8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.255

頑固8鉄のOSHIGOTO



みなさん、こんにちは、頑固8鉄です。
わたくし、自分史を書こうと思っても、記憶が。。。
わしゃ、誰じゃったかのお。。。とまではいかないものの、
そんな能力ありません。

ま、しかし、お仕事いろいろあったっけ、僕はないちっち、カレーもあるでよ、
な感じで、OSHIGOTO話をしばらく連載してみるにゃ。(なぜか猫語。)
では、スタート!



プロローグ~序章

「何やってんだ、遅い!よく見ていろ、こうだ。できなけりゃ辞めちまえ。」
そのとおり、わたしはその日にアルバイトを辞めた。

きついうえに恐怖で身がすくむ思いであった。
最初の職業体験は惨憺たるものだった。
1970年代、まだ日本進出したばかりのマクドナルド一号店のことだ。

わたしはポテトを揚げる役だった。まず、研修があるのだが、
その最中から怒鳴られまくった。
最初から教わらずに出来たら天才である。
しかし、天才以外は全員怒鳴られるのがアメリカ流なのだろうか。
今考えるとありえないレベルの話だが、当時はけっこう当たり前だった。

その後、大学入って間もなく、友人とアンケート調査の日雇いをした。
ぎわたしが受け持ったのは、北区の住宅街で、路地裏ばかりの、
言葉は悪いけど、たいへん貧乏くさい長屋が立ち並ぶところだった。

夏のその日、人があまり好きじゃないわたしは、多いに気おくれしながらも、
少しでもノルマをこなすべく、片端から声をかけて歩いた。
案の定、罵声をあびるのがほとんどで、水をかけられたりもした。
話をするどころか、追い払われる悪質な訪問販売のようであった。
一日足を棒にして歩いて、得られた答えはたった4件。
事後報告したところ、「馬鹿野郎。これだけか。
辞めちまえ。二度と来るなよ。」と言われた。

一方の友人のほうは、たいへんたくさんの結果がえられて、
ほめられ、ホクホクであった。

「コツがあるのかい。俺は怒鳴られて終わりだよ。」
「馬鹿だな、真面目にやったのか。」
「そうだ。一生けんめいやったんだけど。」
「本当に間抜けなやつだ。俺は歩いてもいないよ。
喫茶店に直行して、全部自分で書いたんだ。筆跡変えて。」

わたしは、そのとき、世の中の、人間社会の、世渡りの秘訣、秘密を発見した。
しかし、できるかといったら、できなかった。
わたしには、なぜかそういう知恵がないのだ。



OSHIGOTO NO.1 某喫茶店 「アルガさんがニヤリと笑う」

アルガさんは、日本人だ。
有賀さんとも書く。

彼は、まだ20歳で、日本全国に店舗展開していた喫茶店の店長をしていた。
1980年のことだ。
わたしは18歳だったから、2つ上なだけだが、こちらは学生アルバイト、彼は店長。
かといって、給料がそれほど違うわけでもない。

アルガさんは、ちょっとエキゾチックな細面の二枚目(今はイケメンというらしい)だったが、
元ヤンキーなのが見え見えでちょっと怖かった。
なにしろ、茶髪パーマのリーゼントで眉にソリが入りまくっていた。

アルガさんは、なにしろ、しゃべらない。
「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」しか言わない。
わたしに、喫茶店で働く実務のあらゆることを教えてくれたが、
ほとんど口をきかず、ときどき、わたしの顔を見て、
「ここがコツだ」と言わんばかりにニヤリとする。
せいぜいそれくらいで、ほとんど体の動き方を動いて教えて見せる人であった。

わたしはそれをなぞればよかったのだ。
朝、8時半にタイムカードを押すときは、まだ半分眠っていた。当時、朝は弱かった。
アルガさんは何時に来ているのか。もう、すでに仕込みが半ば終わっている。
仕込みが大切だ。まずは、そこから教わる。コーヒーは巨大な金属容器に張った
強靭なキャンバスっぽいドリッパーに、
巨大な缶から取り出した粉末コーヒーを指定通り入れる。巨大な特大ケトルで湯をたっぷり沸かす。
すべて、そのチェーン店の業務用オリジナルだ。

