8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.129


カントリー・ミュージックってなんだ?(第2回 対談編)


えー。しつこい。しつこいんですが、わたくし、前回言いましたように、カントリーをよく知らないんです。だもんで、SNS上で、関連する書き込みをしたら、カントリーに詳しい旧い友達(仮名:リンゴ飴)が面白いことを教えてくれた。というわけで、
今回は、前回に続き、「カントリーってなんだべ?朝まで生クリーム食べたらデブになる!」・・もとへ、「カントリー音楽ってなんだ?対談編」をおおくりきんとん。。。いや、お送りします!(甘党か!

8鉄
かつて、わたしの昭和一桁生まれの親父がね、「おい、おまえは若い戦後生まれのあんぽんたんだから、アメリカのロックだのカントリー音楽だのが好きなんだろうが、歳がいくとな、おらあ日本人だなあ、って思うようになるんだぞ。」とよく言っていましたけど、確かにそうなってきてるな、とよく思うんですよ。

リンゴ飴
今のカントリー、面白いですよ。ただ歌詞の意味が重要なので英語の分かる人に教えてもらわなければならない…ネイティブのアメリカ人でも南部の文化を知らない人だった場合、意味がわからなかったりしますね。日本語でも詩の文句は難しいですもんね。8鉄さんが日本人だなあと思うことが増えてくるというのすごくわかります。日本でカントリーが流行ることはないと思いますが、なかなか味わい深い音楽でもあります。最近ではKacey Musgravesがお勧め。中西部の鬱屈した生活や悲しさをこの若さでよく書けるなあと思います。
Kacey Musgraves
https://www.youtube.com/watch?v=GZfj2Ir3GgQ

8鉄
わかります。でも、そうやって、「文化論の勉強しないとわからない音楽」を聴いたり演奏したりする、というところで、すでに不自然じゃないかという気がしてきてます。そこが「若いころと違ってくる一番のポイント」かなあと。
ところで、カントリーに限らない話をしますが、私は、なんとなく、根拠はないが、感触として、2種類の音楽があるんじゃないか?と考えてます。
ひとつは、普遍性の極めて高い音楽(インターナショナル)で、もうひとつは地域性の極めて高い音楽(リージョナル)があるんじゃないかしら。
イメージしやすいインターナショナルな例としては、クラシックとジャズとロックがある。(ジャンルではなくて、メタ音楽、だと思う)
マレーシアの人がベニー・グッドマン演奏しても、アフリカの人が、バッハ演奏しても、日本語でロックをシャウトしても別に違和感を感じません。
もっと普遍的なのは、世界ヒットになるようなポップス。
でも、「日本の演歌をカラオケでがなるのがアメリカ本土で大流行!」とかいうことになったら、思わずはあ?...?と笑う気がする。カントリーはそっちだな、と思います。リージョナルな音楽っていうのがあるとするとそれだろうと。違和感あるよね、絶対。なんでレッドネックの生活感覚もないのに??ってアメリカ人は思うような気がする。だから、日本で流行したことはないし、これからもない、と言われているのだろうと思う。
また、むしろ、地域が狭すぎる民謡(津軽三味線でもブルーグラスバンジョーでも)のほうが逆にインターナショナル色が強いこともある。
アメリカのボブ・ブロズマンが三味線を真剣に弾いているのを観ると、「すげえな!」と思うでしょ?
1830年ころにチェコから始まったポルカは、世界中で演奏されてるが不思議だと思う人はいないでしょ?
そういう意味で、カントリーはすごくリージョナルな音楽なんだな、と考えてます。



リンゴのど飴
完全に同じ意見です。テイラー・スイフトがカントリーのテイストを持ったまま全世界で支持されていたりするのは8鉄さんのおっしゃるポップヒットの一種なんでしょうね。ただ宗教や政治から無縁な日本のカントリーファンが政治的に干されていたディキシー・チックスを窮地から救ったり…日本にあるアメリカ文化というのも面白い分野として研究対象になっているようですね。

8鉄
ルイジアナの州歌になっている「ユー・アー・マイ・サンシャイン」って、日本でもきわめて有名なポピュラーソングだけど、ジミー・デイヴィスっていう、カントリーシンガーが書いたんだよね。これが当たって、もともと政治畑が本職だった彼はこれをプロパガンダソングとして、「歌えば悪い人はいなくなる」(冗談じゃなく真剣にそう思っていた)と選挙に勝ち、州知事になった。(三井徹教授の「ユー・アー・マイ・サンシャイン物語」の骨子)これって、初期の典型的な、政治利用だけど、50年代以降はどんどん過激になっていって、まるで共和党の信者ソングみたいになってしまったと認識してます。はっきり言っちゃうと「ウヨクさんたちの音楽」でしょ?星条旗の服着てるミュージシャンなんてカントリー以外考えられないじゃない?そういうイメージをもともと持っているので、どうしても、特に「日本のカントリー界」には違和感を持ちまくってます。極東のはずれのはずれの地図からおっこっちゃうようなところの島国が「アメリカよ永遠なれ!!」って歌ってるって、なんか変じゃない?それは世相とも相当ずれている。アメリカを代表する音楽、ってよく言うけど、違う。アメリカを代表するのは本当はジャズだ。カントリーはアメリカのアングロサクソンの特定の層の音楽だと思うのね。
カントリー音楽って、古くから人種構造や政治ととても密接な関係にある。だから、その環境の中にいない日本人には、「メロディが綺麗、リズムが素敵な気がする」程度の理解しか少なくとも出来ないはずで、本当の理解はできなくて当たり前じゃないのかと思います。



