8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.47
                                                                                                                                                                                                          
                           
   「夢の城」〜西荻窪の風景


 こんばんは。サラリとフツーに入ってきた頑固8鉄です。
今回は目先を変えまして、テレ東風低予算バラエティコラムをお送りします。
(ナレーター:滝口順平のつもりで・・・)

さてさて、いきなりですが、「西荻窪探訪」。
なんだか、「○ド街ック天国」のようなコーナーですが、ひとつ、わたくし頑固8鉄なりの視点で書いてみました。

数年前に、杉並の西荻窪に行ってきました。久々といっても、ほとんど15年ぶり、かつてよく遊びにいったのは、20年近くも前ですから、ほとんど浦島太郎状態ですね。

しかし、なんでわざわざ西荻窪なのか?

 東京の街というのは、めちゃくちゃ金持ってる大会社がわんさかあり、さらに、日本で唯一大金持ちな自治体、東京都がドカドカ再開発をかけて、ものすごい勢いで変貌していきますから、10年、20年というタームでみると、もはや原型をとどめてないという街も多数あります。しかし、西荻窪は、それほど変わった様子が感じられない。これは、比較的珍しいことで、わたくしにとっては、じんわりと、うれしいことであります。

といいますのも、前にも書いたとおり、僕は東京都のド真ん中、麹町の出身なのですが、ここは、そうとう早い時期(昭和50年代)から、「原型をとどめてない街」の筆頭です。
巨大なブロック単位で土地を買い取ってビルを建てるために、かつて、いたるところにあった「路地」はほぼ完全に消滅、木造平屋の長屋も消滅、土管の積み上がった空き地も消滅、落書きだらけの板塀も、広大な敷地の有名なお屋敷もなくなり、無機質なオフィスビルと、税金対策の駐車場群ににとってかわられつつあります。
土と緑はすべて灰色のアスファルトとキラキラ光る巨大なガラスの箱にとって代わられました。

当然、「昭和の子供」であるわたくしの「夢の城」だった、近所の駄菓子屋(ジャンゴ・ラインハルトの有名なギター曲、「夢の城」を聴くと、僕はいつも駄菓子屋を思い出します)も、豆腐屋も、横町の揚げ物屋も、まるで潮が引くようになくなっていきました。
いつも母に頼まれて「お使い」に行くと、お菓子をくれて、楽しい話をして笑わせてくれる、優しい乾物屋のおっちゃんもいなくなってしまった。彼は、「僕もいつかこんなおじさんになる!」と思った、最初の「ヒーロー」だったのですが。

学校の裏門前にいつも年末年始に出現した怪しいテキヤのおやじや、屋台の金魚売り、夜鳴きそば、焼き芋屋、ラッパを吹きながら近所を廻る豆腐屋、いまでは、全部、まるで子供時代にみた幻のようです。
そして、子供心に懐かしい、時速15キロで走る路面電車も、最も早くに姿を消した地域でした。
わたくしの5感を育てた、見て、聞いて、感じた「麹町の原風景」は、「ダムに沈んだ村」のように、遙か昔に、オフィスビル群の中に沈んでしまい、もう決して見ることはできないでしょう。
しかし、それは、わたくしの知っている「幸せ」の一番大切な部分を含んでいたと思うのです。

子供のころ、優秀な秀才は考えたでしょう、「医者になる」とか「弁護士になる」とかね。だけど、当時、わたくしのようなほとんどのぼんくらガキは「小さな食べ物屋になるんだ」とか「本屋さんになる」とか「プラモデル屋さんになる」とか考えてましたよ。

その背景には、いつも漫画雑誌を売ってくれる小さな本屋のおやじが近所の豆腐屋のおやじと3件となりの横町の飲み屋の縁台で談笑するのが、当たり前で、その当たり前の生活の中にこそ、なにか理屈でない楽しさ、安らぎがあったのを見て育ったという「時代性」があったのだと思うのです。

