ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.100


100回到達記念〜頑固ロック・ジジイも、ついにここまで“きた”か!
七鉄の超誇大妄想!もし、50’sの5大ロッカーが生きていたら(?!)



 ついに100回到達じゃ! (←)どうじゃ、この写真! 来週開催されるサッカーW杯の開会式リハーサルで、わしの「100回記念」のために人文字を作って祝ってくれたぞ! ってのはジョーダンじゃが、まずは、この機会を与えて下さったThe-Kingのボス、そしてお付き合いいただいておる諸君に心より感謝致しますぞ!
 たかが100回。 されど100回。 音楽やファッションは、スポーツのように数値を引き合いにだして云々されるものではないので、「100」にひっかけた話題ってのは難しいもんじゃ。 しかもまだ100回なので、余裕をかまして「始めた時はこーだった」「第○回目の時はあーだった」といった大きな感慨もまだないな。 あるのはまだまだ前進する意欲じゃ! 10,000回目指して気合の入れ直しじゃあ〜。
 まあ今回はちょっとした「祝い気分♪」になって、わしも諸君もリラックスできることを書いてみたい。酒の用意はしておるか? わしは既にほろ酔い気分じゃい!
 なに? 「10,000回ねえ〜。 ケッコーなやる気もいいけど、ソコまでアンタ生きてられんの?」と笑ったな! よおーし、笑われついでに、もっと笑われるようなテーマでこの100回目を飾ってみせよう! わしはロックの歴史はかなり深い部分までオベンキョ―してきたつもりなんで、ココは一発、ロックの失われた歴史とでもいうべき、「逝去した50年代の代表的ロッカーが“もし”生きていたら?」というわしのヨミってやつをドカン!とかましてみたい。 
 ファンの数だけそのロッカーへの想いは様々じゃが、たまにはわしのような「ロック生き字引」の自説も読んでみたいじゃろう! 単なる空想、仮説に過ぎんが、諸君独自のヨミと照らし合わせながらどうか楽しんでもらいたい。

 
★ もしキング・エルヴィスが生きていたら? ★

 
エルヴィスの存在っつうのはあまりにもデカイので、自分勝手な空想や仮説は世界中のファンから集中砲火を浴びそうで怖いのお。 しかもロッカーとしての資質も偉大過ぎるんで、もし健康で長生きが出来たならば、ロックシーンの様々な分野において多大な貢献をしていたであろうことは想像に難くない! 「ひょっとしたら80年代のエイドブームを自ら企画、運営していたかもしれない」「自ら“ロックの殿堂”を設立していたに違いない」「初の海外(アメリカ以外)ツアーを行って、ロック未開の地にもロックの普及に努めたことだろう」とか、もういかようにも想像できる。 はっきり言ってキリがない!
 わしとしてはだな、まずド派手なジャンプ・スーツに別れを告げて、エルヴィス・ファッションの原点でもある「ナッソー」「ホースシュー」へと一度は立ち返っていただきたかった。 ナッソーを羽織ってリラックスして「アメリカン・トリロジー」を歌ったっていいではないか! そういえば「オン・ステージ」のリハーサルで、昔を懐かしむようにロカビリーを歌っておったシーンがあったが、あれにはグッときたぞ!
 しかしエルヴィスが自ら何か事を起こそうとしても、その都度パーカー大佐の方針が“最大のハードル”になっていたじゃろう。 それもまた良しじゃ。 ロッカーのクリエイティブな姿勢とビジネスライクとのせめぎあいはロック・シーンの常であり、しかもエルヴィスの場合は他のロッカーとは異次元のレベルでの戦いとなるじゃろうから、またひとつ後輩たちにとっての偉大なテキストを残すことになったであろう。 こうした考えは、エルヴィスに更にまた先駆者としての孤高を強いるようで、大変に気の毒ではあるが、「キング」の称号をさらに不滅のものにする「ノーベル・ロック賞」的な活動をするエルヴィスを見てみたかったもんじゃ、とこれぐらいに留めておこう。 失礼しましたあ〜。


