ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.118


第三の男、静かなる男の「魂の一撃」特集〜ベーシスト、ドラマーの忘れ難き秀作

 
ロックバンドと言えば、なんたって花形はヴォーカリストとギタリスト。 このフロント2人の活躍具合がバンドのイメージを決定してしまうのが常じゃ。 だからバックのベーシストとドラマーってのは、どんなにヴィジュアルがカッコよくてもプレイが凄くても、バンド自体が有名にならんと注目を浴びることは極めて少ないのお。 だからなのか、ビッグバンドが活動休止をしたり、解散した直後は、とにかくベーシストとドラマーが元気じゃ。 いつもいつもバンドのための演奏をしていたために、バンドから離れた時こそ「オレの時間だ!」となるんじゃろう。 異種セッションにも頻繁に顔を出し、より積極的にソロアルバムを制作したがるものじゃ。
 じゃが誠に残念ながら、名作と呼ばれたり、ヒットチャートを駆け上がったベーシストやドラマーのソロアルバムってのは極めて少ない。 大体が「ほほぉ〜この人こんな趣味があったんだ」「へぇ〜意外と歌ウマかったんだね」程度の評価で終わってしまい、早々と中古レコード屋さん(今はamazonか!?)にお目見えって運命じゃった。 ビートルズやストーンズによってロック・バンドという形体がブレイクした1960年代初頭から現在に至るまで、このパターンってのはロック界のベーシストとドラマーの宿命みたいなものじゃな。
 
 とはいうものの、あくまでもこれは一般論じゃ。 わしや諸君のようなフリーク、マニアの見方はまた別次元にあるよのお。 自分独自の嗜好、鑑識眼、評価基準によって、オキニのアルバムを大事にしとるのがフリーク、マニアのいわば醍醐味ってもんじゃよな! そこで今回はわしにとって忘れ難き「ベーシストとドラマーのアルバム」ってのをご紹介してみたい。 名作とした基準は、わしが「いやあ〜御見それ致しました!」って脱帽したってコトに設定しよう。 お気に入りのバンドのメンバー全員に対するお勉強不足、一般的イメージや評価による先入観、単なる食わず嫌いなどなど、わしが「ビックッラこいた!」理由は様々じゃが、とにかく「じ、実はコヤツ大したもんだったんじゃのお〜。 シツレイ・キャッツじゃなくて失礼しましたあ〜」とひれ伏したアルバムじゃ。 まだ聞いておらんかったらどうかトライしてほしいぞ! 彼らの作品はもとより、在籍したバンドのアルバムまで聞き方が変わってきて新しい楽しみをゲットできること間違いなしじゃ! この度The-Kingからは、いぶし銀のごとき、ピストルパンツ&ノーマルパンツ、そしてハンチングがラインナップを飾れりよった。 これから紹介する連中の作品とは、この新作を捧げたくなるような、激シブ&隠れた大仕事!ってもんをやり遂げておったロッカーの持ち味がさく裂した心の叫びじゃ!!


◆ブラック・キャット・ボーン/リー・ロッカー


 言わずと知れたストレイ・キャッツのベーシストの2007年発表のソロアルバムじゃ。 The-Kingのボスがまだ原宿「ラブ・ミー・テンダー」の店長さんをやられておった1990年代の初頭、わしは「ラブテン」でストレイのお三方にお会いしたのじゃが、ブライアン兄貴のでっかいオーラ、スリム・ジム様のこの世の者とは思えん超絶なるクールぶりにシビレっぱなしで、リー殿の印象ってほとんど薄いのじゃ。 とても穏やかな物腰で、失礼ながら「この人、ホントにブライアンやスリム・ジムと同じバンドなんか?」なんて思ったほどじゃ。 こういうしょーもない印象って案外長く尾を引くものであり、リー殿のその後の音楽活動に興味が湧くことはなかったもんじゃ。
 時が流れること12〜3年、今度はThe-Kingのオフィスにおいてこのアルバムに出会った。 ブライアンの作品をもっとシブくアダルトにしたというか、たそがれたロカビリーサウンドとでもいうべきか、思わずボスに「これ誰のアルバムでっか?」って誠に恥ずかしい質問をしてしもうた。 「はあ?七鉄さんよ、ボケたんと違うか。 リー・ロッカー様だろうがっ!」って言われた時は、まさに“穴があったら入りたい”気分じゃった。
 
