ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.20


 年末からの宴のシーズンが終わり、景気やストリートの賑わいが落ち着きはじめた今日この頃、諸君はいかがお過ごしかの? まさか、ロックン・ロール・ライフひと休みって呑気なコトやっとる訳ではあるまいな? THE-KINGは休むことなくイキな新作を発表しとるではないか! この七鉄も懲りることなく(?!)酒飲んでこのコーナーをカマシテおるではないか!! 世間様に関係なく、いつもハイテンションであり続けるのがロッカーたるもんじゃ。
 そこで今回は、その昔ミスター・フェブラリー(ミスター2月)と称され、ロック史の裏街道を歩み続けてきた一種伝説的なロッカーのオハナシをかましてしんぜよう。 裏街道といっても“おヤクザさん”ではないぞ。 時にはあまり脚光を浴びなかった陰の実力者たちの生き様にも注目して、己のロックライフに磨きをかけてみたらどうかの! では参るぞ、諸君。 その名はロニー・ホーキンスじゃ!
“バックサイド・オブ・ロックの帝王”
“ミスター2月”
ロニー・ホーキンスへ愛を込めて

 

 諸君ならその名前くらいは聞いたことがあるじゃろう。 エルヴィスに遅れることわずか2日。 1935年1月10日にこの世に生を受けたロニー・ホーキンスは、1950年代末期にサンレコードのオーディションを受けるという一大チャンスをつかみながら、その直前で大酒かっくらってバンドメンバーと大喧嘩をしてバンドが空中分解。 肝心のオーディションを受けられなかったっつうオマヌケなエピソードが有名じゃ。 酒のせいでチャンスを逃がすなんてのは、わしもおおいに共感できるが、わしが言いたいのはそんなコトではない!
 結局、その後もロニーはメジャーシーンでの成功をつかむことはなかった。 大観衆の前に姿を現したのは、ロニー自ら鍛え上げた後輩たちのロック・グループであるザ・バンドの、その名も高き1975年の解散コンサート「ラストワルツ」におけるゲスト出演と、1995年に企画開催されたロニー60歳誕生日記念コンサートぐらいじゃろう。 その時はカール・パーキンスのお父様や、ザ・キラーことジェリー・リー・ルイスも祝福演奏のために登場したっけのお〜。


 さてさて、一体ロニーは何故「ミスター2月」なんて呼ばれていたんじゃろうか。 
 それはまず若き日のロニーと彼が率いるバンドの演奏スタイルが、一貫して50年代のエルヴィス直系のロック(ロカビリー)サウンドであったことが原因じゃった。 そのために、ロカビリーブームがひと段落した60年代はじめのアメリカでは芽が出ず、ロック第三国(ブームが遅れてやってくるという意味)だったカナダに活動の拠点を移したんじゃ。 またキャラクターもルックスも「頑固ロック野郎」って感じであり、決定的なエンターテイメント性が欠如しておった。 そうなるとじゃな、一年でもっともシラケル2月とか11月とかのオフシーズンにしか演奏ツアーが出来ないんじゃな、これが。
 
 しかしオフシーズンという数少ないチャンスをロニーと彼のバンドは、捨て身の強行スケジュールを組んで、アメリカのマイナー都市やカナダ中を必死になってツアーしたのじゃ。 
 本国アメリカの評論家からは「安物のエルヴィス」「季節外れのロックロール」「遅れてきたロカビリアン」と陰口を叩かれていたが、なんと言われようと演奏できる場所と時期をロニーは死守していたんじゃ。
 一説によるとロニーの音楽的志向はロカビリー一辺倒ではなく、ディープな黒人ブルースやカントリーにも精通していたらしく、彼のバンドはどこの土地に行ってもお客の様々なリクエストに応じることができたという逸話も残っておる。
 そんな武骨で無頼で、それでいて生真面目なロッカーであるロニーへ、少々のブラックジョークと愛情を込めてロックファンはやがてこう呼んだ。 「ヘイ、ロニー! ミスターフェブラリー!!」

 ところでじゃ。 
ロニーにはエルヴィスほどのビッグスケールな才能と運は無かったが、その代わりに、名伯楽(優秀な新人の発掘と指導の名人)としての資質があったんじゃよ。 ツアーに明け暮れたロニーの元で腕を磨いた若手ミュージシャンが、後に大輪の花を咲かせることは少なくない。 その代表例はロイ・ブキャナン、ザ・バンド、二ール・ヤングといったとこじゃ。
 また一方では、カナダに移った直後に当時のニューヨークで一番の創作的ポップ・ミュージックのレーべル、ルーレットレコードから何故か招聘を受け、同レーベルお抱えのアーティストの卵たちと交流も果たしておる。 その中から、これまたドック・パルマス、二ール・ダイヤモンドといった稀代の名シンガー・ソングライターたちが育ったりもしているんじゃな。 これはまさに、アゲマンならぬ、“アゲチン”(?!)のロックオヤジと言っても差し支えなかろう!

