ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.127

 なでしこジャパンの快挙を祝して(!?)、ロック史における大物女性を探してみたくなったゾ! 今までも女性シンガー特集は書いたことは何度かあったが、今回は雄々しき名声に輝く勇ましい女性ロッカーを集めてみたい!!
 ところでこの七鉄、“女性ロッカー”には期待した割には肩透かしを食った苦い経験が何度もある。 「アンタねえ〜酔った勢いで外タレ女性ロッカーを口説くなんざ、日本人男性の恥っさらしだな」ってそうではない! 女性ロッカーというより、そのプロモーションにひっかかってしもうたってことじゃ。
 ロック界は圧倒的に“男の職場”であり、女性は絶対数が少ない。 じゃからお着物やレコジャケにおいてビジュアル性が強調され過ぎるんじゃな。 これではレコジャケでサウンドの好き嫌いを的中出来るわしの特技が発揮できんのじゃ。
 また元々の容姿が魅力的だと、すぐにキャリア、実力以上の評判となり、その過剰な報道につい乗せられてまうんじゃな。 結局はレコード会社好みの美人ポップス・シンガーに仕立て上げられ、ロッカー気質に期待していると裏切られてしまうのじゃ。
 しかしある時、これなら大きく外さない!セレクトの基準に気付いた。 それは例えば「女エルヴィス」「女デヴィッド・ボウ
」っつった、ビッグな男性ロッカーの名前が冠にされて呼ばれるという評判じゃ。 ビッグロッカーの名前をおいそれと使うワケにはいかんからのお。 現代のロックシーンならば、男性ロッカーの名前を引き合いに出したりすると「女性蔑視だわ!」とかヤヤコシイ事になりかねないが、80年代くらいまでは「女○○」という冠は彼女たちにとっての賛辞だったのじゃ。
 なでしこジャパンの様に「世界一」「天下をとった!」とまでは言えんが、男社会のロック界の中で、確固たる評判、地位を勝ち得たスゴ腕女ロックンローラーのおなぁ〜りぃ〜じゃ!
念のため書き加えておくが、今回のセレクションには、わしの女性の好みはあんまり反映されておらん。 が、こりゃ〜男性ロッカーとしてThe-King製ショートスリーブ・シャツで襟元正してビシッとせにゃいかんな〜と思わせるクール・レディばかりじゃぞ!
(写真上はジャニス・マーティン、右はクリッシー・ハインド)



 “女エルヴィス”“女ロッド”“女キース”etc。
 ビッグロッカーの名を戴冠された勇ましき女性ロッカーたち!