だけど、よく考えたら、今の子だって本当はそうなんじゃないでしょうか? 誰が、「サラリーマン」になりたいなんて思うでしょう? 
人がいて、暮らしがあり、暮らしがあるから街がある。無機質なオフィスばかりの街、夜寝に帰るだけの建て売り住宅ベッドタウンで暮らして、携帯電話ばかりいじくり回しているのが楽しい人間なんてどこか異常なんじゃないでしょうか? お父さんは夕方5時に帰ってきて、一家で食事をするのが「幸せの元」なんじゃないか。
いったい、かつて、わたくしが知っていた、「ささやかな幸せの夢の城」はどこへ行ってしまったのでしょう?

それがまだ、ある。
東京23区の西のはずれ、杉並区の西荻窪で再発見してきたのでした。



ここは、かつて東京の中心部にもあった、昭和30〜40年代の原風景に近いものがまだ残る街です。付近の三鷹や吉祥寺からなくなりつつあるものが、まだ、ある。
明治や大正期の「由緒歴史のある街」ではありません。そうではなく、「昭和半ばの普通の生活の香りが残る街」なのです。これが珍しくなりつつある。
なぜ、ここがそのような街のままでいられるのか、わたくしは、都市計画の研究者でもありませんし、歴史にも明るくないのでわかりませんが、ひとつ改めて気がついたことがあります。

ここは、お隣の荻窪や、吉祥寺、三鷹といった街にある「大規模小売店舗」が見あたらないのです。「大規模小売店舗」というのは、要するに、デカいスーパーやデパートのこと。こういったものが幅をきかせ出すと、たちまちもともとあったこぢんまりした個人商店が並ぶ「商店街」がダメになります。
しかし、西荻窪駅近辺には、そういう大規模店が様になるような「広い道路」がない。いたるところ、狭苦しい路地だらけです。それがよかったのかもしれません。



 かつて、「大規模小売店舗法」という法律があって、これが中小商店を保護するため、大規模小売店の出店を規制するものだったのですが、橋本なにがしが総理だったときに、これを廃止してしまいました。広い土地、広い道路が確保できる街であれば、たちまち大資本が巨大な百貨店を構えて、街全体が様変わりしていくでしょう。なんだかんだいって現金なもので、「おしゃれな空間でいいモノが安く買えればそのほうがいい」ということになるのは仕方ない。しかし、そのせいで、商店街がいわゆる「シャッター通り」になってしまえば、そこはいずれどこかに買い取られて、また無味乾燥なビルディングが出来ていくわけです。それが、経済効率性からいって最適の選択というわけなのでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか?

ちょっとそんなことを考えさせられる典型的な例は、同じJR中央線沿線の街、立川でしょう。
かつての立川基地の跡地に、伊勢丹やルミネ、高島屋が進出して、まったく様変わりしてしまい、ちょっと飯を食うにも、いちいち百貨店のレストランに行かなくてはならないような街なのです。
かつてあった巨大な団地群、多摩ニュータウンは、姿を消し、お隣の国分寺にあった逓信住宅(旧郵政省職員宿舎群)もなくなり、ほったらかしの広大な国有地があるため、「緑豊かな公園」とは名ばかりの、殺風景な野原が広がり、現代風になったとはいえ、これまたオフィス街と同じようなたたずまいの無味乾燥な団地が延々続くようなところ、それが立川の現状になってしまいました。
かつての商店街を訪れてみましたが、ほとんどはシャッターが降りたままで、まるで廃坑になった炭坑町のような有様。
ここが、「いい街になった」と思っている人は、東京都と通産省の役人だけなんではないでしょうか?



