8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.20
                                 
  
  
ディーコンズ・ホップ!- ホンカーズの王様
                
 ビッグ・ジェイ・マクニーリー

 バババッバッ!バッババ!
バババッバッ!バッババ!
ボボボボボボッ!ブキィィィィ!!
バ、ババババババッ!ボボボボボボ!
ブッ、キィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!

 こんにちは。頑固8鉄です。
ボボボボボボーボボ、じゃありません!
いきなり、ゴリゴリのサックスブロウ文字ヴァージョンで始まります、第20回のコラムは、ホンキング・サックスの神様、ホンカーズの王様といわれる、ビッグ・ジェイ・マクニーリー。
ロカビリーを愛する皆様も、たぶん、テナー・サックス入りのロカビリーを聴いたことがあるはず。特に、ビル・ヘイリーのコメッツで、ウッド・ベースと一緒に暴れ回りながらサックスをブリブリとブローするルディ・ポンペリをご存じの方も多いでしょう。

 さて、あのスタイルの吹き方を「ホンキング」と称するのですが、起源は、1940年代、ライオネル・ハンプトン・オーケストラにいたテナー・サックス奏者、イリノイ・ジャケーが吹いた「フライング・ホーム」が元祖だと言われています。しかし、実際にレコードを聴いてみると、「なんだ、フツーのジャズじゃん。」というのが率直な印象。ロック!という感じはほとんどありません。

サックスのテクニック的に言うと、ホンキングというのは、「オクターブ・キイをうまく使い、同じ音を違うフィンガリングにより、異なる音色で交互に出す」ことを言うのですが、このテクニック自体は、古くからあり、最初に駆使して有名になったのは、レスター・ヤングです。
カウント・ベイシー楽団在籍当時の若き日のレスターは、今日のジャズ・ファンが好きな、後年の「小さな音でささやくように吹くデリケートなサックス奏者としてのレスター・ヤング」ではなく、極めて大きな音(楽器らしくない、クルマのホーンのようだと酷評された)の奏者でしたが、その複雑で個性溢れるメロディー感覚でめきめき頭角を現した人だけあって、いかにもジャズらしい感覚です。

じゃあ、ロック・サックスといって今日イメージされるような、金切り声で単純なフレーズをバリバリと吹きまくるサックスで、最初に有名になった人は誰だったのかといえば、それは間違いなく、ビッグ・ジェイ・マクニーリー。



 近年、リリースされた「R&Bサックスの歴史」には、こんな風に記されています。
「ロックンロール・サックスの歴史は、ビッグ・ジェイ・マクニーリーから始まった。彼は、バーの中を歩き廻ったり、仰向けになったりしてサックスを吹きまくったホンク・テナーの王様であり、50年代でもっとも"イカれた男"だった。」

 1927年、カリフォルニア生まれのセシル・B・マクニーリーこと、ビッグ・ジェイ・マクニーリーは、高校時代から自分のジャズバンドを結成し、フツーに当時のジャズ・サックスを吹いていましたが、1948年、サヴォイ・レコードから吹き込み依頼が来たところで、ある決心をします。

 ビッグ・ジェイ 「オレ、もう、やーめたっと。」
バンド仲間 「ええっ??なんだよ!バンド辞めちゃうのかよ!せっかくレコードが出るのに!」
ビッグ・ジェイ 「ちげえよ。みんな同じようなズージャやってるじゃんよ。あれ辞めようぜ。」
バンド仲間 「一体、何やるんだよ?ドラえもんとか、ルパン3世のテーマとか・・(ウソ)」
ビッグ・ジェイ 「だからよ、ロック、しようぜ!ロック!」
バンド仲間 「ロ?ロック?な、なんだそら??(汗)」

なんてやりとりがあった可能性もなくはありませんが、1948年には「ロック音楽」なんてありませんので、バンドメイトもサヴォイレコードもびっくり仰天。実は、ビッグ・ジェイは、とんでもないパンク野郎だったのです。
彼が吹き込んだのは、畳にバリバリと爪をたてるように、単音をすさまじい大音量で吹きまくる、自作のサックス・インストルメンタル、「ディーコンズ・ホップ」。1949年、これがリズム&ブルーズ・チャートのナンバー1にのし上がるのです。
そして、ここから、ビッグ・ジェイの伝説的なステージアクトが有名になっていきます。



 ある晩、サンディエゴのバーでライブをしたビッグ・ジェイは、「ディーコンズ・ホップ」をノリノリで吹きまくったまま、客席に乱入、仰向けになって吹きまくるわ踊りまくるわ、大暴れ。とうとう、サックスを吹きながら、店の外に出て行ってしまいました。
バックバンドを残し、熱狂した観客も全員、ついていった。しかし、こんなキ○ガイ集団を世間がほっとくわけがありません。先導していたビッグ・ジェイはたちまちサツの旦那に逮捕されてしまい、警察署に連行。そして、説教くらって釈放され、店に戻るのですが、その間、店ではバックバンドが、ずっとそのまま「ディーコンズ・ホップ」を演奏し続けていたそうです。ビッグ・ジェイが戻って無事、終了したこの曲、いったい、何時間演奏し続けていたのでしょうか。