 さすがはベーシストのアルバムだけあって、リズムセクションの視点からプロデュースされていったような骨格が揺るがないキマリまくりのロカビリー・サウンドにノック・アウトされてしもうたな。 ロカビリー云々というより、イギリス伝統のパブ・ロックのチープ&グレイト!なキレ味は、それがデキルヤツが絶滅寸前なだけにイギリス国宝級と言ってしまいたいクオリティーじゃ! そしてナチュラルなヴォーカルも素晴らしいゾ。 彼がリード・ヴォーカルを時々とっていたら、ストレイ・キャッツにも新境地が・・・なんて嬉しい妄想もかきたててくれたもんじゃ。 ジャケ写もクール! あの「温厚なロカにいちゃん」っつうテキトーな認識を改めなければならん、カッコいい年の取り方じゃ!


◆ハバナ3AM 
 
 
 これはクラッシュのベーシスト、ポール・シムノンがクラッシュ解散後に結成したバンドであるハバナ3AMの唯一のアルバムじゃ。 発表時の評判は、とにかく悪かったもんじゃ。 わしはヒイキにしていただけに、あの時の怨みは忘れんぞ! 「気の抜けたクラッシュ・サウンド」とか「パンク魂はどこへ行った!」とか、もっともひどいのは「クラッシュのプレッシャーを忘れてカリブ音楽とかロカビリーで遊んでいる」なんてのもあった。 要するにだ、クラッシュの得体の知れない「前進意欲」「闘争精神」といったサウンドの「高揚感」がないから、こんなツマランことを言われた訳じゃ。
 ポール・シムノンがやりたかったのは音楽的な成熟だったのじゃ。 そのためにもクラッシュの人気を支えていた学生運動のような青い臭い敢闘精神から離れたかったんじゃろうとわしは感じておったから、いつまでもクラッシュ幻想から抜け出せないヤロウどもの評判に腹が立った! なにが「気の抜けたクラッシュ・サウンド」じゃバカモノ! クラッシュが辛抱して活動を続けておれば、このハバナ3AMの様なサウンドになっておったに違いなく、すなわち大人のクラッシュなのじゃ、このアルバムは!

 ポールのシンプルでパワフルなベースは、ロカビリー的サウンドにも、カリブ的サウンドにもバッチリとフィットして、楽曲をぐんぐんリードしていくのじゃ。 この基本ラインはクラッシュと何ら変わっておらん。  そこにブライアン・セッツァーをもっと涼やかにしたようなギターサウンドが、音階を華麗に昇降しながら絡んでくる実にスリリングで艶やかなロックン・ロール・アルバムじゃよ。 
 今にして思うと、クラッシュをはじめとするパンクバンドって、まともな「音楽バンド」として紹介されることは稀であって、“音楽で世界を変えようとする革命家”みたいな色眼鏡で見られ続けておったな。 そこがパンクの枠の中で語られ続けておったバンドの悲劇だったのかもしれんが、その煽りを食らって闇に葬られてしまった名作アルバムがこれじゃ。
 まあポール・シムノンはパンクの永遠のアイコンとなったベースをステージに叩きつけるショットの張本人だったんで、いつまでも夢を見ていたい聴衆の甘い幻想の餌食になってしまったのかもしれんな〜。 

 