■ “女エルヴィス” ジャニス・マーティン/ロカビリー3人娘  ■ 
    

 「女エルヴィスなんざがいたワケねーだろうがボケッ!」っつって、狂信的なエルヴィス・フリークからシバカレそうじゃが、いたんじゃよ、本当に。 左のジャケ写真をご覧あれ。 書いてあるじゃろう。 エルヴィスのメジャーデビューと同じ1956年、しかも同じレコード会社RCAからデビューした
ジャニス・マーティンじゃ。 まさに女性ロカビリアンの草分け的存在じゃ。 決してキワモノ的シンガーてはなく、「Will You Willyum」「Drugstore Rock And Roll」「My Boy Elvis」等の列記としたヒット曲もあるのじゃ。 最初のレコーディングには、なんとチェット・アトキンスも参加しとる!  “女エルヴィス”とはチト持ち上げ過ぎじゃが、やたらと威勢のいいカントリーガールであり、スィート&ロマンを演じるのが当時の女性シンガーの相場だっただけに、こりゃたまげましたあ〜という人がさぞかし多かったことじゃろう。
 女性ロック・シンガーの元祖といやあ、もう一人。 前々回八鉄先生が書かれたおった
ワンダ・ジャクソンも1956年にデビューしており、こちらは「ロカビリー・クイーン」と呼ばれておった。 ケバくて迫力のある存在感を放ったワンダの方が日本での知名度は高かったな。 一種下品なこぶし回しは、ロックというよりも黒人ブルースに通じるのお〜。 女だてらに大したセンスじゃ。 「ところで、“女エルヴィス”と“ロカビリー・クイーン”って、一体どっちがエライんだあ〜?おせーておせーて!」というパー太郎君は、八鉄先生に聞くようにな!
 ジャニス、ワンダ辺りの話題をかますならば、もうお一方も紹介しておかんとな! ジャッキー・ディシャノンじゃ。 ジャニスやワンダよりも 断然上品な美人さんであり、わしゃあジャッキーが一番タイプってそんなことはどーでもいいが、彼女もまた1956年デビュー。 歌唱力だけでなく、作詞作曲能力も優れており、女性ロッカーというよりは女性シンガーソングライターの元祖として今も評価が高い。 後年グラミー賞最優秀楽曲賞(1982年「ベティ・デイヴィスの瞳」)に輝いておる! ビートルズの全米ツアーのオープニング・アクトを務めたこともあったのお。
 ジャニス・マーティンを“女エルヴィス”と呼んでしまうにはあまりにも役不足、キャリア不足なんで、ワンダ・ジャクソンとジャッキー・ディシャノンも合わせて登場させたわけじゃ。 エルヴィスと一緒にメジャー・デビューしたロック娘トリオをお忘れなくじゃ! タワゴト、ネゴトみたいな歌詞をこねくり回しとる、どっかの小国の女性シンガーなんざ足元にも及ばない本物の歌ってのをカマシテおる! 


■ “女ロッド・スチュワート”ボニ―・タイラー&キム・カーンズ ■


 ロッド・スチュワートと言えば、特異なシワガレ声とブルース・センスで70〜80年代のロックシーンの頂点に登りつめたもんじゃ。 その最中の70年代末期、同様の声帯を持った女性シンガー、ボニー・タイラーがイギリスのシーンに登場してきよった。 彼女の最初のビッグヒット「愛は哀しくて」が大ヒットしていた頃、わしは丁度イギリスにおり、TVで何度もそのスゴイ歌唱力を鑑賞した。 「こ、こりゃ、ロッドより品性も声量もある!」っつってノックアウトされてもうた!
 ボニ―嬢のスゴイところは、カントリー、ロックン・ロール、ハード・ロック、ロック・オペラ等、もう何でもいらっしゃい!ってなマルチな歌唱力じゃ。 またカヴァー・ソングを歌わせても、原曲の良さを活かしながらも完全に“自分の歌にしてしまう”神がかり的なセンスも併せ持っておった。 女性ロック・シンガーとしての実力はロック史上屈指じゃろう! ボニ―を世界的なシンガーにした作品「スピード・オブ・ザ・ナイト」のプロデューサーのジム・スタインマンは「ボニ―は、存命中のあらゆるプロデューサーのあらゆるリクエストにも応えられる天才的シンガーだ!」と公言して彼女の才能を讃えておった。
  “しわがれ声”の女性シンガーと言えば、当時もう一人
キム・カーンズがおったな。 彼女の歌った曲は1982年にグラミー賞を獲得したが、それが前述したジャッキー・ディシャノンが書いた「ベティ・デイヴィスの瞳」だったのじゃ。