そして、その重いケトルからお湯をぐるぐる回すように落とし入れる。
結構時間をかけるので、腕っぷしがものをいう。
できたコーヒーは、ホットとアイスの両方に使う。アイスは一定量冷やしておく。
十分冷えなくても構わない。
ホットの場合は、小さな鍋に注文人数分注ぎ、温めるだけ。
そのまま柄杓でグラスに入れるだけ。

紅茶は、ふつうのリプトンティーパックを使っていた。
アイスは氷をぎゅう詰めにしたグラスにホットの紅茶を注ぐだけ。

トマトジュースとコーラは、容器を移し替えているだけだ。
一番面白いのは、アイスココアで、ジューサーに、牛乳、ココアの粉末、砂糖、
そして、バニラアイスを入れてゴォーッ、それでおしまい。

サンドイッチも作り方を教わった。要はよく切れる包丁だ。毎日、研ぐ。
パン切包丁なんて面倒なものは使わない。
なんでもひとつの包丁で済ませる。そうでないとスピードの追いつかない。
しかも、切れ味が悪いと、野菜サンドで悲惨なことになる。
トマトを極薄にスライスするのも包丁一本で、これもアルバイトの仕事だった。

今のように、厨房=資格者=長い経験が必要、なんてことは全くなかった。
18歳の学生がいきなりこれらを教え込まれるのだ。
よく指を切り落としそうになったが、案外、楽しかった。

というのも、アルガさんが、まるでしゃべらない、
パントマイムのようにスマートに教えてくれたからだ。ときどき、ニヤリ、としながら。わかった?
というニヤリ。あれがよかった。

そして、当初は、当然、フロア、すなわち、ウエイターだ。
わたしはウエイターだけでいいのかと思って応募したのだ。
のちに、厨房、ひいては、店長臨時代理までやることになるとは思っていなかった。

ウエイターの仕事は、物腰と素早くて安全な身のこなしがものをいう。
一度にたくさんの食器をおぼんひとつで下げるのはある意味、職人芸であった。
これもわたしはこなした。覚えは早いのだ。

洗い物もウエイターの担当だし、レジもウエイター。
どれほど素早く効率的に洗い物をこなすか、これはウエイターの腕にかかっていた。
当時のレジは、計算機能がない。脇においてあったのはソロバンという時代。
わたしは、いつも暗算で処理した。



アルガさんと、夕刻の暇な時間帯に、話したことがある。
言葉が少ない人だったが、彼は群馬の出身で、東京でアパート暮らしをしながら、
やがて喫茶店を開業することを目指して頑張っているということだった。

いつも寡黙ながら、ちょっとクールなほほ笑みの人、
アルガさんが深刻な顔をするのは、店じまいをするときだ。

わたしとふたりで、黙々と伝票を整理し、帳簿につけ、売り上げを集計する。
そして、その結果にいつも決まって、つらそうな渋面を作った。
わたしからみれば、たいてい、大卒初任給の月給を軽く上回る額を一日で売り上げているので、
いいのかと思うのだが、それではとても足りないらしい。

わたしのバイト代なんて、最低賃金なのだが。立地が麹町、という、
きわめて地価が高いところだったからなのか。よくわからない。

とにかく、すべての仕事を今の時代と比べると、機械に頼らず、
人力で、即座に使える桁外れの能力が必要だったと思う。

あるとき、本社の営業が回ってきて、仕事ぶりを調査する。担当者に言われた。

「きみは、このまま残れ。
大学卒と同時に本社で採用することを約束するから。」
うれしい申し出だったが、わたしは、このあと、辞めることになった。
家庭の事情というやつである。アルガさんのその後も知らない。

最後に、アルガさんの忘れがたい思い出話をする。
あるとき、仕込んだばかりのコーヒーが入った巨大容器に
小さな異物が入っていた。

言っておくが、世間で思うほど不潔なものでは決してない。
そう思い込む人が多いだけだ。それは科学が保証する。
しかし、わたしは躊躇した。
「店長、これ、ぜんぶやり直します?」
すると、アルガさんは、そいつを長いスプーンでぴょんと外へ弾き飛ばして、
こともなげに作業を続けながら、わたしの顔を無言で覗き込んで、
いつものように、ニヤリ、と笑ったのである。

あの笑いは、忘れない。
世間の偏見をあざ笑うかのようなニヤリ、に私は思えた。

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