8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.152



 楽器マニアよもやま話

みなさん、こんばんにゃ。頑固屋猫八です。
そんなことより、今回は、また楽器の話、また、っていつのことだ?って?
んなあこたあ、忘れたよ。おいちゃんはさ。ほんじゃ、いくわよ。えいっ!




楽器を趣味で売り買いして、一番得したのは、52年のエピフォンゼファーデラックスだった。かなり儲かってしまった。店の売値はわたしが買った値段の倍なのに即日で売却済。カマカのウクレレも新品で使ったのだが、マーチンのオールドを入手したので、いらないや、と売ったら儲かった。トントンだったのがギブソンの56年のLG2で、めちゃくちゃ箱鳴りするいいギターだったが、マーチンのダブルオー新品を買ったので、いらないや、と売ってしまった。損はしなかったが、これまでで一番後悔している。軽はずみすぎる。20年代のスーパートーンもトントンだった。後悔はしていない。今持っているアジア製得たいの知れないレコーディングキングのほうが本物より「らしい音」がするのだ。本物を持っていたのになんか変な理屈だが。最悪だったのが、フランスの某○カフェリコピーの高額ギターで、おおはずれだった。5年持たずにほぼ廃品同然。90年代のギブソンアコギ(L1復刻)も持っていたがはずれだった。後に26年?の本物を手に入れたが、似ても似つかない凄いものだった。ただ、2年後、トップが落ちた。コーンの30年代アルトサックスは、買ってからやってみたいものがないことに気が付いた。売ったらただ同然。サックスは難癖をつけられやすい。かれこれ、そんな軽はずみなことを繰り返してきたが、2週間ほどで一気にスクラップアンドビルドしてすっきりしている。馬鹿で軽はずみなので何をするか、人生まだまだ長いとすれば、わからない。自分で自分が信じられないのだ。

とにかく、あまりの量で思い出しきれないが 、なんといっても今思うのは、なぜ安物を大量に買い込んで弾ききれるはずもなく、ただ放置してあったのか、という後悔だ。そんな金があったら貯金するとか、高くても納得のいくものを買ってそれだけにすればよほど効率的だったはず、ということだ。
しかし、である。あれこれ目移りする浮気症軽はずみ親父にもひとつだけ良い点がある。それは、経験値、ってやつだ。いろいろなことを実際に知っている。人は失敗の山からしか本質を学べない。
そんな屁理屈で自己欺瞞をしてヘラヘラする57歳である。
で、最初の「高いギター」は、実はバブル当時28万(現在はもう少し安い)のギブソンL-50で、1953年製であり、もともと庶民的な廉価版だったモデル。買った時点ですでに相当ボロかった。当時からずっと現在まで持っている楽器は、これとホーナーのアコーディオン、コロナ2Fモデルだけだ。ギターというのは観てるだけで楽しいのだが、このギブソンははじめて手にしたときの感激が忘れられない思い入れでずっと持っている。特に音がどうの、とか、ギブソンだから、とか、関係ない。思い入れというのは大事なもので、そういう意味では、ウイリー・ネルソンの有名なギター「トリガー」とか、バラバラになったのをつなぎ合わせても使い続けたビル・モンロウのマンドリン、ギブソンF5とか、とても気持ちがよくわかる。特に長年たつと、ますますボロっちくなっても、そのボロさがしみじみと良い。俺とともに歳をとったんだな、と改めて眺めてしまった。

    

ギブソンのアーチトップL-50を長年いじっているとわかることがある。ギブソンの古いアーチドトップギターはかなり広く誤解されていると思う。今日の基準からすると「明らかにふさわしくない(主に弾き語り)」音色の風変わりな「バイオリン型ギター」は、当時は大変な革新で、フラットトップギターとは力学構造が違うために、トップ板の振動方向が上下のみであるため、微妙な倍音の出方がないシンプルなものになったが、その代わり、耐久性という点ではとんでもなく頑丈なものになった。フラットトップとは逆に、ボディを圧縮する方向に力が働くネック角度とそのためのアーチ型トップ構造になっているので、太い弦を張りっぱなしでもネックが倒れたり順反りしたり、ボディが浮き上がったりしない。おまけにブリッジ高が換えられるので、調整がきわめて容易な、メンテフリーに近い代物が出来上がった。さらに、現代では異質な感じがする音色も当時はまったく不自然なものではなかった。ギターは北米アンサンブルではマイナーな楽器に近く、当時(20年代)一番の流行はバンジョーだった。流行の最先端だったジャズバンドのリズムセクションはテナーバンジョーで、その代用として、アーチドトップの、あまり音の伸びない、チョップパワーが持ち味の音色は全く違和感のないものだったはずである。よく楽器店の売り文句は「ブルースらしい枯れた音色の」と書かれているが、そのために作られたわけもなく、当時のブルースマンがよく使っていたのはフラットトップのほうで、明らかに誤解を生む表現である。しかしながら、そうでも言わない限り、今の購買層は、たぶん、知らない、のではないかと思う。表現のしようがないので、なんとなく通じそうな(内田さんが有名だから?)ブルース、ということにしておこう、くらいのことなのかもしれない。



バンジョーが白人の楽器ではなく、アフリカ起源なのはよく知られた話だが、そのバンジョーが最も活躍する音楽がジャズとブルーグラスなのも偶然ではない。特にケンタッキー生まれのブルーグラスはガチガチの南部白人音楽という一般的な認識とは違い、本来、ブルースの影響が色濃い。始祖であるビルモンロウを聴けばすぐに判る。アイルランド起源のアパラチアバラッドとブルースと名がつく歌が半々で出てくる、と思えばわかりやすい。モンロウのマンドリンもヨーロッパ起源のフィドル奏法よりブルーノート型のプレイが非常に多い。
後のエルビス・プレスリーとカールパーキンスがモンロウを踏まえてロカビリーの基礎を作ったのも偶然ではない。ブルーグラスはもともとが混血音楽なのだから。モンロウはひろくロックルーツの最も重要なアーティストとされているのは、そのためである。
ブルーグラスは黒人音楽を白人が利用したり盗んだ歴史もない。黒人たちと同じ境遇の白人の作り出した音楽という点でも、ロック音楽の祖先。カールパーキンスが、ジョンリーフッカーをビルモンロウスタイルでやっていたらそれがロカビリーと呼ばれるようになったと言っていたが本当はジミーロジャース、さらにもっと遡ってエメットミラーにたどり着く。バンジョーひとつとっても、文化をそもそも白黒別けて考えること自体がはじめから間違いであることがよくわかるのだ。

ちょっと話がマニアックだったかな?んなこたあ、おいちゃんは知らないよ。んじゃ!



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