8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.143


ノスタルジックに作られた「アメリカン・グラフィティ」の風景

みなさん、こんばんは。水野晴郎です。
やー、映画って、本当にくだらないですね!
なんか、違うな・・まあ、いいや。今日は、ちょっとみなさんが大好きな映画っぽい「アメグラ」の解説をしてみます。なお、わたしも大好きな映画ですが、独自の解釈なので、ぜんぜんちげえよ!と思っても間違ってません!いろんなとらえ方が出来る名作だと思います。
さて、1973年にジョージ・ルーカスという新米監督(のちにスター・ウォーズで大監督となる)が低予算で作成し、思いがけぬ大ヒット、そして後に歴史的名作となった映画、「アメリカン・グラフィティ」は、全編通して、1950年代アメリカのヒットソングが使われ、この映画をきっかけに、50年代ロックのファンになった人もたくさんいるようです。(サントラはいまだに大量に売れ続けているそうです。スーパーロングランヒットといえるでしょう。)
この映画、舞台は1962年ですが、当時の音楽だけでなく、映像上で1950年代〜60年代初頭の風俗、文化を再現している。スリラーでも戦争映画でもない、ちょっとほろ苦い(後のベトナム戦争がからんでくる)結末を伴っているけれども、おそらく、アメリカ人でなくても、共感出来る、卒業間際の高校生たちの1夜の出来事を楽しく描いた群像青春映画であるために、ごく普通の田舎街の街並がノスタルジックな風景として描かれているのです。

リアルタイムである50年代前後、非常に流行った映画群では、こうした風景の描き方はあまりされませんでした。実際の50年代は米ソ冷戦の最中の不安の時代で、たくさん作られたB級映画は、そういった世相を反映した、暗いホラーやSFが主流でした。田舎街が舞台だと、おそらく、もっと鄙びた片田舎らしい、あまり明るさがない、おどろおどろしい田舎として描かれているのが普通(ボディ・スナッチャー、サイコなど)だし、都会を舞台にしたものだと、もっと大都会の暗黒部分やハリウッドのきらびやかさを全面に出したもの)(雨に唄えば、裏窓など)が多かったと思います。それが、50年代当時の社会の実相、「経済的に豊かなアメリカ、強いアメリカ、しかし、冷戦下で不安な時代」というのを表現するのに合っていました。
だから、アメグラのノスタルジックな50年代風景、というのは、ベトナム戦争後になってから、ある意味、わざわざノスタルジックなように、意識して描かれた風景だったと思います。70年代に、ベトナムでさんざん苦渋を嘗めて疲れ切ったアメリカ人が、「ああ、あの頃はよかったなあ」と心から思えるつかの間の幸せな時代を映画で見せてくれた、それがアメグラの世界なのでしょう。
なんの変哲もない、ダイナーやモーテルやストリートといった風景を、わざわざノスタルジックな香りを漂わせて見せた夢の世界なんだろうと。それは、日本でいえば、昭和30年代が舞台の「3丁目の夕日」の映画版のようなもので、建物や通りや路地といったセットが、史実に忠実ではあっても、本当に昭和30年代の映画に描かれた風景とは描き方が違うのです。昭和30年代の映画で描かれた東京の路地は、薄汚れた貧困と犯罪の温床の背景(例えば、黒澤明の「のら犬」)でした。しかし3丁目の夕日で描かれた路地裏は、暖かみのある駄菓子屋や庶民的な飲み屋が並び、泣かせるストーリーとあいまって、当時の街の風景を知るわたくしのような世代の人間には、心に響く懐かしさを感じさせるうまい描き方でした。それと同じです。