リンゴ追分
カントリーの世界にも政治的には色々あるようですが、宗教的にはバプテストか長老派。ここのハードルが高いですね。
ペダルスティール(8鉄注:例の機織り機みたいなヘンテコな楽器)を弾くようになって少しずつアメリカ人の友人もでき彼らの家に泊めてもらったりすると、ああここは宗教の街だと思い知らされます。
ナッシュビルしかりダラス、フォートワース、アビリーン、セントルイス。中身を知らない日本人ファンはファッションだけなので、すぐにカントリーを聴くのを辞めるか4WD の車を乗り回してカントリーをBGMにしか使いません。まあその人達は無視しておいてよろしい。
しかし、無理をして不自然な音楽へのアプローチを持ってしても心惹かれる部分がカントリーにあるのは事実だと思います。
ブラット・ペイズリーが東北の震災のときオバマ大統領に日本の復興支援を直訴してくれたのは、日本に心からの理解者がいてくれることを彼が理解していてくれたからだと思います。8鉄さんのおっしゃる通り無理を重ねてカントリーファンを続けるのはしんどいことだし、まわりの友人からは完全な変人扱いしかされません。でも、8鉄さんのテックスメックス、メキシコ音楽への愛も共通項が多いと思います。
一方で、ロックファンの歌詞への無理解と日本のヒップホップDJ文化。彼らこそ根なし草の苦悩が感じられます。日本ではサーフィン文化と結びついたレゲエの方が深く理解されている。最近私は日本の若手のアコースティックライブによく出かけますが、ピンと来ないことが多い。地べた這いずり回るような生活感がないからですよね。それでも衰退していく日本の中でサウンド面でなくブルースやカントリーの生活感音楽は復活してくるような気もします。

8鉄:
ロックの話はキリがないので、また。一つだけ言うと、一時期のメインストリームのロック音楽は、本当に政治的でしたね。ヒッピー文化のころ、60年代後半かな。ボブ・ディランはフォークからロックへいったけど、モロにそうでしょ?後期のビートルズも。あれ、好きだっていう日本のファンたくさんいるけど、本当にわかってんのかな?と若いことから思ってましたね。
ところで、また話が本題からはそれるのだけど、「インターナショナルな音楽」の話をすると、面白い例として、1960年代にEMIとRCAがとった「世界ヒット戦略」というのがあったのね。これは、単純だけれど、手間暇がかかるアイデアで、「まず、アメリカ国内で大きなポップヒット(注:R&Bチャート、でも、カントリーチャートでもなく、「ポップヒット」だというところが肝心。当時はチャートが綺麗に3分割されていた)が出たら、その曲を同じ歌手に、多国語で歌わせて、現地で売る」というものだった。
おそらく、最も有名な例は、コニー・フランシスとニール・セダカで、フランシスの「ヴァケイション」なんて、主要な言語はほとんどカバーしていたと思う。どのヒット曲も、各国語バージョンが何十もあるんです。そして、実際、売れた。
だからこそ、今でも世界中に知られているんですよね。コニー・フランシスは、日本語でも歌っているけれど、日本人が唄っているのとまったく変わらないくらい上手にこなしている。どこの言葉でも自在に唄える天才的な才能の持ち主でした。だから、歌手として、不当に過小評価されていると思う。
「インターナショナルな音楽」は、こうして、わざわざ企業戦略で作られることもあるという例です。



昔、音楽は小さな地域で発生したものが、移民に伴って各地に広がり、変化しながらインターナショナル化した、というのが普通だったと思うのね。でも、戦後は、こうした人為戦略のもとに行われてきたと思います。必死で企業戦略で、世界制覇を狙っていた。
ところが、おもしろいのは、tubeでなんでも観られたり、MP3ですぐに落とせるという、「情報が全世界で同時に共有されるのが当たり前」みたいな、現代社会になってみたら、相変わらず、ほとんどの音楽がやっぱり「リージョナル」な点ですよ。
今だって、昔言ったところの「洋楽ファン」でないと、海外の音楽追いかけたりしませんよね。周りがそういう人ばかりな中で生きてくるとそれが当たり前みたいな気がしてきますが、ぜんぜんそうではない。
洋楽、なんて関心ない、普通の高校の同級生だの家族親戚だのを観ていると、ちゃんと「日本の流行歌」(テレビで流れるようなもの)を聴いていて、「外国の音楽なんて聴いたってわかんないもん」、って言いますよ。
それがホントは普通です、ってことです。洋楽ファンって、実は、多かれ少なかれみんなマニアなんですよね。

リンゴちゃん
日本でカントリーを長く聞いている人のほとんどがいわゆるインテリ層であることがアメリカの研究者を最初驚かせるようです。本国ではまず知識階級に相手にされない音楽だから。でも少し考えれば母国語でない音楽の歌詞や文化をわざわざ理解しながら聴いてくれる日本のファンはどうしても学級肌のマニアになるわけで。そこは、8鉄さんの考えてらっしゃることがとても的を得ていると思います。

というわけで、ちょっと理屈っぽい話だったかな?リンゴマンはどうだったかな?あれ?リンゴ・・まあ、いいや。そういうわけで、また次回!!じゃね!





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