8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.67
                                                                                                                     
          マザー・オブ・ロックンロール〜エラ・メイ・モールス




  こんヴぁんはぁーん!  頑固8鉄よ!チュッ!
  わたすい〜があ〜マーマーよぉ〜♪
  ウオエエエエ・・・あー、気持ちわりい・・・

  そんなわけで、どんなわけだかわかりませんが、「何が最初のロックレコードか?」っていう、鶏と卵みたいな話が昔からあるんですよ。
 そもそも「ロックってなんだ?」ってところもはっきりしないのに、そんなこと考えてもまったく無駄なわけですが、一応、面白いお話ではある。
 そんな中、とても無視するわけにはいかない重要人物なのに、ひっそりと忘れられている人がいます。

  エラ・メイ・モールス。
  1924年、テキサス州マンスフィールドに生まれた彼女は、1940年代初頭、ポップ、カントリー、ジャズ、リズム&ブルーズをブレンドした音楽を唄った、最初の歌手のひとりです。
こうした、ミクスチャー音楽には、当時は、はっきりした名前がなく、50年代初頭に、一説によると、DJ、アラン・フリードが「ロックンロール!」と叫んだことによって、ロックンロールという名前で呼ばれるようになった、と言われています・・・・・

・・・とかなんとか、書くと、
「あれ?8っつあん、それって、どこかで聞いたような話だぞお?」
「んだんだ!そら、あれでねえか、恵比寿フリスビーとかいうやつの話でねえべか?」
「いんや、ビール平太とカレーの米粒、とか言う連中の話じゃ?」

なんて井戸端でのやりとりが聞こえてきそうな感じ、ですよね?(そこのお客さん、失笑しないでくれる?)



いえいえ、1942年に出たウエスタン・スイングナンバー、「カウ・カウ・ブーギ」を唄ったとき、彼女は17歳。今聴けばわかるとおり、そのフィーリングは、完全に初期のロカビリー(白人によるリズム&ブルーズ)です。
このとき、エルビスは、紙飛行機を飛ばして遊んでいる7歳の子供ですし、ビル・ヘイリーは、エラよりひとつ下の16歳ですが、やっとギターケースをどっこらしょ、ともって旅回り楽団に入ったばかりのころ。まだ自分のバンド結成すらしていません。

エラは、白人ですが、父親がプロのジャズドラマーだったことから、幼いころから黒人音楽に親しんで育ちました。
そして、歌手としてバンドに正式加入したのは、1939年、わずか14歳のときで、バンドはローカルどころか、世界的に有名だったジミー・ドーシーのオーケストラ。
ドーシーは、エラの自己申告を真に受けて、19歳だと信じていたのですが、実際の年齢を知って、びっくり。
「げげげげ!!!!いいオナゴだと思っとったら、まだガキじゃん・・・汗」みたいな感じで。
教育委員会との関係上、未成年者の保護に関する責任が生じるために、「やべ!」と思ったドーシーは、彼女を解雇せざるを得ませんでした。
在籍期間はわずか2か月でしたが、ここで知り合ったのが、ドーシーのピアニストだったフレディ・スラック。

スラックは、もともと、ブーギウーギの元祖のひとりである、パイントップ・スミスのブーギウーギピアノが大好きで、ジャズのビッグバンドにそのサウンドを生かせないか、と常に考えていた人。.それがとうとう結実したのが、モールスと組んで出した一連のレコードだった、ということになります。


 
 さて、1942年、フレディ・スラックは自身のコンボを結成した際に、17歳になったエラを加入させます。そして彼らは、同年に設立されたばかりのキャピトル・レコードから「カウ・カウ・ブーギ」(原曲は、チャールズ“カウカウ”ダヴェンポートの「カウ・カウ・ブルーズ」)をリリースしますが、これがゴールドレコード獲得の大快挙。
 のちのちに大会社に成長する、キャピトルレコードの基礎を作ったとすら言われています。

 続いて出た、「ミスター・ファイヴ・バイ・ファイヴ」もスラックのバンドと演奏したもので、これも同じく42年にヒット。これは、リズム&ブルーズチャートの第1位に達しますが、白人歌手としては、これがたぶん歴史上初めてのことであります。
エラ・メイ・モールスは、白人黒人別のチャートの壁をぶち破った世界最初の人、なのです。

