じゃし(当たり前じゃが)、その故人のフリークってのはカヴァーの良し悪しを冷静に評価出来ないもんじゃ。 故人のオリジナルが一番じゃからな! 更に故人を偲ぶとなれば、フリークの想いは千差万別。 そして出演する側もそんなことは百も承知なんで、自分でやりたいように演奏する。 いわば、やる側も聞く側も自分勝手の極地じゃ。
 そんな雑多な異種パワーが混在しまくって収拾のつかない企画って、果たしてトリビュートなんじゃろうか? 「死人に口無し」をいいことに、故人の音楽という華やかな遺跡の周りでドンチャン騒ぎか、お涙洪水儀式をやっとるだけではないかと。 だからわしはそういう企画に賛同することが出来ず、時間も金も使うことはなかったもんじゃ。 さらに本音を言えば、故人の肉体は死すとも、音楽はわしの心の中で生きとるワケだから、「死んだ」とか「ここには居ない」とか再認識させられると、「生きている音楽」が「ナツメロ」にされそうで嫌だったんじゃな。
 1990年代に入ってからかいのお。 トリビュート企画は少しづつマトモになってきよった。 理由ははっきりとは分からんが、要するに故人が亡くなってから適度な歳月が流れたことが大きいと思うぞ。 フリークたちが故人の功績を冷静に振り返ることが出来るようになったってことじゃ。 また企画に出演する者も相応に年齢を重ねたことで、名曲のカヴァーのやり方を会得したんじゃろう。 翻れば、それまでのトリビュート企画の質の悪さとは、時期が早過ぎただけだったのじゃ。 時の流れってのは、愚かな人間に誠に尊い事を教えてくれるもんじゃな!ってなジジイの能書きはもう止めて本題に入るぞ! 


ロック・トリビュート・アルバム・セレクション
 トリビュート企画は、“未来への遺産”として厳粛に開催せよ!

 
厚過ぎる“時代の壁”が崩れるかもしれない熱演!
■ ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル/トリビュート・トゥ・ロバート・ジョンソン■

 まずは今年生誕100年を迎えたロバート・ジョンソンに捧げられた作品から! 今年はいずれアメリカのどこかで大規模なトリビュート・コンサートがあるじゃろうが、これは10年前の90周年記念企画。 当時絶好調だった現役ブルースマンたちによる、ロバートの演奏スタイルに近い弾き語りによる全編カヴァー集じゃ。
 更に20年前、「コンプリート・レコーディング」が発表されて最初のロバート・ブームが訪れた時も同様の企画盤があったが、これら2枚ともわしの周りのコッテコテのロバート・ファンには評判が悪かったもんじゃ。 「オリジナルの方が数段いい!」って当たり前のことから始まり、「最近のブルースマンは分かっとらん!」「1930年代に戻りたいのお〜」って、最後はジジイの小言になっとったな。
 まあ同志の言う通りなんじゃが、でもこう言っては何じゃが、ロバート・ジョンソンの存在が現代のブルースファン、ロックファンの間でブレイクしないのは、残された音源のあまりの古さ、音質の悪さじゃ。 このブ厚い時代の壁をブチ抜いてロバートの世界を堪能するのは容易ではないのじゃ。 それならば焼き直しでもいいから、真剣にプレイされた新しいカヴァーから入っていくのは決して邪道ではないとわしは思うぞ。 入口、辿る道は違っても、行きつく所が同じであればそれでいいではないか、同志たちよ! だからこの2枚はトリビュートというよりも、新しいブルース世代にロバートを伝承していくためのガイドとしての価値を提唱するべきじゃ。
 そして余談ながらもう1枚。 日本のブルーマンたちによる「悪魔に魂を売り渡す13の方法」ってのもある。 地球からどこか別の星に着陸しようとしているロバートをあしらったジャケが印象的じゃが、ロバートと日本人ブルースマンとのあまりにも違い過ぎる次元をシンボライズしておるように見えて仕方ない!?


