8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.148


「エルビス・プレスリー」という才能

 さて、みなさま、長々とおつきあいいただきました、「頑固8鉄」コーナーも、とうとう(とりあえずの)最終回を迎えます。

思い返せば、ドゥーワップの記事からスタートしたこのコーナー。当時は、実際にドゥーワップのグループで活動しており、いろいろと調べ物をしながら、そのついでに記事を書く、というのが日課になっておりました。自分でもたいへんにいい勉強になったと思います。
そのグループも10年を経て、諸般の事情から活動停止となり、近年は、もともとの古巣であるテックスメックス・アコーディオン奏者に戻って活動中であります。
というわけで、この歳で再びほこりまみれのテキサス・メキシカン・カウボーイになってしまったので、今後、なかなか戻れそうな感じもせず、フィフティーズ、ロカビリー、オールディーズといったTHE KINGのコンセプトからあまりに離れていく一方なので、ここは、いずれ現れる?ロカビリーライターにその座を譲るべく、引退を決意いたしました。ま、ぶっちゃけ、ネタがもう思いつかないんですわ。そろそろ勘弁してー、ってところでしょうか。
で、最終回に何を書こうか?と思ったのですが、エルビス・プレスリー本人について、何も書いていないことに気が付きました。(今頃?)
サム・フィリップス、スコティ・ムアといった周囲の人々はとりあげましたが、プレスリーについては、周囲にいくらでも詳しい方がおられるので、たいした知識もないわたしがなにかを書くというのもおかしいし・・ということもありました。



もちろん、「講釈師、観てきたような嘘をつき」というとおり、なにを書いても、所詮はどこかにリソース(現在はwikiという協力な武器があります)があるもので、それ以上の知識というのは、よほどのマニアでもないと、なかなかゲットできるものでもない。また、もう何十年もずっとファンだ、ということでないと、知識の集積も出来ない、というわけです。
ですから、ここはひとつ、手短に、恥を忍んで、何も調べず、どこからも孫引きせず、そして、場を意識して、変に神様扱いすることもせず、極東の島国に住む54歳の汚いおっさんひとりが、がなんとなく思うエルビス像、というくらいのつもりで書きますから、そのつもりで読んでいただければ、と思います。あ、エルビス象じゃないですよ、そんな象はどこにもいません。象はアフリカ象とインド・・以下略

実際のエルビス、っていう人、というか、アメリカンポップ音楽のアイコンとしてのエルビスってのは、たぶん、今でも確固たる存在として生き続けているのでしょう。最も巨額の収入をもたらす物故者、としてはたぶん一位のままだったはずです。それくらいすごい。
で、わたしというちっぽけな島国のアマチュア音楽家のおっさんから観たエルビスというのは、ぶっちゃけて言ってしまうと「出来過ぎくん」なんだと思います。
以前も書きましたが、ロック時代以前のアメリカの音楽というのは、戦前までは特にそうですが、ティン・パン・アレイと言われる、楽譜出版の時代でした。作詞作曲者が楽譜を売っていた。それをどっかのプロデューサーがとりあげて、アレンジして、誰かそこそこ実力のある歌手に歌わせる、っていう手法で音楽産業が出来ていたのです。だから今でもそうですが、印税というのは、作詞作曲者が多くを手にし、歌ったり演奏したりした「アーティスト印税」というのは、微々たるパーセンテージに過ぎません。器楽奏者になると、もう、その場で雀の涙みたいな日雇いのギャラでこき使われてました。そんなものです。