◆リンゴ/リンゴ・スター


 「ビートルズが解散してしまったら、どうしようか。 ジョンもポールもジョージも、僕を助けてくれるだろうか。 そんなことばっかり考えていたよ」 
 ロック史上に燦然と輝く巨星ビートルズ。 でも一ドラマーに過ぎなかったリンゴは、バンドの末期には“元ビートルズ”の看板だけでは食べてはいけない危機感を吐露しておったもんじゃ。 とてもロックバンドの一員とは思えないような情けないコメントじゃが、とかく自意識過剰な生意気ヤロウが多いロックシーンの中では、こういうお人柄をもったお方は、昔も今も稀なんじゃなかろうかのお。
 スゴイプレイをするヤツ、スゴイ曲を書くヤツ、スゴクカッコいいヤツ。 成功したロックバンドのメンバーにはそれぞれの役割ってのがあるもんじゃが、数多くの証言によると、どうやらリンゴの場合はドラマーという役割以前に、ビートルズにとってはその温かい人柄が必要とされていたようじゃ。 ジョン、ポール、ジョージの個性派3人を接着剤的にまとめる上げる不思議な人間的魅力があったようじゃ。
 
 そのお人柄の証明となったのが1973年に発表された3枚目のアルバム「リンゴ追分」。いや違った! 「リンゴ」。 ビートルズ解散後、個別の参加とはいえ、1枚のアルバム内においてビートルズの4人がプレイした唯一の「ビートルズ一時的再結成アルバム」となったのじゃ。 もちろん話題騒然となって、確かその当時まで発表されていたビートルズのメンバーのソロアルバムの中ではもっとも売れたんじゃなかったかのお。 「ビートルズ再結成アルバム」という奇跡が出来あがったのは、ビートルズの中にリンゴ・スターがいたからこそ実現したのじゃった!
 でも完全な話題先行型ヒット・アルバムであって、決してロングランにはならんかった。 しかし、ジョン、ポール、ジョージから提供された楽曲ってのは、彼らがビートルズとしてやり残していた作品とも考えられるし、それをリンゴのほのぼのとしたヴォーカルで聞くってのはなかなかオツなもんであり、ビートルズに世界一身近だった者が歌う「思い出のビートルズ」といった風情があるもんじゃ。 


ストレンジ・フロンティアーズ/ロジャー・テイラー

 「“華麗”と書いてクイーンと読む」 これはクイーンの解散後初めて発売されたベストアルバムの名コピーじゃ。 口ずさめる美しいメロディーをオペラチックなボーカルと聖歌隊の様なコーラスで表現していたクイーン・サウンドはまさに「華麗」そのものじゃったな。 ビジュアル的にも女性ファンに支持される優男揃いじゃったが、ドラマーのロジャー・テイラーは少女漫画から飛び出してきたような美青年じゃったな。
 そのロジャー、ルックスとは裏腹に実はメンバー中でもっともロックン・ローラー的、ボヘミアン的な気質が強く、クイーン活動時に発表された2枚のソロアルバムにはロジャーのキャラクターが色濃く反映されておる。 んで、わしがおススメしたいのは2枚目のアルバムじゃ。 1枚目の方は、ボーカリストとして、ドラマーとしてのロックンローラ・キャラを打ち出しておったが、こっちはチト内省的に「ロックン・ローラーとはどうあるべきか?」なんてトコを追及しておる生真面目な内容じゃ。
 “奇妙な開拓者”っつうタイトルがなかなか意味深であり、演奏できる場所があればどこでも行くぜ! 新しい出会い、発見をいつも求めてオレはさまよっているんだ! 見知らぬ者をノックアウトするのがオレの生き甲斐!みたいなスピリットの元に書かれた歌詞が繰り返し登場し、ロッド・スチュワートばりのハスキー・ヴォイスを随所にかますスタイルは結構スリリングじゃ。 とてもドラマーのアルバムとは思えないアーティスティックな作品じゃ。 あのデヴィッド・ボウィが絶賛したという、ブルース・スプリングスティーンのカヴァー「レーシング・イン・ザ・ストリート」は、オリジナルよりももっとデカダン(世紀末的)な美しさに仕上がっておる。 派手さと儚さとが同居したロッカーの生の現実を歌った、隠れた“名唱”だとわしは思うとる。