 さらに、戦時中には、彼女自身のペンになる「ミルクマン、キープ・ゾーズ・ボトルズ・クワイエット」が出て、これは後年、ナンシー・ウォーカーが、映画「ブロードウェイ・リズム」で唄い有名になります。
 1943年には、ソロでレコーディングした「シュー・シュー・ベイビー」が再びリズム&ブルーズチャートの第1位に。この時点で、レコードやラジオを聴いていた人々は、エラが黒人だと信じていた人も多かったようです。
 しかし、単にR&Bで有名になった「白人のソウルシスター」ではなくて、もっとすごい点は、ポップチャートでもトップ10に入る大ヒットになったことです。
これはチャート上、最初のクロスオーバー・ヒットで、もうこうなると、あからさまに「ロックの誕生」そのものです。じつは、ヘイリーとプレスリーに先立つこと、12年も前の1943年に、ロック音楽は出来ていた、ということになります。
 それなのに、エラは本当の一流スターにはなれませんでした。

 ご多分にもれず、当時から、黒人っぽさをめちゃめちゃ薄めて白人マーケットで売りやすくしたアンドリュー・シスターズが、彼らのレコードをカヴァーしまくり、売りまくった、というのも一因といわれており、その点は、50年代半ばのロック音楽誕生時代とまったく同じ。そういったインチキな連中に人気を食われてしまったのです。



 1946年は、スラックとエラにとって、おそらく、決定的な年で、「ハウス・オブ・ブルーライツ」が出た年です。この曲は、多くのR&Bアーティストにとりあげられることになりますが、さらにカントリー&ウエスタンのクラシックともなっており、エラの音楽の軌跡からみても、これで、ジャズ〜ブーギウーギ〜リズム&ブルーズ〜カントリー&ウエスタン、と、アメリカ音楽のオールジャンルで大ヒットを出したことになります。

 1952年、エラは、全米で最も有名なビッグバンド、ネルソン・リドル・オーケストラをバックに、「ブラックスミス・ブルーズ」を録音、ついにミリオンセラーを達成します。さらに追い打ちをかけるように、ノリノリのアップテンポなロック曲「オーキイ・ブーギ」も大ヒット。

 しかし、50年代前半、ポツリポツリとではありますが、リズム&ブルーズが白人の間で流行りだし、いよいよ本格的にロック音楽が産声をあげようとしている中、ブームにのって金もうけだけしてしまおう、とたくらむ連中が次々に出した、単なるR&Bのモノマネにすぎない薄っぺらな「白人製偽物」とごちゃごちゃにされたエラは、先駆者であるにもかかわらず、逆に影の薄い存在になっていきました。

 これの主な原因は、キャピトルという企業の体質にあったと言われているようです。キャピトルの出すレコードのほとんどが、気の抜けたようなくだらないビッグバンドのムード音楽ばかりになっていました。
そのキャピトルが汚名を挽回するのは、再度エラのようなアーティストを発掘することを目指したプロデューサー、ケン・ネルソンが、後年、ジーン・ヴィンセントを発掘したときで、以後、キャピトルは、ヴィンセントのほか、エスケリータ、ファイヴ・キイズなどによって、ホンモノのR&B、ロックレコードを出し続けることになってからです。

そんな状況にもめげず、エラは、50年代前半、ビル・ヘイリーが後に吹き込んで有名になった「フォーティ・カップス・オブ・コーヒー」のオリジナルや、逆に、ヘイリー作の曲のカヴァー版「ラズル・ダズル」を吹き込んだりもしており、かなり出来栄えもいいにもかかわらず、ヒットはしなかった。
思うに、ネルソン・リドルは当時、白人中流階級の「安心安全の権化」みたいなバンドで、反逆的なロックとは正反対のベクトル。それと組んだエラはたぶん、水で薄めたような白人カヴァー歌手と勘違いされたのではないかと思います。



 結局、エラ本人は、軍人さんと結婚、主婦となり、57年にはレコーディングをやめ、ショービジネスの表舞台からは去ります。
 フレディ・スラックは、1965年に死去。
 エラは、主婦業の傍ら、90年代まで小さなパブでジャズソングを唄う活動のほか、ディズニーランドに出演したりもしていましたが、1999年に呼吸不全により、75歳でこの世を去りました。

 残されたのは、今日では、ドイツのベア・ファミリー・レコードのボックスセットになるほどたくさんの、最初期の、白人バンドによりリズム&ブルーズ、すなわち、最初のロックレコードの数々と、6人の子供、多くの孫やひ孫たちでした。

 彼女の功績は、歴史的文献としても、1984年に書かれたニック・トスチスの名著「アンサング・ヒーローズ・オブ・ロックンロール:エルビス以前のロック生誕物語」に取り上げられてもいます。

 最初に書いたように、誰がオリジナルのロッカーか?なんてのは、意味のない議論だと思います。そんなことは音楽そのものとはなんの関係もない。
 かっこいい音楽はいつのものだろうと、ヒットしてようとしてまいと、かっけえ!のです。
 

 しかし、わたくしは、ここで改めて、あえて、エラ・メイ・モールスは、「ロックンロールの母」と呼ぶにふさわしい、そんな音楽をたくさん残した素晴らしい歌手であった、と言いたいと思います。




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