そうした「主流の音楽」とは別に、金には全然ならないけれども、労働者の日々の暮らしをつづって歌にした田舎のブルース音楽やイギリス民謡の伝統を継ぐブルーグラス音楽、ローカルなコミュニティのダンス音楽であるテックスメックスなど、地域地域で異なる草の根の音楽、いわゆるルーツ音楽が各地に存在していました。
アメリカというのは、なにしろ、広大です。日本とはまったく感覚が異なります。音楽というのが、その土地からにじみ出てくるようなものだとすれば、広大なアメリカには各地各地で住んでいる人種や文化など様々な要素がからみあって、ケイジャンであるとか、テックスメックス・コンフントであるとか、ネイティブアメリカンの音楽であるとか、日本では決して生まれない音楽、日本人が知らない音楽がたくさんあり、また、いまでもたくさん出現し、伝統として脈々と存在しているのです。
アメリカの主流音楽、音楽学校などで特別な訓練を受けた作詞作曲職人たちが作るものが、大きく変化する潮目となったのが、1950年代のロック音楽であったといっていいと思います。ブルースやカントリー、ジャズといった、あまり大きな商売にはならなかったルーツ音楽が、売れるようになり、ある意味、主流を追い越してしまった。簡単に言うとそういう動きです。ところがすぐに、ルーツ音楽が主流に「うまいこと利用されるようになった」のもロックの真実であります。金がもうけられるようになった。それはいいことなのですが、多くの本物のルーツ音楽の音楽家たちは、相変わらず貧困生活から抜け出ることはできなかった、という点は見逃してはいけません。まがい物、ルーツ音楽から勝手に借用した金儲け用のでっちあげ音楽のほうが比較的儲かった、と言う時代が50年代だったといってもいいのです。
当初のロック音楽は、田舎のローカルなダンス・バンド、ビル・ヘイリーと彼のコメッツが世界的スターになったところから、ロック音楽の歴史はスタートしましたが、それ以前から、ビッグ・ジョー・ターナーであるとか、ビッグ・ジェイ・マクニーリーであるとか、アーサー・クルーダップであるとか、ファッツ・ドミノ、エラ・メイ・モールス、数え切れないほどのドゥーワップ・グループ・・・そういった「ロック前夜のアンサングヒーロー(埋もれたヒーロー)」が山ほどいるということをわすれてはいけません。そういった、いわば、ルーツ音楽の先駆者たちの上にたって、現れた決定的影響力を持った人物がエルビス・プレスリーという若者だったのだろうと思います。
彼には、そうしたカリスマが備わっていました。間違いなく生まれながらの才能です。びっくりするほどセクシーで、イケメンで、歌がうまく、ダンスの才能も抜群・・・間違いなく、スターになるべくしてなった男。まさに出来過ぎくん。
普通は、あまりに出来過ぎだと、逆に人気が出ないものです。人には嫉妬心があり、ひとりですべての人気を独占してしまう人間は、いつか人が離れていってしまいます。ところが、エルビスはそうはなりませんでした。たぶん、理由は2つです。ひとつは、極貧家庭の出であること(アメリカンドリームの体現者は常に人気を保持します)、もうひとつは、本来のルーツ音楽(ブルースやカントリー)をしっかり踏まえた、作り物ではない、地に足のついた本物の音楽性をしっかり持っていたことです。あえて、もうひとつ言えば、万人に好かれる人柄の良さももっていた、ということも言えるのだろうと思います。
ただし、有名になってすぐ、もともと泥臭いルーツ音楽が商売になることに気がついたアメリカ音楽の「主流の人々」が、うまいこと、金になるようにイメージ操作をしたせいで、ハリウッドに進出させられ、「うまいこと金儲けに利用されてしまった」最初のロックスターでもあった、というのが私の持っているエルビス観の根幹です。



さて、偉そうにエルビスを取り巻いていた周囲の話ばかり私見で書いてしまいましたが、そんなことを全部無視しても、エルビスの才能が非常に特殊であったことは一目瞭然です。容姿だとか声だとか音楽性だとか、そんなもの分けて考えられるわけがありません。ひとりの人物として、エルビスは、後にも先にも出ないだろう、極めて優れた才能の塊であったということだけは決して揺るがないでしょう。
誰も決してエルビスになることは出来ません。だから、イミテイターはたくさんいますが、エルビスのイミテイターは基本的に「あくまでイミテーション」であることをわざわざ強調しています。どんなにイケメンでも、どんなに歌唱力があっても、どんなにリズム感がすごくても、絶対に誰もエルビスにはなれません。それくらいの個性を持っていました。
しかし、エルビスの魔力に取り憑かれてしまった人は世界中に数え切れないくらいいます。そうした人々の心の中にエルビスはいつまでも生き続けることでしょう。

エルビスをメイン・コンセプトとしたファッションブランドとして、世界一であるTHE KINGもまた、多くのエルビスファンとともに、生き続けていくだろうと思います。
THE KING forever!!

ということで、ひとまず、筆を(ホントはキイボードだけど・・)を置くことといたします。
みなさま、長年読んでくださって、誠にありがとうございました。


2015年 頑固8鉄


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