★ もしエディ・コクランが生きていたら? ★
 
 あまりにも早く逝ってしまったので、才能のスケールが実はどれぐらいだったのかは、このわしにも不明じゃ。 しかしいつの時代にもカッコいいカヴァーをされ続けており、しかもソロアーティストではなくて、バンドにカヴァーされておるところから想像するとだな。 少なくともコクランは60年代中期のブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリス勢のアメリカ市場占領)に対抗できるバンドを結成していたら、間違いなく新しい栄光を築いていたんじゃないかと。 そう、ビートルズやローリング・ストーンズやザ・フーと張り合えるバンドじゃ。
 当時エルヴィスは映画出演に没頭しており、ヴィンセントはサーキット先のヨーロッパに消えてしもうた。 でもコクランなら、音楽センスは十分に新しい時代に通用するし、バンドリーダーとしての資質もありそうだし、ヘアスタイルもロンゲが似会ったじゃろうし、あの甘さと男臭さが同居したマスクは60年代のロッカーっぽいと言えなくもない。
 そう考えると、ワクワクしてくるのお〜! ブリティッシュ・インヴェイジョンに対するアメリカ側が講じた策は、ビーチボーイズのサーフ・サウンド路線とモンキーズの超アイドル路線じゃった。 でもコクランのバンドならロックの王道的サウンドでアメリカン・ロッカーとしての溜飲を下げたに違いない! ヨーロッパからヴィンセントを連れ戻して、ゴールデンコンビを組んでもいい。 「イギリスのロッカーちゃんよ。 これが本場のロッカーってもんだぜ!」とかなんとか謳われていたであろう! 
 ちなみに、コクランのアルバムをデジタル・リマスター盤で聞いたが、さほど違和感はなかったぞ。 それだけ彼の音楽がいつの時代でも新鮮さがあるということじゃ。

 

★ もしバディ・ホリーが生きていたら? ★


 バディ先生の場合は、どうもド派手な未来を思い描くことができんなあ〜。 とりあえず時代が60年代に変わり、当時はまだ試作品だったコンタクトレンズを入手してイメチェンを図り・・・ってのは冗談じゃが、バディ先生はとても繊細な感性の持ち主だったらしいんで、ビートルズの登場で状況が一変した60年代のロックシーンには興味を示さなかったのではないか、と思われる。
 「アメリカン・ミュージックの原点を見直したい・・・」的な発言を残して、フォークミュージックの聖地ナッシュビルで音楽三昧をしたとか、アマチュア・シンガーたちが文化圏を形成し始めていたニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジあたりに潜伏して、後の文学的フォーク「ティンパン・アレイ」の育成に一役買っていたんじゃないかと。 うん、賢い先生なら、そんな学術的な姿勢をもって表舞台から姿をくらますことは十分に考えられる。 いずれにせよ、アメリカン・ミュージック界の「静かなる重鎮」となっていたであろう。



★ もしジョニー・キャッシュが生きていたら? ★

 ずばり! ジョニー御大には「ロックのご意見番」をやってもらいたかった! 商業路線に片寄りがちな軟弱なロックを、一刀両断!にブッタ斬ってもらいたかったんじゃ。 野球の大沢親分の様に「カツッ!」「アッパレッ!」でもいいし、サッカーのラモス瑠偉の様に「ゼンゼン ワカッテナイヨ!」「ヤルキ アルノ?ッテ イイタイ!」みたいなノリじゃ! 本当はわしがやりたいがのお〜。
 晩年のジョニーは穏やかで、他者の批判をするような人物ではなかったことは有名じゃが、ここはアメリカン・ミュージックの正しい発展のためにも悪役めいたこともやってもらいたかった!というのも、それが出来るのは実績、知名度、影響力、「ご意見番」に相応しい貫録(風貌)から言ってジョニーしかおらんじゃろう! ジョニーの音楽を「ロック」という枠に限定するのは大いに無理があるが、その生い立ち、生涯は「ロック」そのものじゃ。
 例えば毎週日曜日の夜9:00からは「ジョニーが斬る!」とか題されたTV番組があり、ジョニーの毒舌がロックシーンに愛のムチをふるうのじゃ!The-King製スーパーハイグレードのナッソーを羽織り、あのシブくドスの効いた声で、「パンクだと?文句タレる前に、ちゃんとしたレコードを作んなさい」「再結成ブームねえ。 懐メロ大会で終わったらロッカーの名が泣くというものだ!」「ヘヴィ・メタルだと? フルボリュームで騒いだ後に何ができるか? それが男の価値ってものだ!」「今だにヤクでしょっぴかれるバカがいるな。 カツだカツッ!」とかやってもらいたかった! インタビュアーは当然このわしじゃ!!

