ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.122

 前回は久しぶりに女性にテーマを絞った(ロックスターの女3人衆)んで、なんだか気分が晴れやかになったじゃろう! わしもそうじゃ。 日本という国も我々の生活も、大分普通に戻ってきたところへ、この度のThe-Kingの新作、涙モノの「トゥーフェイス・シャツ」の登場じゃ。 ロックンロール・フィーリング完全復活の日は近い! よし、さらにわしが焚きつけてしんぜよう! 今回も「ガール・ガール・ガール」でいくぞお〜!
 「けっ! このエロオヤジめが。 陽気にウカレてついに本性を現しやがったな!」とか言いながらも「ほっほぉ〜ではイッチョ超セクシーどころを頼むゼ!」とエロイ期待をしおったな、バカモノ! 歳食って人生開き直っておるとはいえ、エロオヤジに成り下がるようなわしではないぞ! 
桃色酒場には行っとるがのお。 一気に走り出したところじゃが、しばし待て。 焚きつけ専門!?のわしじゃが、今一度冷静なテーマを送っておくぞ。
 時をさかのぼること約40年、1970年代初頭、ブリティッシュ・ロックシーンである特殊な現象が起きたんじゃ。 それはだな、清楚なフンイキを身にまとった女性シンガーたちが続々と登場したんじゃよ。 皆さん揃いも揃ってお美しい歌声であり、一様に「天使の声」「聖なる歌」なんて表現されておった。 しかも綺麗なストレートヘア、知的なお顔立ち、すらりとしたプロポーションが多くてな。 本当にロックシーンに天使たちが次々と舞い降りて来た!って感じじゃったよ。 
 わしは昔っから女性の甘い囁き、いやいや、美声っつうのに弱くてのお〜♪ 彼女たちの美声のお陰で、好みの音楽フィールドが随分と広がったもんじゃ。 記憶にあるシンガ―たちを一気にご紹介するので、どうかお見知りおきを頂きたい! ロックをアメリカン・サイドに偏って追いかけていると、まず出会う事のないタイプの「ブリティッシュ・ロックの歴史的特産」じゃぞ!!
 
 

70年代初頭の英国ロックシーンを美しく染め上げた、
              「天使の声」をもった女性シンガーたち



プロローグ〜〜メリー・ホプキンとロックシーン変革の裏舞台★  
    

  どんなブームにも予兆ってのがあるもんじゃ。 美声女性シンガー時代の幕開けを告げたのは、ビートルズのアップルレーベルからデビューしたメリーさんのひつじじゃなくて、
メリー・ホプキンじゃ。 純朴そのものといった容姿のメリーちゃんが、その透き通る美声で歌った「悲しき天使」「グッバイ」「ドナドナ」は立て続けに大ヒット。 特にメランコリックなメロディーをもった「悲しき天使」は日本でも大ヒットじゃった。 1970年大阪万国博覧会に招待されてコンサートを開催したほどの人気者じゃったな。 わしは姉貴殿と一緒に観たぞ! 女性美声シンガーの清涼で天使のようなイメージの土台はこのメリーちゃんが作り上げたのじゃ。
 その一方、1960年代後半からロックシーンが激しく多様化していったことで、クラッシック/オペラ畑、トラッド/フォーク畑出身の女性シンガーにまで「ロックシーンへの門戸」が開けられるようになったのじゃ。 つまりだ。 正規の声楽教育を受けたことのある女性シンガー、もしくは「純然たる演奏会」で鍛えられてきた女性シンガーがロックシーンに登場してくる大きな流れが出来たんじゃよ。
 クラッシック/オペラってのは高等教育を受けられるインテリ層がたしなむ音楽じゃし、トラッド/フォークは「言葉」「文学性」を大切にせにゃならん音楽じゃ。 要するに「クラチックですかぁ〜? 長過ぎてよくわかんないですぅ〜。 眠くなっちゃいましたあ〜」「フォ〜クってえ〜、神田川みたいなサビチイ音楽ですかぁ〜?」なんつっったオツムの弱いパー子ちゃんたちには無縁の音楽じゃ。 「天使の声」をもった女性シンガーたちは、ただ単に声が美しいだけではなくて、音楽の精神性を大切にする姿勢をもったインテリジェンス溢れる方々だったのじゃ。