■ “女ロバート・プラントアン・ウイルソン(ハート) ■


 圧倒的な歌唱力を持った女性シンガーをもう一人。 70年代中期から90年代まで活躍したハートの女性シンガー、アン・ウイルソン嬢じゃ。 日本では“金髪美乳”美女の妹ナンシーちゃん(ギター)の方がロック野郎どもの心をとらえておったが、ハートはアンお姉様の歌唱力あってのバンドじゃった。 大音量のロックサウンドと渡り合える腰の据わったブルースロック唱法、どこまでも昇っていく様な高音域の広さと美しさは、まさにレッド・ツェッペリンのロバート・プラントを彷彿とさせた! アンご本人もツェッペリンの大ファンらしく、ライブではよくカヴァーをやっておったが、これが当時の日本にもたくさんおったツェッペリン・コピーバンドに聞かせてやりたいような素晴らしい出来じゃったなあ〜。
 70年代の個性派ロック時代、80年代のスタジアム・ロック時代&アンプラグド時代、どんなブームになろうともハートがシーンで生き延びることが出来たのは、ひとえにアン嬢の極上の歌唱力の賜物じゃ!
 しっかしだ。 80年代中期から太り始めてしまい、ついにはマツコデラックス×2みたいな巨体になってしもうた。 若い頃のイカシタ姐御キャラを知っとるだけに「そりゃ〜ねーだろう!」じゃなあ。 逆に妹ナンシーは今でも可憐でお美しく、映画監督の名匠キャメロン・クロウの奥様となった。 アンは巨体を揺すりながら今もシーンで歌い続けておる。 女性としてどっちが幸せなんじゃろうか?


■ 女デヴィッド・ボウイケイト・ブッシュ ■

 時は1977〜8年あたり。 パンクで大騒ぎしていたイギリスのロック・シーンが、まったく別のコトでまたまた大騒ぎをしよった。 この七鉄が初のロンドン入りを果たしたからじゃ!
これは残念ながらスルーされてしまったのお・・・。 いやいや、「ロック史上空前の天才少女現る!」って、そりゃもう大変な事件になった! その天才少女ってのが当時19歳のケイト・ブッシュ嬢じゃ。
 何でもピンク・フロイドのギタリスト、デイブ・ギルモアがEMIレコードのオフィスを訪れた際、偶然ケイトのデモテープを聞いて「な、なんじゃあ〜この娘は! こりゃ天才かキチガイだぜ!」と叫んだらしい。 ギルモア殿の叫びにEMIの上層部は即座に動いた! 大金はたいてケイト嬢を囲い込んでエンコーじゃなくてだな、1年間じっくりと曲作りと歌のレッスンをさせて、満を持してデビューさせたんだそうじゃ。
 高音域を転げまわる摩訶不思議な歌声。 詩人も吹っ飛ぶ様な独創的な歌詞、古い映画音楽への造詣を思わせる深遠なメロディー、パントマイムを採りいれた演劇的なステージアクション。 空前絶後の超ド級の個性派シンガーとして、ケイト嬢はあっという間に時の寵児となった!
 当時のイギリスのマスコミもこの天才少女をどのように形容していいのか分からんかったようで、そこで付けられたのが「女デヴィッド・ボウイ」。 ケイトがパントマイムを学んだリンゼイ・ケンプ劇団に、かつてデヴィッド・ボウイも在籍していたこともあり、その無限の才能が讃えられてそう呼ばれたもんじゃ。
 79年じゃったか、ケイトは 「東京音楽祭」出演のために生涯唯一の来日をしよった。 観に行ったよ、わしは! 他の出演者はゼンゼン覚えておらんぐらい衝撃的、宇宙的なステージじゃった。 そしてセイコーのCMにも登場! あまりのスゴイ個性に、宣伝商品を完全に喰ってしもうた前代未聞のCMじゃった!  


