8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.117
                                                                                       
         
                   音楽家の名言10選
  はてさて、みなさん、こにゃにゃちは!(古 
○ンコ8鉄です。おげんこ?
8鉄おじさんことわたくしも、ずいぶん永いこと妖怪やってると、いろいろ音楽活動をしたりしなかったりしなちくだったりちくわだったりするのですよ。
そんな中で、激しい特訓でめげそうになることもあったし、挫折して、海に向かってバッカヤロー!おまえのかあちゃんデベソー!なんて叫んだ青春の思い出なんてのもあるんです。もちろん嘘っ8鉄ですけど!
で、つらつら思うに、やはり、音楽史に残る偉人、尊敬している大先生(と勝手にわたくしが思っている人)がいて、その人の言葉、っていうのを信じてやってきたという面も確かにあるわけです。たぶん、メイビー、プロバブリィ。
今回、みなさんにご紹介するのは、そんな偉人たちのありがたいお言葉。深淵なものから、くすっとするもの、ほっとするものまで、10選にしぼってお送りします。

第1位
「バンドで大切なことがなにかわかるかね?実は音楽なんかじゃないんだよ。一番大切なのは、人間というものを学ぶことなんだ。」
(ウイリアム"カウント"ベイシー)
教訓:
音楽は、いわば「人生の薬味」である。薬味ばかり探求しても料理は出来ない。大切なのは「料理」(人生)であって薬味(音楽)ではない。
・・・とわたくし、解釈しております。実際のところ、音楽ってどうでもいいものでしょ?
なくても誰も困らない。そんなことは実は実人生においては、まことに些細な「おまけ」みたいなものなんですよ。でも、人生は人間関係によってずいぶんと変わってしまいます。だから、音楽が好きなら、その音楽を演じる「人」にこそ注目すべき。その人から、「生き方」だの「考え方」だのを学ぶ、すなわち、音楽を通して「人間についての勉強をする」ということこそが大切なのだ、とベイシー大先生は言っておられる。特に、一緒に音楽をやるのだったら、連携プレーをし、一丸となって助け合わないと音楽が成り立たない。そのために人間関係を円滑に保つ知恵やリーダーシップも必要だ、バンドだからって特殊じゃない、普通の会社や近所つきあいと同じなんだ、ってことも含んでいる。
それは、彼自身が、そのように師匠から教わったことだからです。そうやって、音楽は時代を超えて伝えられていくもんなんですね。

 ※ウィリアム・"カウント"・ベイシー(William "Count" Basie、1904年8月21日 - 1984年4月26日)は、アメリカのジャズピアノ奏者、バンドリーダー。グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグバンドの代表奏者に挙げられる。

第2位
「ジャズの極意は、バレエと同じ。難しいステップを踏むことじゃなく、簡単なステップを、いかに優雅に踏んでみせるかにある。」
(レスター"プレズ"ヤング)
教訓:
わざわざ難しい目標を設定し、それをクリアしなくてはいけないのは、競技の世界だが、音楽は競技ではない。
そうなんですよ、音楽は競技じゃないんです。日本はなぜかなんでも競技にしたがる傾向があって、高校のブラバンだのクラシック奏者の選抜戦だの、とにかく、勝った負けた、勝ち残らないといけない、という風な具合に考えるクセがついちゃってる。すると、アマチュアでも、ちょっと凝ってくると「やっぱ、北軍には負けられねえ!」とか「紅組にはぜーってえ勝っちゃるど!」とか思うんだね。そうすると、テクニック競争になりがち。「どーでえ!!おまいら、こんなムズイことできねえだろ!すげえだろ!!へっへっへーんだっ!」とか子供の喧嘩みたいなことになる。じつは、スポーツ界ってこれが当たり前ですよね。楽しいラジオたいそう、じゃなくて、見世物としてのスポーツって全部「競技」じゃないですか。実は、ジャズにもそういう「競技化」した時期がある。ジャズの全盛期、ミュージシャンは金取りが良かった。そのころ、流行ったジャム・セッションっていうのは、もともと、腕のたつプレイヤーが、中途半端なやつを追い出すために仕組んだ「競技」なんですよね。でも、それってホントの「音楽」じゃないし、単に相手を蹴落とすための方便に過ぎない。難しいことをやればやるほど、フツーのファンにはさっぱりわからない音楽になっていく。そうやってジャズは複雑化しすぎて、客を失って、滅びていった音楽だと思います。今のジャズはクラシックと同じで、完全に「音楽エリートのための音楽」「アカデミズムの音楽」になってしまっている。これは、本来の楽しいジャズの世界とはまったく無縁です。ヤングは、ジャム・セッションで「無敵」と言われた人物ですが、そうしたことを早くから見抜いていた。「初心を忘れず。本当にみなが楽しめる音楽をやろうぜ。」という、これは素晴らしい名言だと思います。