それに比べると、西荻窪は、住んでいる人の息づかいが感じられるような素晴らしい街なのです。わたくしだけがそう感じる特殊な人間だとは、どうしても思えません。
商店街と商店街を結ぶ細い路地にも、かつてわたくしが40年前に住んでいた麹町の社宅の隣にあったのとそっくりの、古い食堂があり、思わず立ちすくんでしまいました。ちょっとのれんをくぐったら、たちまちタイムスリップして、3歳児に戻ってしまうんじゃないかという感じ。
それに、母がよくいった古めかしい美容室をそのまま移設したんじゃないか、と思えるような美容室も。さらに、豆腐屋、揚げ物屋、文房具屋、古本屋……きりがありません。僕が現在住んでいる千葉の佐倉も古い街で、こうしたロケーションはあるのですが、江戸から残っている・・といった文化財的な感じが強すぎて、わたくしの原風景とはたたずまいが違います。その点、西荻窪の商店街は、まさに、30年以上前の東京にタイムスリップしたかのようでした。

小さな天ぷら屋に入って食事をしたのですが、他にお客がいなかったので、そこの主としばらく話をしてきました。そこで、今、ここに書いているような話もし、60代と思われる店主の共感も得られたのですが、残念ながら、現実は厳しいとのこと。彼の店のような30年来の老舗は、まだ食べていけるが、新規で出す店はすぐになくなってしまい、入れかわってばかりで、商店街全体としては、もはや地盤沈下が進んでいるということらしいのです。



それに、「西荻窪は素晴らしい街だ」と、わたくしと同じように感じる人が大変多いけれども、その需要に応えられるようなマンション建設などの再開発がないために、ここは地代や家賃がべらぼうに高い。いくら住みたくても、空き物件がないか、費用が高すぎるかで、住めないわけですね。もし、それをカバーするような再開発が入ったら、街が様変わりしてしまい、今度は誰も住みたくなくなるようなところになってしまう、という矛盾を抱えているわけです。
ここで、政策を論じてみても仕方ありません。それは、わたくしと同じような「原風景」を持ち、それを大切に想っている人にだけ通じる感覚だからです。
それに、現実問題、いくら素敵な街だからといって、住めるような財産も金もないので、わたくしとしては、ただひたすら西荻窪がこのまま変わらずに、「夢の城」であって欲しいと願うだけです。

さて、西荻窪は、もうひとつ、若い頃の思い出が深い街でもあります。それは、大学時代、ここに仲良しのガールフレンドが2人も住んでいたからです。そのうちひとりは、卒業後も同じバンド仲間だったので、しばしば遊びに来たものでした。その当時は、古い街並が残っているところは東京中いたるところにあったので、それほど実感はなかったのですが、現在では、若いころの思い出ともども、貴重な街になったのだなあ、と感じます。



この2人は、今でも、荻窪近辺に住んでいて、同じバンド仲間だった彼女とは再会を果たして来ました。三児の母であり、大変に忙しそうでしたが、再会してしまうと、長い年月がたっていることをすっかり忘れてしまったものです。
かつて、血気盛んな若造だったときに、近くの飲み屋で夜通し酒飲んで、話をし、笑いもすれば、泣きもした。あこがれたこともあれば、慰められたことも、喧嘩したこともある。そういったガールフレンドが、そのときの街に、こんな素敵な街にまだ住んでいる、というのはとても素晴らしいことに思えます。
もし、わたくしがここに住んでいたなら、今でも、「ちょっと遊びに行こう」と言って、平日の夕方でも家族ぐるみで飯を食って、楽しいだろうなあ、と思うと、ちょっと切なく、また、僕にとっての「幸せ」はどんなものなのか、再確認したような気分です。

暮らしそのものの楽しさが人生の幸せであり、それは「歩いていける距離」にいる人との結びつきにある。
月並みかもしれませんが、そういうことではないでしょうか?



さて、皆様に1950年代(昭和20〜30年代)のファッションをお届けする、THE KING営業事務所の立地する、東京の押上も、西荻窪に匹敵するような商店街が残る、「昭和の香りがする」素晴らしい街であります。
最近、「新東京タワー」なる開発が進み、相当様変わりしそうではありますが、旧商店街がいつまでもにぎわいを失うことのないよう、影ながら祈っている、「古い男」、頑固8鉄なのでありました。

 

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