 


◆マーシー/スティーブ・ジョーンズ

 有名バンドではもっともギタリストが目立たなかった(!?)セックス・ピストルズ。 このバンドのサウンドに限って言えばだな、ギターもベースもドラムもいわば“ヴォーカルの煽り役”に過ぎんから、特例としてこのお方を登場させてもええじゃろう! とにかくジョニー・ライドンとシド・ヴィシャスしかニュースにならんかったピストルズだったので、この平凡過ぎる名前のギタリストなんて誰も注目しておらんかった。
 ピストルズ解散から10年余り、スティーブ君がソロアルバムを出したっつう記事を音楽雑誌の小さなコラムで見つけた時も、わしは「ほぇ〜ギター弾けたんじゃのお〜」的にスルーしかかったもんじゃ。 じゃが「シドが生きていたら、つばを吐きかけるようなブルージー・サウンド」という短い解説がミョーに気になって買ってもうた。 まさか、それが忘れ難き幸運なアルバムとの出会いになるとは!?
 「う、美しい! な、なんつうホワイト・ブルースじゃ、これはっ!!」 わしは1曲目のイントロのギターでシ・ビ・レ・タ! とはいえ、ギターの音がいいとか、ボーカルがシブイとか、そういう問題ではなくてだな、なんつうか、ステージで精魂尽き果てたロッカーが、最後の力を振り絞り、音楽の女神に導かれるまま静かにアンコールの演奏するような、そんな気合も気負いも抜け切ったスロー&イージーな美演奏なんじゃな。 全然ヒットせんかったが、スティーブ君はこの作品がミュージシャン仲間に評価されて人脈が広がり、ロック・ギタリストとしてその後長くメシを食えるようになったらしいぞ! スティーブ君のロッカーとしての真のキャリアは、ピストルズではなくて、このアルバムだったのであ〜る!


◆ブルース・オデッセイ/ビル・ワイマン

 ローリング・ストーンズのベーシストであるビルは、ストーンズ在籍中に3枚のソロアルバムを制作しとるが、生意気ながらわしは「暇つぶし作品」にしか思えんかった。 そんなビルのソロ活動で最初に気にいったのは、お遊びオールド・ロックン・ロール・プロジェクト「ウィリー&プアボーイズ」で、古き良きロックン・ロールを気の合った仲間たちと演奏したリラックス・アルバムじゃったな。 人選も選曲もなかなか通好みのいいセンスをしておった。 どうやらこの手のオールド・ミュージック復興活動をすると才能を発揮する人らしく、2005年に発表したブルースの解説DVD「ブルース・オデッセイ」は、ブルースのビギナーにもマニアにもアピールできる、素晴らしい「ブルース教典映像集」じゃ。 
 一昨年ブルースマニアで有名な映画監督マーティン・スコセッシが、DVD7枚セットの大ブルース教典「ブルース・プロジェクト」を発表したが、あれはビギナーにはチョイト敷居が高く、マニアの視聴者には戦いを挑むようなスコセッシ独自のブルース観が強過ぎじゃ。 わしがブルース評論家じゃったら、まずはこちらを大々的に評価したい! 黒人独自の音楽であるブルースに、なぜ白人が惹かれていってロックが誕生したのか? そもそもブルースとはどんな音楽なのか?ってとこを、まるで子供に読み聞かせるように、優しく、そして的確に解説されていくのじゃ。 自分が演奏したソロワークではないが、その内容の素晴らしさゆえに、ビルの輝かしいソロ作品として位置づけされて然るべきじゃ。 