 ロニーのお膝元で腕を磨いたザ・バンドのレボン・ヘルムは、自著の中でこんな思い出を語っている。

「ロニーってのは実に器の大きい男だったな。 若手メンバーがうまく弾けないフレーズがあれば、実に熱心に指導してやるんだ。  またその反面、音楽よりも"酒"や"オ○ナ"が好きってタイプのヤツには、"アイツはしょうがねえ野郎だ"とか言いながらも、どっからか“ソレ”を調達してきて心ゆくまで楽しませてやるんだな。 時々、明日のギグはどうなるんだよ!ってヒヤヒヤしたもんだよ。(笑)」
 う〜ん、ローディーでもええから、わしもロニーのバンドに入りたかったのお〜! (勿論お目当ては酒の方じゃ!)

 商業的には大きな栄光はやってこなかったものの、 ロニー・ホーキンスはその抜群の人望と指導力によって優秀な後輩を育て上げ、ロック史にその名を密やかに刻する存在となったのじゃ。 時代の寵児として華々しく活躍することだけがロッカーではないぞ。 信念を貫き、活動の場を必死に探しながら、なおかつ後輩を育てていったロニーのようなも生き様もまたイキなロック・ライフってものじゃ。

 さて、ロニーの人生観つうかロック観ってのは、彼のユニークでストレートな発言によって言い当てられておるので、最後にわしのお気に入りのヤツをご紹介しよう。 半分は自己真理でもう半分はジョークじゃが、こいつにピンッ!とくるグッドセンスな諸君は、是非ロニー・ホーキンスというロッカーにあらためて注目してほしい。 世間様がオシズカなこの時期の風潮に流されそうな時は、骨太ながらも適度にルーズでソウルフルなロニーのロック、そしてその独特な存在感が諸君のロックンロール・ハートを熱くさせてくれるかもしれんぞ!

「オレの仕事はカネにはならねえが、シナトラよりもオ○ナは手に入るぜ!」
  ここでわしよりヒトコト。 「オ○ナを手に入れる前に、ナッソーをゲットせよ」
「人間、二人の師をもってちゃ大成しねえのかもな。 オレの師はロックと酒だからな(笑)」
  さらにヒトコト。 「ナッソーの他にサイドライン・シャツはどうじゃ! 欲しいブツは一気にゲットせよ!」
「オレの演奏を聴いてくれるトコがあったらどこでもいくぜ。 オレは生涯一ロッカーで充分だぜ」
  最後にヒトコト。 THE-KINGは地球上のどこにでも発送するぞ!」


 七鉄・雑記編   

 「七鉄、キャバ嬢にロック魂を炊きつけられて大シャウト!」ってハプニングを前回書いたが、その後も学生時代の「同窓会」やら地球放浪時代の「同胞者会」やらで飲み会はとどまることを知らず、その都度二次会で大シャウトをかまし続けていたら、ついにやってしもうた・・・ギ、ギックリ腰・・・じゃ・・・。 大シャウトどころか、うぅ、声を出すだけで腰に激痛の走る重症じゃった。 やはり歳には勝てんのかのお・・・と思いつつ、寝てばっかりいてもロッカーたるもんがすたる! 身体が動かせんのなら、脳みそを動かせってんで、ロックの蔵書を読みまくったんじゃ! そこでその存在の大きさを再認識したのが、今回ご紹介したロニー・ホーキンスって訳じゃ。 
 
 しかしまあ、はしご酒&大シャウトなんかを飽きもせず続けておると、活躍(?)の場の大半は眠らない夜の繁華街じゃ。 そこにたむろするのは今も昔も若いモンが多く、彼らとの遭遇も楽しんでおるわしじゃが、最近の若いモンは、どうしてあーもみんな同系のヘアスタイル、ファッションをしとるんじゃろうか。 わしには“茶パツ、金パツの軍隊”にしか見えんぞ。 流行のスタイルの良し悪しを言っておるのではなく、「右へ習え!」的傾向に異を唱えておるんじゃ。 もうちょっと独自のこだわり、工夫の痕跡ぐらいは感じさせてほしいものじゃ。 
 って訳で、そんなフラストレーションも溜まって、大シャウトにも気合が入り過ぎてのギックリ腰じゃ。 快気祝の酒宴からは、若いモンと遭遇した際には大シャウトの代わりに、やさ〜しく「THE-KINGのWEB SITEを見て、個性やこだわりってのを研究してごらん」と提言してみるかの。 ファッションへの独自のこだわり、工夫ってものがどういうものか、またそれを継続できる根底には何があるのか? そんな基本的な疑問に答えてくれる中身だからじゃ。 たまにはわしも大人の飲み方をせんとな! では快気祝にむけて、アメリカンロングコートでも羽織って出陣といくかっ!


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