さて、1950年代といってすぐに連想する、政治や経済、といったこととは関係ない、アメリカの風景の代表が「アメリカン・ダイナー」だったり、「モーテル」だったり、「ドライブ・イン・シアター」だったりするのは、アメグラのせいではないか、と思っています。それくらい影響力のある映画だった。
なぜかというと、現実には、ダイナーやモーテルはもっと旧い時代からあり、現在でもいくらでもあるものだからです。なにも、1950年代特有のものではありません。デザインはそれぞれ時代によって異なりますが、基本的には同じです。
ダイナーの起源は、掘っ立て小屋、です。掘っ立て小屋というのは、読んで字のごとし、土をシャベルで掘って穴を開け、そこに材木の柱を建てて作った小屋だから、掘っ立て、というのです。基石がありませんから、いつぶったおれてもおかしくないが、オオカミから身を守るくらいの役目は果たす、くらいのものでした。これが20世紀のプレハブ建築の考え方の基礎になります。一方、19世紀末に、馬車で暖かいサンドイッチやスープを売って歩くワゴン屋台が登場し、流行しました。このふたつの流れが合わさって、馬車屋台が廃車になった汽車の食堂車の再利用となり、トレイラーハウスとなり、掘っ立て小屋起源のプレハブ建築(基礎を持たない、工場で大量生産された部材を現地で組み合わせてつくる工法)となって、20世紀のダイナー産業が形成されていきました。だから、ダイナーは、基本形が、細長い、カウンター中心のウナギの寝床みたいな形(食堂車、トレイラーハウス)なのです。(現在でも旧いダイナーはニューヨークにたくさんある)。ダイナーの最大の「売り」は、なんといっても「安さ」で、工場労働者向けの手早く出来て安上がりな料理(ハンバーガー、ホットドッグ、チリ、ホットケーキなど)で、これがやがて50年代に、モーテルの発展と合体し、ドライブインになっていきます。なお、ダイナーが衰退し出したのは、70年代にファストフードチェーン(マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなど)のチェーンが取って代わりだしたころです。しかしながら、懐かしいダイナーを惜しむ声も多く、日本にも進出しているデニーズなどは、かつてのダイナー型の建物で、ダイナー食を出しているのです。

モーテルというのは、日本にはほとんどなく、国道や県道沿いにあるラブホテルみたいな印象がありますが、本来のモーテルは、自動車で長距離を移動するアメリカならではの施設であり、いわば、駐車場に簡単な宿泊所がくっついたようなものでした。ホテルと違って、駐車場から個々の部屋に出入りするドアがついていて、ホテルのように正面口というのがありません。モーテルという言葉自体が、モータリゼイション(自動車社会)とホテルをくっつけて作られた言葉なのです。基本的にセルフサービスなので、安価であり、食事の場を供するために、モーテル経営者は、駐車場のすぐとなりに小さなダイナーを設けるようになりました。ドライブインというのがこうやって形成されていったわけですね。

アメグラに出てくる「メルズ」は、映画製作当時は廃業していたため、撮影のためだけに再開し、撮影後すぐに取り壊されたそうですが、あのドライブインは確かにいかにも50年代らしい建造物です。デザイン的にはミッドセンチュリーモダーンの影響を受けたもっとキッチなもので、いかにも安上がりに出来ているのがわかります。
ダイナー、モーテル、というのは、いわば、「安さ」の象徴であって、「豊かなアメリカ」の象徴ではありません。賃金の安い労働者階級のためのものです。あとは、金はないけど生意気盛りのティーンネイジャーのものでした。そこが、まさに「ロックンロール文化」と被る部分なんですね。50年代リアルタイムのロックのテーマ性は、映画では、「暴力教室」のような、非行という問題を真面目に扱った社会派映画だったり、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」といった、内容のほんんどない、立身出世ハリウッド万歳映画か、そんなものだったはずです。50年代アメリカ映画の主流であるハリウッドの映画は、そういったサブカルチャーとはほとんど関係がない、歴史物だったり、ポリティカルスリラーだったり、ラブストーリーだったり、第二次大戦後の豊かさと同時にベトナム戦争前の不安を描いた「大人なもの」(ベン・ハー、慕情、北北西に進路をとれ、などなど)でありました。あとは、独立系映画会社の漫画みたいな低予算の子供だましなSFやホラーが山ほど作られた時代です。アメリカ人にとって、50年代は朝鮮戦争はあったものの、比較的平穏だった10年間なのです。

そういう意味では、アメグラは、50年代の風俗を、「楽しかったあの頃」という調子で描き、大ヒットするとともに、同時代を生きていなかった世代に、エキゾチックでロマンティックな、いわば、作られたイメージを与えるきっかけになった映画だったと言えると思います。
映画の結末部分が、少しほろ苦い味を感じさせてくれるところがまた素晴らしいところで、この舞台設定(1962年)のすぐ後、現実のアメリカを襲った悲劇である、ベトナム戦争の前夜のつかの間の平和、楽しい思い出の日々として描かれたものであることがわかる仕組みになっています。年中戦争をしているアメリカ人にとっては、ちょうどこのころの時代が、最も、豊か(ある意味バブル)で、第二次大戦とベトナム戦争の間に訪れたつかの間の楽しい時代、その象徴が当時のロックンロール音楽とあの風景だったのだ、と思います。


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