★ジュディ・ダイブル、サンディ・デニ―& セリア・ハンフリーズ★ 

 日本人の心の中に演歌が宿っておるようにだな、イギリス人には「ブリティッシュ・トラッド/フォーク」が宿っておるんじゃ。 イギリス版民謡じゃよ。 民謡つっても「はぁあ〜あいずぅばんだいさんわぁあああ〜」ってノリではのうて、しめやかなマイナーコードのギター伴奏に神妙な民話が切々と語られるという音楽じゃ。
 それをバンド演奏によって、よりリリカルに、よりダイナミックにやろうとした連中が1968年に登場。 フェアポート・コンベンションじゃ。 その初代シンガーが
ジュディ・ダイブル。 2代目シンガーであり、バンドをビッグな存在にしたのがサンディ・デニ―じゃ。 清涼な聞き心地ながら、雄弁で昇っていくようなサンディの歌声は、当時英国最高の女性シンガーとしてシーンを圧巻しておった。 ジュディは、フェアポート脱退の後にプログレッシブ・ロックの王者となるキング・クリムゾンの母体となったジャイルス・ジャイルス・フリップに参加。 プログレ黎明期の一端を担うことになるのじゃ。 ゾッとするほど無感情で冷たい響きを湛えた唱法は、今で言うと“クール・ビューティ”ともいうべきじゃろうか。
 一方、フェアポートのライバルだったのがトゥリーズで、シンガーが
セリア・ハンフリーズじゃ。 以前も紹介したが、トゥリーズはあまりにも美しいアルバムのカバーデザインばかりが有名じゃが、真の価値はセリアの美声じゃ。


★ジャッキー・マクシ― & バーバラ・ガスキン ★


 「ブリティッシュ・トラッド/フォーク」のスタイルが注目を浴びる中、更に高度な楽器のテクニックとジャズやフラメンコの要素まで導入したより多彩な音楽性のバンド、ペンタングルが登場。 ここのシンガーがジャッキー・マクシ―じゃ。 日本では“妖しく漂うババロア・ボイス”なんてミョウチクリンな表現で賛美されとったな。 ちなみにペンタングルには、ジョン・レイボーン&バート・ヤンシュという「ブリティッシュ・トラッド/フォーク」界の二大ギタリストが参加しておったんで、ジャッキーはちょっと陰が薄かったな。 
 そしてブリティッシュ・フォーク界の中ではもっとも多彩なアレンジでプレイし、プログレッシブ・ロック・ファンにも人気の高かったバンドがスパイロ・ジャイラであり、シンガーが
バーバラ・ガスキンじゃ。 いかなるアレンジにも負けずに美声を披露するバーバラの力量は、サンディー・デニーとともに今もイギリスで高く評価されておる。
 
 
★ソーニャ・クリスティーナ★

 うわっ藤圭子さんだっ! 夢は夜ひらくぅ〜♪ いや違う違う!
 お次はクラシック/オペラ畑からお一人。 
ソーニャ・クリスティーナはもともとロック・オペラ「ヘアー」に参加しておったパワフルなシンガーであり、やがてクラシックを基調にした新しいバンドをやりたいってことで、ヴァイオリニストのダリル・ウェイとカーブド・エアを結成。 ロック・オペラで鍛えたパワフルさを抑制して、サンディやジャッキーに劣らない超美声の方を披露!
 ところがソーニャは、スタジオ盤とは裏腹にライブでは結構ドスを効かせてハードロック風に唄いまくり、ファンを圧倒! 時にはSMチックにもなるセクシーなステージ衣装も人気があった! 今回ご紹介するお嬢様方の中では唯一キャラはオテンバ系かのお〜♪
 クラシック/オペラ畑出身のシンガーは他にもいるが、彼女たちはプログレ系バンドの中で才能を発揮することになり、ご登場はもうちょっと後になるので、今回の紹介は控えさせていただこう。

