ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.123

 GWの開放Dayにはたくさんのお方がThe-Kingオフィスを訪ねて下さったようじゃが、それにしても写真を拝見すると、お見事!なリーゼントをキメておるクールな方々が実に多いことじゃ! 当たり前じゃがのお!! しかもリーゼントの先生までいらしたというではないか。 
 しかし今更じゃが、リーゼントとロカビリー(50sロック)ってのは一身同体じゃのお。 パリとエッフェル塔、ロンドンとビッグベン、ニューヨークとエンパイア・ステートビルみたいなもんじゃろう。 ロック史の中でもこれほどファッションとサウンドとが切り離せないパターンは無いじゃろうな! リーゼントでへヴィ・メタルをやっても、ロンゲでロカビリーやっても、やっぱりミョーなもんじゃろう。 それほどリーゼントとロカビリーとは絶対的なカップリングじゃ。
 しかしどんな事にも「例外」というのは存在するもんであり、リーゼントでロカビリーをやらなかったロッカーというのは、ごくわずかじゃが、やはりおったんじゃ。 今回は、そんな「異端児ロッカー」をご紹介してみたい。 
 というのも、この七鉄、長年披露してきたロンゲにオサラバしようと、色々ヘアスタイルを模索中なんじゃ。 このままでは「デキソコナイのジジイ」になってまうんでな。 まあ「女性への強要容疑」なんてアホなことはわしはやらんが、ああはなりとうない。 思い切ってリーゼントにしてもええが、なんせ身近に皆様がおるわけだから、勝負はやる前についておる
トホホ・・・。 んでショート/リーゼント風スタイルに一味違ったフレーバーがほしいこともあり、そんな視点からロック史を洗い直しておるので、ちいとばかりお付き合い下され! おNEWのラフ・ナッソーをまたまた見せ付けられては、アタマの先までキメてみたくて仕方がないわい! The−Kingの新作パワーのお陰で、わしもヤングに戻った気分なんで、諸君もどうかリラックスしながら楽しんで読んでくれい!
(写真上は、プリテンダースのピート・ファードン、写真右はわし!じゃ といいたいとこじゃがデヴィッド・ボウィ) 


ロカビリー・ソウルを胸中深く留めて、
 「ネオ・リーゼント/ショートヘア」で異種ロックしていた野郎ども!



■ ポール・シムノン&ミック・ジョーンズ(クラッシュ) ■ 
    

 ネオ・ロカビリー・ブームが訪れる前の1976〜7年、実に“意外”な連中にロカっぽいヘアーのロッカーがおった。 当時イギリスで大爆発したのパンク・ブームを牽引していたクラッシュのポール・シムノンとミック・ジョーンズじゃ。 あまたのパンク連中は、「アンチ・ロン毛」としての短髪を気取っておったが、彼らだけは違った。 何が“意外”って、既成のロック業界、ロック概念を叩き潰す!ってのがパンク最大のテーマなのに、ヘアスタイルの基本がフィフティーズ・スタイルだったからじゃ。
 しかしフィフティーズ風、リーゼント風とはいってもその荒々しい仕上げ具合は、まるでコームの代わりにカミソリか短剣でも使っておるようなヒリヒリした感じじゃった。 とてもエルヴィスの美しい艶とラインと同一視することはでけんかったなあ〜。 それまでリーゼントとは代表的な「キメまくりヘアスタイル」じゃったが、彼らはそこにワイルド&イノセントといった新しい息吹を吹き込むことで伝統的スタイルを蘇らせたというべきなんじゃろう。
 特にポール・シムノンのショート・カットはかっこよかった! 後頭部への流れがかろうじて残るギリギリまでサイドを刈り込んでみたり、トップを荒々しく屹立させたりしていた独自のスタイルは、後のカルト的ネオロカビリー・ブームのサイコビリーをやる連中の憧れのスタイルじゃ!
 クラッシュ・サウンドは一部にピュアロカビリーからの影響を感じ取ることが出来るものの、それはミック&ポールのヘアスタイル同様に、ほのかに香るフィフティーズ・フレーバーといったとこじゃ。 彼らはスタジオ・ワークもライブも毎回毎回真剣勝負しておったが、真剣になればなるほど影響を受けたものがにじみ出ていたっつうこっちゃ!