 

★ もしカール・パーキンスが生きていたら? ★

 そのスバ抜けた作曲能力とギター・プレイとは正反対に、性格はいたって穏やかなカントリー・ボーイだった“カールのお父さん”。 伝記なんか読むと、「お父さん、アンタ人が良過ぎるよお〜」と何故だか泣きたくなってくるのはわしだけではないじゃろう。 巨大な名声はつかめなかった代わりに、スバラシイ家族や友人に恵まれていたようだから、お父さんの“もうひとつ”の人生をアレコレ考えるのはやめておこう。
 そうじゃな、たったひとつ望みたいことは、先述した「ジョニー・キャッシュ御大のロックご意見番TV」にたまにはゲスト出演して頂いて、ジョニーの毒舌を中和するようなシャレたコメントを発してもらいたかった。 インタビュアー(希望)のわしも、お父さんにたしなめられたりしてな!
 そしてお父さんがゲスト出演する時に限り、わしがThe-Kingのアイテムを贈答品として持参してだな、お父さんにアイテムの「本物ぶり」をさりげな〜くフューチャーしてもらいたかったのお。 でも多分ジョニー御大がむんずっ!と横取りして、「ふ〜む。 これはエエブツじゃのお〜」とかますじゃろうな! あ〜わしの立場が無くなる!(それでもいい!!)

 どうじゃ。 100回記念のわしの誇大妄想! たまにはこんなことを真剣に考えるのも楽しいもんじゃ。 「もし」という思考を真面目にやっとると、なんだかこの先自分がするべきことが見えてくる気がするもんじゃよ。 「その人の未来とは、その人の希望が原点となる」じゃ! まあ今はほろ酔いなんで、酔いが覚めてからもう一度検討するべきもんじゃが、わしの場合は飲もうが飲むまいが変わらんぞ!
 しかしまあ、100回目が6月9日(ロックの日!)の更新日に当たるとは、ロックの神様はまだまだわしを見捨ててはおらんなー!!! 何だか分からんがパワーがみなぎってきたぞ。 キング・エルヴィスもプリンス・コクランもバディ先生も、みんなみんな、まだ死んではおらん! 彼らのロック魂をあらためて胸に秘め、新作イタリアンカラー・シャツにいち早く身を包んで101回目に取り掛かる七鉄を、今後ともどーぞヨロシクじゃ。 



七鉄の酔眼雑記
 〜痛痛痛痛痛痛・・・超素直!

 最近話題のtwitterとかいうヤツ。 わしはtwitterにしろmixyにしろ、いまひとつ楽しみ方が分からんのじゃが、twitter利用者が独自に作成して公開したシステムの中に「姓名判断」みたいなのがあるという。 名前を入力して検索するとその人の性格とか嗜好性とかの様々な状況が漢字で診断されるっつうのを教えてもらったので、わしもさっそく本名でやってみた! その結果が、「痛痛痛痛痛痛・・・超素直!」だったのじゃ。
 大体わしは占いとか姓名判断の類に対しては、自分に都合のいいことだけしか覚えようとしない実にいい加減なスタンスなんじゃ。 しかしこれは・・・う〜ん、世の中を憂いておる純粋な青少年のような結果で、判断の基準がよく分からんな。
 そこで、別の知人の名前でやってみた。 この知人、過去数ヶ月間に亘りわしに散々っぱら迷惑をかけやがった不届きモノで、最近ようやく縁が切れたんじゃが、その結果が、「菌菌菌菌菌菌・・・超終了」じゃった。
 この2つの結果を参照して、自分に都合よく解釈してみるとだな。 最初に羅列される漢字一字はかつての状況であり、「超」の次の二文字は現状ではないか? そうじゃな〜あのバカヤローは、バイキンガーみたいなもんじゃったのおー。 これ、当たっとるかもしれんな! 妙に納得できる診断結果が出たものの、「診断結果は日替わり」という注釈があったので、やはり都合良く納得できた段階で止めておくことにした! 日にちが経てばまったく逆の診断が出るかもしれんからな。

 ただし、この歳で「超素直!」と言われてもだなあ〜。 まあいいか、悩まされた「菌」が「終了」して、心が「素直」になったんで、七鉄コーナー10,000回を目指して頑張るか! ではでは本能に超素直!になってこれからも飲み続けるぞお〜!


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