 レスター・ウィリス・ヤング(Lester Willis Young、1909年8月27日 - 1959年3月15日)はテナーサックス奏者であり、クラリネット奏者でもある。チャーリー・パーカーらのような偉大なミュージシャンたちから目標とされたジャズの演奏家。
歌手のビリー・ホリデイがテナーサックス奏者のプレジデント(代表)という意味でつけた、プレズ(Prez)の愛称で親しまれる。

第3位
「私が歌うとき、私はその歌の中に生きている。」
(リディア・メンドーサ)
教訓:
「ソウルフル」というのは、見せかけでも技術でもなく、「感じる力」である。
これは相当深い言葉です。実際に言っている場面がフィルムとして残っていて、自宅のキッチンでトルティーヤを作る合間に、まるで主婦の独り言みたいになにげなくしゃべっているのですが、なにしろ、この人、「人間国宝」ですから。アメリカのスミソニアン博物館のフォークウェイズ・ナショナル・ヘリテージ・アウォードっていうのがあるんですが、これって日本の「人間国宝」をまねて作られた賞です。
リディアは、1920年代、子供のころから、専業ミュージシャン(メンドーサ・ファミリー)として活動した人で、「アメリカ合衆国におけるヒスパニック系アメリカ人最初のスター」として知られる人です。この言葉と似たようなことを言った人に、60年代のソウル歌手、ティミ・ユーロがいます。ここでも、音楽は技術は問題ではない(というより、技術があるのは当たり前である)ということが前提になっています。そして、その技術をホンモノの音楽に昇華させるのは、「心」である、ということ。フィーリング、という言葉を使っています。言葉でも音楽理論でもなくて、感じたことを音で表現するのが音楽なのだ、という、当たり前なのに、普通の人にはなかなか出来ないことを言っている。それが本当に多くの人々の「心」をとらえる音楽に出来る人だから、「人間国宝」だとも言える。音楽は実は簡単なことなのに、それで人の心を動かせるのは、相当すごい人で、結構難しいということが言えると思います。

 ※リディア・メンドーサ(Lydia Mendoza  1916年5月21日 - 2007年12月20日)は、アメリカのギタリスト、歌手。アメリカ合衆国初の、ヒスパニック系音楽スターして知られる。スミソニアン・ナショナル・ヘリテージ・アウォード保持者(人間国宝)。

第4位
「今していることが楽しく出来なかったら、世界を手に入れたって、なんの意味もない。」
(サム・フィリップス)
教訓:
目的は、人生を出来るだけ楽しく生きのびることであって、富や名声はその結果、勝手についてくるかもしれないおまけみたいなものに過ぎない。
実は、エルビスが亡くなったとき、エルビスを世に出した張本人、フィリップスはインタビューを受けて、こう答えたのです。エルビスの苦悩を察していたのでしょうね。非常に才能があって、多くの人に楽しみや喜びを与えた。それは稀な才能を持った人物による素晴らしい偉業なのですが、反面、そうした大スターには、様々な、才能とは全く関係のない難題がついてまわります。マスコミの詮索や、ストーカーや、グルーピーまで、トラブルと恐怖の種はきりがない。大スターだってひとりの人間です。神じゃない。結局、あまりに強いストレスが遠因となって、わずか42歳で亡くなったエルビス。大金持ちになっても、まさに、世界を手にいれたような名声を手に入れても、生きていて楽しくなかったらなんの意味もない。フィリップスはそんな無念な悲しみを込めて言ったのだと思います。