■ 女モーターヘッドガールスクール ■

 現在も存命中であり、活動歴かれこれ30年を超える女性へヴィ・メタル・バンド! 最初にこの名前を聞いた時、「なにガールスクールだとぉ〜? 女学校って、キャバレーみたいな名前じゃのお」と吹き出しそうになったが、まさかこんな長寿バンドになろうとはなあ。 あらためてデビュー当時の写真を見直してみたら、なかなかの面構えっつうか、とてもキャバレーでホステスが出来そうなお嬢さん方ではないのお〜って大きなお世話じゃな。
 モーターヘッドとは、今で言うスピードメタルのゴッドファーザーじゃ。 1分間1本勝負!みたいな爆走爆撃サウンドじゃったが、ガールスクールはそんなモーターヘッドから終始一貫して様々なサポートを受けて今日まで続いておる。 サウンド的にはモーターヘッドよりもレンジの広いメタルなんで、「女モーターヘッド」というより「妹分」と言った方が適切かもしれんな。 近年のショットを見ると相変わらずシャープなボディで挑戦的なポーズをキメとるな。 そのメタル熟女っぷりに拍手じゃ。
 余談じゃが、1982年にわしがイギリスに行った際、ロンドンの酒場でガールスクール・マニアの女の子たちと出くわしたことがあった。 どうせノーテンキ・パー子の狂暴ヴァージョンだろうと気軽に話しかけたら、何と「昼間は大学生なのよ!」って学生証を見せられた。 「勉強がきつくてきつくて死にそう! パンクなんかより、ガールスクールの方がストレス発散にサイコーよ!」とか何とか言いながらビールとタバコをたかられまくったなあ。 


■ 女キース・リチャーズクリッシー・ハインド(プリテンダース) ■

 「女キース」なんて、レディに対して失礼なんじゃないか?と最初は思ったぞ、わしは。 アル中でヤク中のロックン・ロール・ジャンキーじゃったからのう、キースは。 でもこれはわしの勘違いじゃった。 クリッシーは、男性バンドを従え、リーダーとしてフロントに立つ女性ロッカーのいわば先駆けであり、更にサイドギターに作詞作曲、スポークスマンとしての役割まで、まさに八面六臂の大活躍をするオネーサマ! その男勝りの仕事っぷりに加えて、テレキャスターが似合うクールな立ち振る舞いや、自分のスター化をどこかで拒絶している様なニヒルな存在感、それらを全てをひっくるめて「女キース」と言われておったんじゃ。
 クリッシーは元々はイギリスの音楽誌「ニューミュージック・エクスプレス」の記者じゃった。 業界の裏も表も知り尽くした様な倦怠感をデビュー時から漂わせており、それが彼女自身や彼女が書く楽曲の魅力を倍増させておったな。 「こういうのどう? アンタ好きでしょ。 やったげるからゼニよこしなさいっ!」みたいな! 
 御覧の通り、決して美人ではないが、スリムなボディと鋭角的なマスクは現在でも維持しておるところもご立派じゃ。 有名なコメント「アタシは洗いざらしのジーンズみたいな女。 でも生まれ変われるなら、やっぱり天使の様なフランス人がいいわ!」ってこれ、本音かいのお? 女ってのは複雑な生き物じゃの〜。 いやシンプル過ぎるのか!? 男性のわしがゴチャゴチャ言ってもショウガネーので、最後に同性の後輩シンガー・マドンナからのクリッシー賛辞を。
「彼女はタマを持っているのよ。男の世界で自信を持ってやっている彼女から、私は勇気と霊感をもらったのよ」


こうして列記してみて初めて気が付いた! 最初のロカビリー三人娘以外は、全員70年代後半のデビューじゃな。 マンネリ化していた70年代のロックに新風を吹き込んだのは、パンクだけではなかったのだ。 この勇ましいお嬢様方もまた、ロックの新しい歴史を作っていったのじゃ。 ジャニス・マーティンやワンダ・ジャクソンも、自分たちの花の盛りから15年あまりのブランクがあったとはいえ、ロック界への女性進出を喜んだに違いないじゃろう。


 どうじゃ。勇ましい女性ロッカーたちのお姿に、諸君の背筋もピシッとしたことじゃろう。野郎がしっかりせんと、女性の方がどんどん逞しく・・・ってな当たり前のお説教は止めておこう。 まずは、背筋が伸びたボディをThe-Kingのショートスリーブシャツでキメることが先決じゃ。 2011年夏の戦闘着はThe-Kingに任せておけばええので、あとはそいつを着用して本物のロックスピリッツに磨きをかけることじゃ!(右写真はエルヴィスとワンダ・ジャクソン)




七鉄の酔眼雑記
 〜投手戦の意外な波及効果!?