■ グラハム・ボネット(レインボウ他) ■

 おうっ! なんや“横山のやっさん”やないか! アンタ英語名あったんか。 そういやアンタもロック的な無茶苦茶な生き方しておったなあ〜。 まあ、あの世ではあんまりきばらんと・・・って違うわいバカモノ!
 1980年へカウントダウンが始まる頃、我らがブライアン・セッツァー殿率いるストレイ・キャッツがデビュー! それは「ネオ・ロカビリー・ブーム」に繋がり、ロックシーンの中でリーゼントは復活を遂げることになるのじゃが、約1名だけ大爆笑もののリーゼント野郎が出てきおった! それがグラハム“グラサン男”ボネット君じゃ!
 なんつったって、ネオロカではなくてへヴィ・メタル・バンド(扱い)のレインボウの新ヴォーカリストとして突如登場したからそりゃあたまげた! わしのロック・フレンズたちは一様に「誰だこの大馬鹿野郎は!」っつって大笑いしておった。 メタルにリーゼントなんて前代未聞、ミスマッチの極致じゃ!
 ところがこのグラハム君、歌唱力が凄かった! 5オクターブともいわれるトンデモナイ声域と地声のデカさで、評判はあっと言う間に大逆転! 「お笑いリーゼント野郎」から「最高のハードロックシンガー」に祭り上げられた! やっぱり男ってのは仕事がデキてナンボじゃのお〜。 もっともライブでは時々声がデカ過ぎて?伴奏が聞こえず音程が外れるっつうズッコケ君でもあったのお。
 実はグラハム君は、ジェームス・ディーンが大好き。 The−Kingの「レベル・ジャケット」にも即座にオーダーをいれてきた!ってのは冗談じゃが、ヘアスタイルを含めたファッションはすべてジェームス・ディーンを意識しておるという。 レインボウの後は、マイケル・シェンカー・グループ、アルカトラズ、インペリテリ等のメタル・バンドを渡り歩くことになるが、現在でも「メタルは仕事さ。 ファッションはジェームス・ディーンでいくよ!」をひたすら貫いておる!



■ クリス・スペディング ■


 このリーゼントっつうか、バイカーヘア的にキメとる男を知っとったら、かなりのロック通じゃぞ! 1970年代初頭からシーンで唯一このヘアスタイルで頑張っとったクリス・スペディング殿じゃ。 ロックとジャズとの両分野でセッションギタリストとして活躍しておった、いわゆるひとつの通好みのロッカーなんですねえ〜♪ってわしはナガシマさんじゃねーぞ、こらぁ!
 日本でその名が知れ渡ったのは、曲の中でチャック・ベリー、ジミ・ヘンドリックス、ピート・タウンシェンド、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジョージ・ハリスンなんかのモノマネプレイをやる「ギター・ジャンボリー」を発表してからじゃったな。 とにかくビッグギタリストのクセのコピーはお笑いのゲイジュツじゃった! 
 まったくもっておびただしい数のセッションをこなしていて、ソロ活動よりもセッションの収入の方が多かったっつうロック史の中でも稀な存在じゃったが、ヘアスタイルだけは一貫してコレにこだわっておったのお。 やる事成す事全てが異彩を放っておったもんじゃ。
 しかしこの写真のネップ調のジャケもキマっとるなあ〜♪ アンダーの襟の立て方なんかもフィフティーズ入っとるなあ〜。 
 お歳を召してからも俄然お元気のご様子で、カスリのラフナッソー的?な装いで「ギタージャンボリー」をやっとる映像には驚いた! こういうフィフティーズ魂は“ある意味”で実に心強い!