 ※サミュエル・コーネリアス・フィリップス(1923年1月5日 - 2003年7月30日)ロックンロールの出現に重要な役割を果たしたアメリカの実業家、レコード幹部、レコードプロデューサー。サン・レコード・オーナーとして、エルビス・プレスリー、ハウリン・ウルフ、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュなどをプロデュース。

第5位
「歌は歌い継がれていく。わしは、とてもとても古い歌を載せて運ぶ乗り物だよ。」
(レオン・レッドボーン)
教訓:
音楽は基本的に、個人の創作物ではなく、伝承文化である。
「著作権法」という法律がありますが、これは、とてもアメリカ的な発想で作られた法律です。というのも、アメリカ合衆国は「著作権料」で食っている、といっていい社会システムだからです。ウインドウズからロックンロールまで、みんなそう。アメリカ政府が命をかけて取り組んでいるのは、「知的財産の使用料による外貨獲得」です。(日本は明らかに出遅れていると言われています。)
実は、以前、そのアメリカで、こんなインタビューがありました。
インタビュアー「違法ダウンロードなどで、音楽の著作物としての価値が軽んじられていることについて、どうお考えですか?」
ミュージシャン「音楽なんて、もともと、そんな価値なんかないんだから、別にいいじゃん。」
これ、答えたのが、そこらのミュージシャンじゃない。ボブ・ディランです。
もともと古くから伝わる民俗音楽は、楽譜出版が一般的になる以前は、すべて口頭伝承によるものでした。教えたから金をくれ、なんてことはなかった。そういった民俗音楽を「洗練」させ、「新しい曲」ということに仕立て上げ、「譜面」にし、売ったのが、楽譜出版という「商売」です。(現代では、CDでしょうか)
そういう意味では、音楽は20世紀になって商売に利用されただけであって、本質的には、「伝承文化」なのだから、「タダ」で当たり前なんです。
レオン・レッドボーンは、1910年から1930年くらいまでの楽曲を中心に演奏活動を続けていて、1曲もヒットがないのに、世界的に知られ、愛されている有名な歌手兼ギタリストです。インタビュー嫌いで有名な彼が、「あなたは大スターですよね?」というインタビュアーに対して、返した答えがこれでした。「わしは、スターなんかじゃない。誰でも古い歌くらい歌うだろ?」ということです。お見事というしかありません。

 ※レオン・レッドボーン(1949年8月26日生まれ)ジャズ、ブルース、ティン・パン・アレーの古典を含む20世紀初頭の音楽専門の歌手、ギタリスト。

第6位
インタビュアー 「なんで、特注で四角いギターを作ったのですか?」
ボ・ディドリー 「目立つからに決まっとろうが!!」
(ボ・ディドリー)
教訓:
深読みするのは勝手だが、たいてい真相はシンプルである。
もう、これは、読んで字のごとし。
特に、ジャズやロックのファンや専門家は、なにかすぐに、深い意図や歴史的意義を求めたがるのですが、実際に起こっていることや、歴史の一幕ってのは、ごくごくテキトーなことの積み重ねと偶然の産物であることが多いんじゃないかと思います。
他にも、ボ先生語録、には、面白いものが多い。
「緑色のバカがやってきても、俺は気にしない。そんなん、そいつの勝手なんだから、他人がとやかく言うこたあねえだろが。でも、そいつが、俺の家に泊めてくれ、と言ってきたら、ボッコボコにして、二度と来るな、とっととけえりやがれ!と言ってやるわい。」
なんて、特に好きだなあ。

 ボ・ディドリー(Bo Diddley, 本名:エラス・O・B・マクダニエル, Ellas O.B. McDaniel, 1928年12月30日 - 2008年6月2日)は、アメリカのロックンロール・シンガー、ギタリスト。ボ・ディドリー・ビートと称される強力なリズムを基調とした彼の独特のサウンドは、ブルースとロックンロールの掛け橋となり、チャック・ベリー、リトル・リチャードらとともにロックンロールの生みの親のひとりとして知られるようになった。ローリング・ストーンズやU2など、数多くのロック・ミュージシャンが彼から影響を受けている。