 
★ヴァシュティ・ブニアン 
 ここで少々マニアックなオハナシを。 フェアポートとトゥリーズ、歌姫のサンディとセリアの活躍で「ブリティッシュ・トラッド/フォーク」が当時のシーンの重要な潮流となった頃、一部のマニアの間で騒然となるシンガーが登場。 お名前もお顔も国籍不明!?のこの
ヴァシュティ・ブニアン、実はローリング・ストーンズのジャーマネじゃったアンドリュー・ルーグオールダムに見出されて、既に1965、66年にシングル1枚づつ発表したんじゃが、アンドリューから強制されておった当時のブーム「女性のぱ〜ぷりんボイス」(正式呼称はウィスパー・ボイス)に嫌気がさしたのか、その後しばらく沈黙しておった。
 1970年にプレス数僅か数千枚といわれたカルト的名盤「ジャスト・アナザー・ダイアモンド・デイ」を発表。 生ギターとわずかな民族楽器だけで録音した私家盤ともいえる作品じゃが、世に出回った数が少なかったのでフォーク・マニアには長らく幻の名盤となっておった。 ミョーに歌の上手い、隣のお姉さんの名盤といった風情じゃ。 3〜4年前じゃったか、突然日本公演をやったのでビックラこいた。 やはり日本には何事にもマニアが多いんじゃな〜とわしも恐れ入った。


★エピローグ〜 当時のシーンが集約されたバンドと女性ツインシンガー

 最後は、フォーク/トラッドとクラシックがミックスされたサウンドと言われ、現在でも両方のマニアから高い評価を受けておるバンド、メロー・キャンドルの2人の女性シンガーの
クロダー・シモンズ&アリソン・ウィリアムス。「抱擁の歌」と題された1枚のアルバムしか残されておらんが、ピアノ、ハープシコード、フルートが優しく踊る伴奏に、お二人の美声による掛け合いも入ってくる超耽美的フォーク・サウンド! 先述のスパイロジャイラ、このメロウ・キャンドル、そしてチュダ―・ロッジなるバンドが、「ブリティッシュ・フォーク三種の神器」と呼ばれておったのじゃ!

 今から40年前と言やあ、イギリスなんてまだまだ遠〜いお国に感じた時代じゃったし、情報といっても音楽雑誌のわずかな記述だけじゃった。 たまに掲載される写真もピンボケしたような質の悪いモノクロもの。 でもそんな時代だったからこそ彼女たちの存在はより神秘的であり、「どうしても聞きたい!」って熱くなったのかもしれんな〜。
 当時の日本は全国で「学生運動」が燃え盛っておった激動の時代であり、日本人の好きなロックはレッド・ツェッペリンやディープ・パープルに代表されるハードロックが全盛じゃった。 そんな騒々しい時代に、わしは彼女たちの美声に酔いしれながら一人うっとり!した時間を堪能していたもんじゃ。 
 彼女たちや周囲の男性バンドメンバーたちのファッションは、当時流行の原色が飛び交うサイケデリック系とは対極にあるネイチャー系。 生地、素材の良さを活かしたもの、カッティング・デザインも既製服には無いトラディショナルでユニークなものが多かったと記憶しておる。 サウンドもまた然り。 流行を見据えつつも、伝統芸能特有の味わいを大切にしながら、独自のセンスでモダニズムをミックスしていく。 こういうアーティスト、音楽ってのは、時代の最先端ではないが、いつまでも色あせることはなく、いつ聞いても伝承音楽がうまれたいにしえの世界に連れて行ってくれるのじゃ。 なにやらThe-Kingファッション・スピリッツの原点と共通しておる気もするのお。 The-Kingも日本にありながら、アメリカン・フィフティーズという伝統カルチャーの時代へと案内してくれるではないか。 こういうアートは不滅じゃぞ! 彼女たちの音楽に触れながら、時にはファッションもチェックしながら、音楽や自己表現のあり方ってもんを、しずか〜に、おだやか〜に、し〜んみりと探求してくれたららわしも嬉しいぞ!まずはガタガタ言ってないで、ソッコウでトゥフェイスのイタリアンカラーをカートに放り込むようよろしく頼んだぞ!