あの時代に戻れないなら・・・
■ トリビュート・トゥ・エルヴィス ■

 様々なギネス記録があるエルヴィスじゃが、おそらくトリビュート企画の回数でも世界一じゃろう。 極端なハナシ、今日も明日も明後日も世界のどこかで「エルヴィス・トリビュート」が行われておるようなもんじゃ。 そんな中から「これだっ!」ってのをセレクトするのは至難の業つうか不可能じゃな〜。
 エルヴィスを筆頭に、いわゆる“超”の付くビッグ・ロッカーにはひとつの共通点があるな。 それはロックという音楽はもとより、彼らは時代そのものを創造したのじゃ。 わしらは彼らのロックとともに、その時代の息吹ってヤツを存分に吸い込みながら生を謳歌していたのじゃ。 彼らの存在とともに時代の空気そのものが忘れられないんじゃな。
 亡くなった者も過ぎ去った時代も再び戻ってはこない。 でもひょっとしたら似たような時代なら、またやって来るかもしれない・・・なんてタワゴトに近いことをわしはこのトリビュート・アルバムから感じてしもうたな。
 1994年のメンフィスでの追悼コンサートじゃが、最初は「誰でっか?この人は」って思うたヤング・ロッカーや、まだベテランの域には到達していない中堅モンが結構いるのがかえっていいのじゃ、不思議と! 「この若造があ〜」って目くじら立てたオールドファンも多かったかもしれんが、わしは後輩ロッカーの熱過ぎるエルヴィス愛を感じ取ったぞ。 「オレ一人では無理だけど、オレタチが束になればあの時代を再び創り上げることが出来るかもしれない!」という幻想の中でプレイしていたのかもしれんな。 何という美しい幻想。 大歓迎じゃよそういうのは! 天国のエルヴィスも、クール極まりないジャケ写の様に真剣に聞き惚れていたかもしれん! 



参加させて頂いて恐縮です”
■ グッド・ロッキン・トゥナイト~サン・レコード・トリビュート ■

 フィフティーズ・ロック・ファンにはもっとも愛着のあるレーベル「サン・レコード」の設立50周年(2002年)に合わせて企画/制作された同レーベルへのトリビュート盤じゃ。 ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ジミー・ペイジ&ロバート・プラント、ブライアン・フェリー、トム・ペティ等など参加メンバーのネーム・バリューはこの上なく豪華! めまいがしそうなくらいのスゴイロッカーたちが、サン・レコードに残されたロック・マテリアルをリメイクしてみせるのである。
 サム・フィリップスおよびサン・レコードが存在していなければロックン・ロールの登場はもっと後になっただろうし、「エルヴィス登場!」のようなロックのド派手なロケットスタートは無かったかもしれないので、それを重々承知しておる豪華メンバーたちは刃の上を裸足で歩くようなかなり慎重なプレイをしておるな。 ロック界歴戦の強者どもでさえもこのビビり様! これがロック史におけるサン・レコードの重みというものじゃろう。 サンレコードに残された歴史的なロックマテリアルを台無しにしてはならない!という絶対的な使命感のもとに厳粛にプレイされた楽曲の数々。 ロック史に初めて刻された「偉大なる過去への敬意」じゃろう。
 この企画の発案から実現までに2年という歳月を要したそうじゃが、関係者たちがこれだけのビッグネームを説得し、それぞれに適切な演奏曲目を決め、その演奏機会をセッティングするだけでも想像を絶する労苦があったことじゃろう。 そこら辺のオハナシ、ぜひ本にならんかな〜。 特に読んでみたいのは、アルバムの参加者の中で唯一のサン・レコード在籍者であり歴史の体現者であるカール・パーキンスのセッションについてじゃ。 このアルバムの完成を待つことなく1998年1月に逝ってしまったカールのお父さんの最晩年のプレイに違いないからじゃ。  彼のサンレコードへのオマージュの実態をもっと知りたい!