■ デヴィッド・ボウイ ■

 アルバムの数だけサウンドもファッションもイメチェンするデヴィッド・ボウイ。 ヨーロッパ人、アメリカ人、同性愛者、両性具有者、宇宙人、半獣人等など、とっかえひっかえ、なにをやってもキメテみせるニクイやつ! そんなボウイがやっていなかったスタイルは唯一オールドファッションへの回帰じゃったが、1983年ついにヘアスタイルをリーゼント風にしてみせた! オフショットではたまに見かけていたから別段驚きもしなかったが、公の場でのリーゼント・スタイルはこの時が初じゃった。
 当時ボウイは、自分自身をヨーロッパにおける「ロックスター/カルトヒーロー」と認識していたようで、新しい変革とは「キング・オブ・エンターテイナー」と決め付けていたそうな。 エルヴィスのようにラスベガス進出を目指していたかどうかは知らんが、「これからはダンスの時代」とかワケワカンナイことを公言して、アルバムはダンサンブルな「レッツ・ダンス」。 リーゼントにして臨んだワールドツアーは2部構成で、1部は過去のベスト選曲、2部は「舞踊会的演出」といった大がかりなものじゃった。 それだけ当時のボウイはマジで「ロックスターからエンターテイナー」への転身を目論んでおった。 いわば、その決意の証がリーゼントだったのじゃ。


■ モリッシー(ザ・スミス) ■
 「ぇえ〜? これってぇ〜エルヴィスちゃまの追っかけオジサンでちゅかあ〜?」ってパープリンギャルはひっこんどれ、あほんだら! このお方は80年代にイギリスの失業者やひきこもりの若者たちに絶大な人気を博したザ・スミスのヴォーカリスト、モリッシー君じゃ。 「本当はエルヴィスみたいにしたかったけど、僕、ハンサムじゃないんでね・・・」と公言しておったが、なかなかどうしてオリジナリティを感じさせるネオ・リーゼントじゃったな。
 モリッシーは、エルヴィスを初めとするフィフティーズ前後の音楽、映画、文学に完全にカブレテおったが、自らが書き上げる歌詞は、行き場を失ったブリティッシュ・ヤングの深層心理を赤裸々にすくい上げるような、表面的には「ボクちゃんカワイソー」ってなプロレタリア文学であり、あんまりロック的ではなかったな。 しかしこのヘアスタイルのこだわりは、「若者が自由で活き活きしていた時代」を取り戻そうとするユートピア嗜好のシンボルだったのじゃ。 ちなみにザ・スミスは、ジョニー・キャッシュを師と仰ぐギタリストのジョニー・マーのプレイもフィフティーズ・ロック・ファン必聴じゃぞ。


■ ピート・ファードン(プリテンダース) ■

 最後は、クール極まりないリーゼントをキメながらも、薄幸の人生を辿ってしまったお方を。 70年代後半のロックシーンの中で、唯一オールドスタイルのリーゼントをキメておったのがプリテンダースのベーシスト、ピート君じゃ。 (左写真左から2人目って、見れば分かるな!) “女性キース・リチャーズ”と言われた姉御肌のロッカー、クリッシー・ハインド率いるプリテンダースは、イギリス伝統のパブ・ロックとオールド・ポップスをミックスしたサウンドが売りだったが、ファッション性は割とオオザッパ。 それだけにピートのフラップトップを強調した見事なリーゼントは印象的じゃったな。 ポマードのテカリ具合も実にクール! これでウッドベースを弾いていたら、ハンサムガイじゃっただけに、リー・ロッカー殿よりも数段クール!だったかもしれんが、残念ながらリッケンバッカーを弾いとったなあ〜。
 惜しいことにこのお方、1980年にドラッグで命を落としてしまい、メジャーに成り損ねてしもうてロッカーとしての詳しい資質が話題になることはなかった。 しかしあの見事なリーゼントを思い出すと、プリテンダース・サウンドの中にフェロモンのごとく漂う、郷愁のようなオールドファッション・アレンジを指揮していたのは、案外この人だったんじゃないか?と・・・。 