 その他思いつくままに書き連ねると、
ジョン・エントウィッスル(元ザ・フー)、ジャック・ブルース(元クルーム)、グレン・ヒューズ(元ディープ・パープル)らのベーシストがしぶとくソロ活動をしておった。 プロデューサーとしてもうひとつの才能を開花させたベーシストでは、ロジャー・グローバー(元ディープ・パープル)、フェリックス・パッパラルディ(元マウンテン)ぐらいか。
 ドラマーはもっと少ないと違うか? 4枚のソロアルバムを作った
コージー・パウエル(元レインボウ)。 元イーグルスのドン・ヘンリーは5枚も作ったが、彼の場合はヴォーカリストとしての才能で仕上げたので例外か!? プロデューサーに転身したのは元シックのナイル・ロジャーズぐらいなものじゃろう。 
 やはり彼らは、バンドという集合体をテイクオフさせてナンボ!の存在じゃ。 リズム・セクションとは、聴衆のためではなく、バンドのために働くものなのじゃ。 でもそれはなかなか日が当らない故に、自己犠牲をいとわない“失われた男のダンディズム、美学”に貫かれておるのじゃ。 こういう生き方も悪くないの〜。 彼らの仕事が再評価される機会は少ないものじゃが、フリーク、マニアのみぞ知るソロアルバムを引っ張り出して、彼らのパーソナリティを確認することは、彼らが在籍したバンド・サウンドの真髄をあらためて知ることにもなるんじゃよ。 諸君のような生粋のロック・ファンならば、ベーシスト、ドラマーのソロ作品を吟味することは、The-Kingのアイテムを常に求め続けることと同じテンションにある、いわば終わることないライフワーク!ってことをお忘れなく!じゃ。 
 
 

 

 
七鉄の酔眼雑記 コミックスで体験してもらいたい梶原一騎の“世界観”

 昨年末より世間で話題になっておった「タイガーマスク」というか「伊達直人運動」。 児童養護施設などに、実名を伏せてプレゼントや現金などを送る人達の心優しき行為に関して、諸君はどう思ったかのお? わしなんかはテレビ報道を見ると「こんな慈悲深い人たちがまだ世の中におったんじゃのお〜」と胸が熱くなってくるクチじゃ。 
 まあ慈善活動はさておき、わしは「タイガーマスク」の原作者である梶原一騎は作家としては大好きじゃし、「巨人の星」「あしたのジョー」「赤き血のイレブン」まで入れた「スポ根四部作」、そして「愛と誠」も読破しとるクチなんじゃ。 「伊達直人運動」の影響により、今後梶原作品のリバイバル・ブームが生まれ、映像作品が人気を呼ぶに違いないじゃろう。 「スポ根四部作」のアニメ版DVDははほとんどレンタル化されとるから、今のうちにレンタルしまくっておいた方がええぞ!ってのは半分冗談で、わしとしては是非とも漫画コミックスもあわせて体験することをオススメしたい!

 日本の漫画のレベルの高さは、これはもう世界的にも認識されとるな。 小説顔負けのアグレッシブな物語性と緻密で個性的な劇画はもはや当たり前じゃが、わしが思うに日本の漫画がそんなハイレベルにまで最初に達していたのが「梶原作品」じゃったと思う。 タイガーマスクの「必殺技」や、星飛雄馬の「大リーグボール」など、現実の世界ではありえないシーンも、実は恐ろしく“理にかなって”はおり、超ド根性で物理学や心理学を凌駕してしまう展開は身震いの連続じゃった。
 また戦前派と戦後派、エリートと叩き上げ、指導者と現役選手など、世界観、価値観、立場の正反対の者同士が、時には衝突して憎しみ合いながらも、「清廉潔白な勝利」という共通した崇高な終着点に辿りつく過程で果たす魂の邂逅も感動的じゃった。
 梶原作品の全盛時代は、日本の高度成長時代とピタリと一致するのじゃ。にっぽんを“世界的な経済大国”にのしあげて下さったかつてのモーレツ企業戦士たちの魂も、「梶原作品」で活写されとる主人公の魂と同じだったのかもしれないと思う。 「タイガーマスク運動」は讃えられるべき美しい慈善活動じゃが、それによって梶原作品に光が当てられ、元気のない現在の日本の「気つけ薬」として伊達直人、星飛雄馬、矢吹丈たちが甦ってくれると嬉しい!



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