ザ・クリケッツとは、バディ・ホリィだけではありません! トリビュート・トゥ・ザ・クリケッツ 

 ザ・クリケッツの歴史はバディ・ホリィ先生とともにあった。 しかしながら先生がお亡くなりになった後もバンドは存続してヒットを飛ばしていたこと、そしてアメリカでロックが抹殺されかかった1960年代初頭にはイギリスでバディ先生無しで華々しく活動していたことを一般のロックファンはあんまり知らんようじゃ。 これはロック史が語られる上でのとんでもない盲点なんじゃな。 それにいい加減業を煮やした!ってわけではないが、存命中のメンバーたちが、2005年に後輩のフォロワー・プレイヤーを集めて自らの手で作り上げたトリビュート・アルバムがこれじゃ。
 バディ先生の生前、死後の両時期のヒットナンバーをモダンなアレンジで復活させたこのアルバム、日本ではあんまり話題にならなかったが、ザ・クリケッツをロックンロール・バンドの原点と位置付けておるアメリカとイギリスでは評判になったもんじゃ。先生が亡くなってから実に46年後の企画であり、先生の代わりとして、エリック・クラプトン、JDサウザー、グラハム・ナッシュらのビッグネームが、バンドに敬意を表しながら鮮やかにクリケッツと交わっておる。 メインキャストに先立たれたバンドが時々やってみせるトリビュート・スタイルじゃが、ロックンロール、カントリー、ポップスとレンジの広い選曲、演奏がなされており、全盛時と変わらぬ艶やで牧歌的な味わいがひととき「バディ先生不在」の虚しさを忘れさせてくれる・・・そんなアルバムじゃ。 ジャケ写に先生がいないのも、かえって良かったのかもしれんな。


ブライアン・セッツァーの静かなる名演
■ ロカビリー・ライオットVol.1/ア・トリビュート・トゥ・サン・レコーズ  ■

 「あれえ〜? “グッド・ロッキン・トゥナイト”には、なんでブライア・セッツァーが入ってないんだあ〜? どーしてどーしてえ〜??」
 う〜ん、パー太郎君ながらスルドイツッコミじゃのお・・・(汗)。 恐らくブライアンは1999年にストレイ・キャッツで「オリジナル・クール」(フル・カヴァー・アルバム)をやっておることが時期的に関係しておるとは思うがな。 それでこのアルバムじゃが、古くからのブライアン&キャッツ・ファンには評判は今一つのようじゃな。 「オリジナル・クール」でカバーにおいても抜群のオリジナル・センスをかましておっただけに無理もないのお。 要するにこっちはブライアン節の影が薄いからなんじゃな。
 そのとらえ方自体はわしも同感じゃ。 でもこのアルバムに眉をひそめる輩よ、大事なポイントを忘れておらんか? これはカバー・アルバムである前に、トリビュート・アルバムじゃぞ。 まずは追悼するべき者、楽曲ありきじゃ。 そこにドカン!とオリジナル・フィーリングをかましてどうする!ってのがわしの考え。 追悼とはだな、まず今は亡き対象のありし日の姿かたちをそのまま想起して、そこに自らの思いを控えめに重ね合わせて偲ぶことじゃ。 じゃからトリビュート・プレイってのは「自分はあーしたい、こーやりたい!」ってのを抑制しながら、オリジナリティを小出しにしていく成熟したセンスが決め手になってくる。 10の欲望を2〜3しか出さんで聴かせることじゃ。 だから諸君も「イエー!ロックンロール!!」ばっかりではなく、トリビュート・アルバムの妙味を感じ取ることのできる鑑賞センスってのを身に着けてほしいぞ! SUNレーベル出身の往年のロックンロールスターへの敬意そのものであり、これをしかと実行されし、アルバム1枚やってのけたブライアンにあらためて拍手を送ろうではないか!
 「でもVol.2がまだ出ないなあ〜。 どーして〜?」
とまたもパー太郎よ、やかましいぞ! じっくりと機を見計らいながら、様々なトリビュート企画をかましていく予定なんじゃよブライアンは! アルバム「ロカビリー・ライオット」のシリーズは、言わば外野からの雑音に左右されることなく制作を断続的に続行する、ブライアンの今後の重要なライフワークじゃ。 じっと我慢の子のごとく待つようにな!