七鉄の酔眼雑記
 〜スーちゃんと同日にひっそりと逝った“下町のエース”

 我が青春時代(?)のアイドル、スーちゃんが亡くなってから早や半月。 キャンディーズの解散コンサートに涙したわしの学友たちは、この度の訃報にもやはり涙したんじゃろうか? わしはキャンディーズよりもロックに夢中じゃったから、在りし日のスーちゃんというより、キャンディーズに熱中していた学友たちの顔がフラッシュバックしたもんじゃ。
 スーちゃんが亡くなった日、わし個人にとってはより思い出深いお方がひっそりと亡くなられた。 プロ野球ロッテの元エースじゃった成田文男投手じゃ。 わしが現在住んでおる東京の下町に、1962年からわずか10年間だけ存在した「南千住・東京スタジアム」をもっとも沸かせた名投手じゃよ。 シーズン20勝以上4回を含む通算175勝を記録し、最多勝利投手に輝くこと2回。 1970年のロッテ優勝の年には自己最多の25勝を上げておるのじゃ。 この成田投手は、偶然にもスーちゃんと同じ東京都足立区立第四中学校の出身でな。 学友には北野タケシがおるんじゃよ。 野球好きのタケシは、同学年の成田少年を見て「こんなスゴイやつがいたらオレなんかハナシになんない!」って野球を諦めたそうじゃ。 その後、葛飾区の修徳高校に進学して甲子園出場を果たした成田投手は、1965年にロッテ(当時は東京オリオンズ)に入団。 以降、球界では「下町のエース」と呼ばれたもんじゃ。

 日本人特有の判官ビイキなのか、どこか薄幸の匂いのした優男タイプの成田投手がわしは好きだったんじゃよ。 実際ツキがないというか、華やかさに縁が薄い投手でな。 成田投手が活躍した時代ってのは、野球界は巨人一色、セ・リーグ偏重のパ・リーグ大暗黒時代。 同年代の堀内投手(巨人)、江夏投手(阪神)、平松投手(大洋)よりもスゴイ成績を上げていたのに、成田投手は一般的には無名の存在じゃった。 極稀に「ロッテのエース投手」が紹介される時は、何故だか成田投手よりも成績の劣る木樽投手の方じゃった。 下町時代のロッテが優勝した1970年も、最優秀選手は25勝の成田投手ではなくて21勝の木樽投手が選ばれたもんじゃ。 日本シリーズという晴れやかな舞台には都合三度出場しておるが、悲しいかな、いずれもメッタ打ちされとった。 
 1973年に元400勝投手のカネヤンこと金田正一氏がロッテの監督となり、1974年に日本一に輝くことでようやくロッテという球団が全国的に注目を浴び始めたが、皮肉なことに既に成田投手の成績は下降線をたどっており、「名球会資格」の200勝にも到達することが出来んかった。 現役引退後は指導者として球界に残ることもなかったので、ついにキャリアに相応しいスポットライトが当てられることはなかったもんじゃ。

 そして人生の最期は、スターじゃった10歳年下の中学の後輩(スーちゃん)の最期と同日。 なんだか成田投手の“スポットライトに嫌われた現役時代”をどこか象徴しとるようで、わしは一人でシンミリきてしまったもんじゃ。
 成田投手のような玄人好みの野球選手の訃報に触れる度にわしは思うんじゃが、日本のスポーツ界、特にプロ野球界ってのは誰でも知っておった人気者しか大事にせんな。 そんな行き当たりばったりのお祭り方針ばっかりでやってきたから、逆風の時代になると簡単にTV放映枠から外されるようになり、震災時には「ぴ〜ひゃら野球なんかやってる場合じゃない」とか言われてしまうんじゃよ。 ただの興行としかみなされず、文化として評価されていないんじゃよ。 なんでもかんでもアメリカのメジャー式を並行輸入したがるくせに、こと「野球の歴史、伝統を後世に伝えていく」という文化事業的展開に関しては見習おうともしないもんじゃ。
 余計なおせっかいとは思うが、成田投手がいかにスゴイ投手だったかを伝えるホムペがあるので、ここまで読んで下さった方は是非ご覧頂きたい。 成田投手のご冥福を心よりお祈り申し上げる次第じゃ。




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