 こうやってあらためてセレクトしてみると、みんなロッカーとして超個性派じゃのお〜。
 ネオロカビリーのフィールド以外でリーゼント/ショートヘアーをやるっつうんだから、そりゃあ単なる目立ちたがり屋ではなくて、自己主張が異常に強くて自分に自信があるヤツじゃ。 しかも全員イギリス人じゃな。 本流(アメリカ)よりも支流(イギリス)の方が、時には刺激的な展開が生まれるっつうことかのお。 いやいや、ロカビリー普及のためにイギリスで孤軍奮闘しておったジーン・ヴィンセントの不滅の魂が、こんな形でも花開いておった!と言った方がスリリングじゃな。 
 しかし彼らがそのヘアスタイルに込めた真のスピリッツというのは、フィフティーズ愛以上に、一体何だったんじゃろう。 それはやはり「俺が文化を、時代を作る!」という強烈な自我の表れだったに違いない! あ〜彼らの全盛時代にThe−Kingのファッションを贈呈したかったもんじゃ! その代わりと言っては何じゃが、諸君がThe-Kingアイテムでロック武装して新しい時代を創ってくれい! ヨロシュー頼んだぞ。 一刻もはようラフナッソーの全ラインナップをカートに放り込むのじゃ!!     
 


七鉄の酔眼雑記 〜白く染まれ

 これもいわゆる“老化現象”か。 そろそろ春から夏への季節の変わり目を迎えるが、どうも人様の訃報が目についてしまうのお。 前回はスーちゃんと下町のエースじゃった元ロッテの成田投手の訃報について触れたが、同時期に亡くなった世界的な著名人に関する思い出話にもちょいとお付き合い願いたい。 去る4月24日、インドの宗教指導者、霊能者じゃったサイババ氏が84歳の生涯を閉じた。 「サイババ崩御」の報をインターネットで知った時、わしはすぐさまフィードバックしてきた言葉がある。 「白く染まれ」じゃ。
 12〜3年ほど前、わしがインドを放浪しとった頃のこと。 かなりの「困ったオトコ」に付きまとわれておった。 こやつは日本人旅行者なんじゃが、タイのバンコクで知り合ってからわしからずぅーと離れんのじゃよ。 最もウザかったのは、ヤツが病的な嘘つきだったことじゃ。 アジアを放浪しとるに、場違いな欧米での武勇伝をかましまくり、将来はニューヨークで輝かしい地位が約束されとるとフイテおった。 途中から前後の話の辻褄が合わなくなっており、明らかに虚言癖のひどい人間であることが分かったんじゃが、とにかくわしから離れることのなく、ついにインドまで付いて来てしまったのじゃ。
 インドに入ってから二週間ほどしてわしは体調が好ましくなく、嫌なヤツに気を遣うことがどうにも億劫になってきたので、「いい加減、わしの一人旅を邪魔するな」とシャウト!まではいかんが、それなりに荒っぽい語気で迫った。 するとヤツは何を血迷ったのか「それならサイババに会いにいく!」と言い出し、翌日わしは西インドへ、ヤツは南インドへとようやく進路を分けることになった。 「なんでわしがダメとなったらサイババなんじゃろう?」と不思議じゃったが、即座にサイババが滞在しておるという南インドへのチケットをゲットしておったので、ヤツは本当にサイババ氏の所へ行くつもりだったんじゃろうな。

 それから半年後、バンコクに戻ってアルバイトをしておったわしの前に再び現われたヤツは、「サイババ氏から“白く染まれ”と言われたんですけど、どういう意味なんですかね?」と誇らしげに、そして珍しく神妙に語っておった。 ヤツの場合は「サイババ氏に会った」「御言葉を頂戴した」ってこと自体が本当なのか? 虚偽だとしても、ヤツに「白く染まれ」なんてフレーズをでっち上げられるセンスがあるのか? 相手が相手だけに事の真相を問い正すことはムダなんで、テキトウな返答をしておいた。 あれからわしはヤツの他にも、詐欺師同然の「病的な嘘つき」に出くわすハメになったが、ヤツを含めて彼らは改心することはいまだになく、聞くところによれば現状は悲惨なようじゃ。
 サイババ氏崩御の報とともに、彼らの顔がクローズアップされてきた。 そして「白く染まれ」という言葉。 難しく考えることはないじゃろう。 数知れない「嘘」で身を固めておかないと、まるで日常生活を送ることが出来ない彼らにはもっとも相応しい言葉ではないじゃろうか。 わしも、髪の毛を真っ白に染めるまだまだ先のハナシじゃが、ありもしない過去の武勇伝をかます「嘘つきジジイ」にだけはなってはならんと襟元を正した次第じゃ。 それにしても、果たしてこれはサイババ氏の言葉なのじゃろうか?


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