アイルランドの国民的ロック・セレモニー
■ワン・ナイト・イン・ダブリン〜トリビュート・トゥ・フィル・ライノット■

 ついついオールド・ロックンロールへ傾いてしまったので、新し目の作品もご紹介しよう。 まずは、アイルランドの国民的バンドだったシン・リジーのリーダー故フィル・ライノットへ捧げられた作品。 フィルが存命であれば56回目の誕生日である2005年8月20日にアイルランドの首都ダブリンで開催されたトリビュート・コンサートじゃ。 同日フィルの銅像の除幕式もあったっつうんだから、フィル&シン・リジーの存在は21世紀に入ってもアイルランドでは絶大なようじゃな。
 コンサートを指揮するのはフィルと交友があり、一時期シン・リジーのメンバーじゃったゲイリー・ムーア。  更にシン・リジーに参加した歴代ギタリストのエリック・ベル、スコット・ゴーハム、ブライアン・ロバートソンも続々と登場。 もちろんオリジナル・メンバーじゃったドラムスのブライアン・ダウニーは出っ放し!という往年のファンにはたまらないラインナップ。 国民的儀式に相応しい熱演じゃ!
 シン・リジー・マニアには、歴代のラスト・ギタリスト、ジョン・サイクスの不参加が物足りないところじゃろうが、ヤツが出てくるとすぐにサウンドがへヴィ・メタルっぽくなってしまうので、来なくてよかった! シン・リジーサウンドの基調とは、アイルランド・カントリーとロックンロールのミックスであり、それを適度なエレクトリック・サウンドで楽しむのが正しい姿勢じゃ! ゲイリー・ムーアもメタル調は十八番とはいえ、その辺はきちんとわきまえておる。 その彼も今年初めに亡くなったな。 シン・リジーの為にええ仕事をしてくれていたことに感謝じゃ。


カントリー・ミュージックの真髄を奏でた故人を偲ぶ素晴らしき追悼集会!
■ Return Of The Grievous Angel〜トリビュート・トゥ・グラム・パーソンズ ■

 
前述のシン・リジー以上に日本では無名のアーティストへの追悼盤も1枚いこうかのお。 グラム・パーソンズは1973年に26歳の若さで夭折したカントリー・ギタリスト&シンガーじゃ。 日本ではローリング・ストーンズに本格的カントリーサウンドを伝授した人物として僅かにその名が取り上げられる程度じゃが、アメリカでの支持は絶大じゃ! 平たく言うとだな、カントリー音楽のもつ艶やかさ、切なさを混じりっけ無しに演奏出来て、さらに新しいロック世代へアピール出来るセンスも併せ持った数少ないミュージシャンじゃった。 驚くなかれ黒人ブルースファンにも評価されておったのじゃ。 そのピュアな才能に若死という悲劇が加わって伝説になってしもうたが、死後30年以上も経過した1997年に突然このトリビュート・アルバムが!
 派手な話題の無かった人物だったのでわしもすっかり忘れておったが、カントリーを己の源流とするミュージシャンの魂の中ではグラム・パーソンズの存在は不滅であったようじゃのお〜。 カントリーと言うと、“バンジョーがトンテケトンテケ踊りまくるノーテンキ音楽”と誤解しておる輩よ。 またロックの基本は「ブルースとカントリーだぜ!」なんて知識だけあっても実はよお分かっとらん輩よ。 このアルバムを聴いてほしいぞ。 グラム・パーソンズが残したマテリアルの中にはカントリーの多彩な精神性がぎっしりつまっており、それをかつてのパートナーであるエミリュー・ハリスを初めとした朋友たちや素晴らしき後輩たちが現代に伝えようとしておるのじゃ。 ひょっとしたらカントリー音楽の認識が180度変わるぞ! そういう意味では、単なるトリビュートアルバム以上の価値があるとわしは思うとる!
 なお2004年にはトリビュート・コンサート「リターン・トゥ・シン・シティー」が開催され、こちらはDVDにもなっておる。 出演者がカントリーサイドからが多くてロックファンは戸惑うかもしれんが、ラストのメイン・キャストはノラ・ジョーンズとキース・リチャーズじゃ!