また、あるスタジアムでのコンサートのこと。ビッグ・ジェイは、再びサックス吹きながら、アリーナに乱入、ホームベースで仰向けになって吹きまくったまま、ファーストベースまで背中で這っていった、という、すさまじいステージアクト!
しかし、いつも観客を熱狂のるつぼに放り込んでしまうビッグ・ジェイ、警察から目をつけられ、ロス・アンジェルスでは演奏禁止になってしまったりもしています。

 そうした、「ロック・サックスの元祖」的な活動の傍ら、彼はウエストコーストのドゥーワップ界との密接なつながりから、ハリウッド・フレイムズ、ペンギンズ、メダリオンズ、マーヴィン&ジョニー、トニー・アレンといった、様々なドゥーワップグループや歌手とともに大活躍しています。このあたりは、コンサート会場だった「エル・モンティ」で活躍したミュージシャンたちであり、後に、フランク・ザッパが作った「メモリーズ・オブ・エル・モンティ」という、ペンギンズが唄ったオマージュ・ソングもあります。
50年代の半ば過ぎ、世の中でロックが流行出したころには、ビッグ・ジェイの共演者はあらゆる地域のミュージシャンに広がっていき、ニューヨーク東海岸が本拠だったハープトーンズ、シカゴのクローヴァーズ、ムーングロウズから、全国区のビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ、リトル・リチャードにまで及びます。
1959年には、自作のバラード「ゼア・イズ・サムシング・オン・マイ・マインド」が、R&Bチャートのみならず、ポップチャートでもヒット。後に、ボビー・マーチャン、B・B・キング、エッタ・ジェイムズなどのR&B勢から、ロカビリーのジーン・ヴィンセント、テックスメックスのフレディ・フェンダーまでが吹き込む大スタンダードとなるのです。



 しかし、60年代になると、こうした熱狂的にスイングするスタイルの音楽そのものが減っていき、ロック音楽の器楽の主流がギターになっていくにつれて、ビッグ・ジェイには仕事がなくなっていきます。そして、彼は、とうとう、フルタイムのミュージシャンを引退することにしました。

「まあ、いいや。適当に働きながら、のんびりやるべえ。」と言った感じで、ロスで郵便配達の仕事につき、20年近く、勤め上げた1983年、ビッグ・ジェイは、B・B・キング、アルバート・キング、エッタ・ジェイムズといった一流の現役ブルーズミュージシャンに呼ばれて、グラミー授賞式でゲスト演奏をします。
 さらに、その2年後、ヨーロッパツアーで行ったドイツのバーでライブ中、いつものステージアクトで、店の外に出てサックスを吹きまくりましたが、たまたまベルリンの壁が取り壊されている最中だったため、ドイツのマスコミが冗談で「ビッグ・ジェイ・マクニーリーが巨大なサックス・ブローでベルリンの壁をぶっ壊した」と報じたりしたものですから、再び世間の注目を集めるようになった彼はフルタイムのミュージシャンとして復帰しました。



 今日では、彼が愛用していたコーン製テナー・サックスが、スミソニアン博物館に展示されており、「歴史的大人物」と政府のお墨付きまで得ているビッグ・ジェイが、後年のサックス音楽全般に及ぼした影響は計り知れないものがあるのですが、すでに80歳を数える現在も、バリバリの現役!
北米、ヨーロッパだけでなく、日本にも来ていますし、ブルーズ、R&B、ジャズなど様々なフェスティバルに呼ばれ、ジャンルも国境も越えた活躍ぶりを見せています。
youtubeの最近の映像を見ても、かつてと同じく、客席に乱入したり、特注電飾サックスを吹いてみたり、合間に「ズヘヘヘ・・」と笑ったり、相変わらず茶目っ気たっぷりで、痛快きわまりない大活躍ぶり。

 MCも愉快な人で、「公園に行くとかわいこちゃんがたくさんいる!イエー!劇場に行ってもかわいこちゃんだらけ!イエー!どこに行ってもかわい子ちゃんがたくさんいるよな!イエー!だけど、家に帰ると・・」と言って、白目をむいて爆笑を誘ったり、牧伸二師匠も真っ青の芸人根性全開!
このまま、時間が止まるまでブローしつづけて欲しい、頼もしいおじいちゃんを観ていると、「後期高齢者」なんて言葉が馬鹿馬鹿しく思えてくる、そんなビッグ・ジェイ・マクニーリー! 偉大なホンモノが生き続けてくださる事が何よりうれしいであります。また今回のナッソーみたいに半世紀の時を経て、正に時空をこえて生産させたTHE KINGの情熱にもトテツモナイものがある気がしてなりません。アゴが外れそうなくらいの衝撃を受けております。



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