 話題沸騰のサッカーもええが、毎年夏になるとわしはプロ野球観戦に行きたくなるんじゃ。 学生時代は、夏休み中だけで10〜15試合は観に行っておったかのお。 今は無き後楽園球場や川崎球場。 外野席が芝生だった頃の神宮球場。 完成直後のピッカピカの横浜球場。 時には小さな県営、市営球場まで行って二軍の試合も観たもんじゃよ。 「ど〜せビール飲みまくりながら野次飛ばしていたんだろう」と思われるかもしれんが、わしは野球場ではおとなしいもんじゃ。 もちろんビールはたらふく飲むが、じっくりと観戦していたんじゃ。 元投手(!)だけに、プロ野球の試合自体が好きだったんじゃよ!
 じゃが1990年代ぐらいからはあまり球場に行かんようになった。 理由はただ一つ、応援団がウザくて仕方がないからじゃ。 ロックのお陰で大音量には耳が慣れとるわしじゃが、試合の状況なんざお構いなしに騒いでおるあの応援姿勢が理解し難く、調子っぱずれで幼稚なトランペットによる選手のテーマソングなんざ聞いてられん! 神経を逆なですることこの上ないのじゃ。 あのどんちゃん騒ぎは、東京六大学野球の華である早慶戦での両校の応援合戦が基本になっとると聞いたことがあるが、ホンマかいな? わしは早慶戦が学生野球の花形だった時代に体験した事があるが、もっと起承転結があって色彩感豊かな応援合戦だったぞ。 応援合戦を観るために金を払ってもいいほど見事に完成された芸じゃったぞ。
 しかしサッカーの応援のやり方まで導入されたという最近のプロ野球の応援団は、もう支離滅裂の集団ヒステリーとしか思えんってことは、わしも歳を取ったということなんじゃろ。 でも元来野球とは、複雑なルールの上に静と動が巧みに絡み合って成立するスポーツなんで、終始一貫した大騒ぎは勘弁してほしいところじゃ。

 そんなわしじゃが、 先日数年ぶりぐらいに東京ドームへプロ野球観戦に行ったんじゃ。 今年のプロ野球は例年になく“投高打低”であり、元投手のわし好みのシーズンなんで、中日ファンの友人にさりげなく頼んでおいたら、忘れかけていた頃に巨人-中日戦S席ゲットの朗報を届けてくれよった。 この友人は関西出身であり、「阪神も嫌いじゃないが、阪神応援団が嫌い」という変わり者だけに、わしとも少々気が合う性質じゃ。
 ゲームはわしの期待通りの投手戦となり、終盤になって両チーム2〜3点づつ取り合って適度に盛り上がったエエ内容じゃった。試合時間も3時間ちょっとで申し分なし! 友人は中日が勝って上機嫌。 お互いに満足しておる中身が全然違うが、試合終了後は気分よく居酒屋へ〜♪
 さて居酒屋で気が付いたんじゃが、二人とも応援団のバカ騒ぎがあまり気にならなかったんじゃ。話し合った結果、「投手戦だったので得点チャンスが少なく、応援団のボルテージが上がる時が少なかった」という意見に落ち着いたんじゃ。 我々は“投高打低”の副産物というか、思わぬ波及効果までを実感しておったワケじゃ。 
 「野球は投手が投げることでスタートする競技」であり、「好投手をいかに打ち崩すか」で発達してきた競技じゃ。つまり投手主導であるべき!というのがわしの自論。 そんなわしの自論が耳障りな応援団まで牛耳ったようで愉快じゃったな〜♪ そう、投手がしっかりすれば、試合時間も短縮されて省エネにもなるし、応援騒音もダウンして球場や観客へ優しい環境にもなる。そして何よりも選手が落ち着いて野球に取り組むことが出来て、野球そのものの質も上がる。 大観衆がギャースカわめき散らす騒音公害の中でボカスカ打ちまくる狂騒野球時代も、そろそろ終わりを告げてほしいもんじゃ。


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