 その他にも、スリム・ジム&リー・ロッカーのスゥイング・キャッツの「トリビュート・トゥ・エルヴィス」、またスコッティ・ムーアがイギリスのアビーロード・スタジオにブリティッシュ・ロック界の重鎮どもを集めて開催した「トリビュート・トゥ・ザ・キング」なんかも名高いのお。 イギリスのアイランド・レコードや、アメリカのアトランティック・レコードへのトリビュート企画も発表当時はおおいに話題になったもんじゃ。
 いまだに、どういうスタンスがトリビュート企画に相応しいのかはわしも断言できんが、少なくとも今回挙げたアルバムの様な、「まず偉大なる故人/楽曲ありき」というスタイルから外れないことを今後も大前提にしてほしい。
 ロックはクラシック音楽と違って、古典が楽譜として残されるような音楽ではない。 録音が可能な時代に生まれた音楽じゃ。 じゃがそれは、歳月が流れるに従い、オリジナル録音は未来のリスナーにとってはどんどん古臭い印象を与えかねないというリスクも生じるわけじゃ。 だからこそ、その時々の演奏/録音水準による、原曲の真髄を損なわない演奏が必要であり、その為にもトリビュート企画は絶好の機会であるべきなのじゃ! 偉大なる過去、故人への敬意、感謝を忘れずにいれば、おのずと素晴らしきオリジナリティは芽生えてくるものじゃ。 何と言ってもThe-Kingブランドが毎度の新作によってそれを証明しておるではないか! 特にラフ・ナッソージャケットを世に送り込んできた来た時、わしは異常に心を打たれたぞ! という事を強調して今回の〆としたい!



七鉄の酔眼雑記 

 依然として衰える気配のない我が国の韓流ブーム。 わし個人はもとより、親族にも友人にも仕事関係者にも韓流はおらんのでまったくの他人事じゃがな。 しかしまあヨン様が騒がれ始めてからもう何年経ったかいのお。 気が付いたら主役は王子様タレントから美脚アイドルちゃんじゃ。 お次は日本のオトーサン方を手玉にとるアダルトお色気路線か!?と思いきや、どうも“クリーム系弟的アイドル”らしいな! ほほぉ〜そうかい。 わしら年配野郎どもは相手にもされていないってことか! それならそれで結構だバカヤロウ!! ってのはまったくのジョーダンであり、なんだか「次のターゲットはこいつらだ」って日本人がカモられまくっているようで複雑な心境でないこともない。
 先日、ついに某俳優さんがキレよったな。 そして彼の韓流ブームを揶揄した発言について、あっという間に騒ぎが起こってデモにまで発展しよった。 引き合いに出されたテレビ局の放映はあんまり観たことないんで、騒ぎの実態はよお分からんが、別にええではないか、そろそろ反旗を翻すヤツが出て来たって。 どうせなら純国産で韓流に反攻できるタレントが出てくるまで喧々諤々やったらよろしい。
 
 わしらの若い頃も海外の芸能ブームがあったよのお。 音楽だけでもロカビリーにビートルズにシャンソンやフレンチポップ、さらにディスコと、まあ10年に一度は何かしらの異国文化のブームがやってきた。 何故それらに日本人は夢中になったのか。 それまで日本にはまったくなかったタイプの新しくて強烈な刺激だったからじゃ。 だからこそ、すぐに「和製なんとか」という日本人フォロワータレントが必ず登場したもんじゃ。
 その点、韓流はどうなんじゃ? 和製ヨン様とか和製KARAっておるんか? 少なくともわしは聞いたこともないが。 和製なんとかがいないってことは、別に韓流は強烈な異国異種芸能ってワケではないんじゃな。 ってことは日本の芸能界が力不足ってことなんじゃろうか? それとも日本の芸能人が失ってしまった古き良きなんとかが、韓国の芸能人にはあるってことなんじゃろうか? まあ一度喰らいついた日本のマーケットをどこまでしゃぶり尽くすことが出来るのか、韓国さんの“ド根性気質”ってのを見守ってみようという気にもなってきたから不思議じゃなあ〜。
 ところで、先日知り合いの若い在日韓国人女性とお話したんじゃが、わしゃ〜ムショーに腹が立った! 失礼ながら彼女の容姿は十人並みじゃが、現代のブームに乗じてプライベートでは自らを「韓国の留学生」と偽っているなどとしゃあしゃあとヌカシやがったのじゃ。 「韓国から来ました」って言うと、日本人男性の態度が変わるんだそうじゃ。 ケッ、日本人もナメられたもんじゃのお〜、つうかアホじゃな、どっちも!



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