第7位
パーカー 「サックスやるなら、13の全てのキーのメジャーとマイナースケールをマスターすること。」
弟子「12です。」
パーカー「12?マジ?」
弟子「12です。」
パーカー「そうかもしんない。」
(チャーリー・パーカー)
教訓 :
音楽理論は知る必要ない。
パーカーはそれまでのスイングイディオムのジャズを大きく塗り替える演奏をしたことで有名なアルト・サックス奏者で、破滅型の天才と言われた人です。
当時は、ジャズマンでも理論に明るい人は少なく、パーカーが在籍した、ジェイ・マクシャンオーケストラ(有名なカウント・ベイシー・オーケストラとは兄弟分)は、ベイシーと同じく、「ヘッド・アレンジ」(譜面ではなく、バンドリーダーの指示だけで合奏すること)でした。譜面の読み書きが出来ないのは、当たり前のことだったのです。
理論の基礎となる譜面の読み書きも知らないのですから、まともな音楽は出来ないのでは?と考える考え方そのものが、そもそも、日本の、「書き物中心のクラシック音楽」を基礎においた戦後の学校における音楽教育に毒されきってしまった考え方ではないかと思います。
ベイシー大先生は、こんなことも言っています。
「音楽は、好きなようにやればいい。思った通りに。その結果がどうであれ、それがあなた自身なのだから。」好きなようにやるのに、譜面も理論もいりませんよね。
ルイ・アームストロングも譜面とは無縁の人だったし、ジャンゴ・ラインハルトにいたっては、コードすら知らなかったと言われています。すべて、「自己流」なんですよ。

 ※チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr, 、1920年8月29日 - 1955年3月12日)は、ジャズのアルトサックス奏者。モダン・ジャズの始祖(ビ・バップ・ジャズ)のひとり。

第8位
「ウクレレの一番いいところは、軽いとこ。」
(ハーブ・オオタ)
教訓:
音楽やるのに動機はなんだって構わない。
ハワイ日系人で日本語もペラペラ、とても親しみぶかい世界一のウクレレ奏者、オータサン。その飄々とした人柄は、まるで彼の音楽そのもののように暖かい、と思います。その言葉もとてもとぼけた楽しいものばかりです。オータサンは、もともと、プロのアコーディオン奏者だったのですが、子供のころから親しんだウクレレで有名になりました。なぜ、アコーディオンやめてウクレレに?という質問には、「だってアコーディオンは重いから(笑)」と答えています。
毎日、楽器を持ち運ぶプロのミュージシャンにとっては、実は、大変重要なことなのですが、聴き手からすると、あまり気がつかないポイントです。
ちなみに、わたくし、2002年から4年ほどやったバンドでは、ウクレレを弾いていまして、その前はアコーディオン奏者だったものですから、すごーーーくよくわかります、この言葉の重みが!!
今は、またアコーディオンに復帰しているのですが、重いのなんのって、捨てたくなる・・・ま、この話はこの辺で・・・。

 ※ハーブ・オオタ(1934年-)は、ハワイ出身で日系二世ハーフ(一世と二世との間に産まれた子供)の世界的なウクレレ奏者。
本名はHerbert Ichiro Ohta。OHTA-SAN(オータサン)の愛称で知られ、「ウクレレの神様」の異名を持つ。


第9位
「自分の演奏について説明が要るようなら、演奏などするべきではない。」
(ルイ・アームストロング)
教訓:
言葉で表現出来ないことを表現するのが音楽の目的である。
まあ、これは、あったり前田のクラッカーですわな。なに、前田のクラッカーを知らない?そんな人は演奏するべきではない!なんてはずはない!
でも、実際にいますよ、こういう人。私の演奏はこれこれこういうところに気をつけていて、これこれこういう風に弾いていて、こんなところが斬新でどうでえ!・・・・とか、自慢げに語ったりする人。そんな説明なんか聴くためにステージ観に行ったりするわけねえのによ。ちょっと、どーかなー、なんか、違うんじゃないかなー、とか思いますよねえ。音楽家は、ただただ演奏すりゃいいんですよ。アームストロングだって、ショーをすればたくさんおしゃべりをしますけど、全部ジョークで、音楽について語ったりしない。説明するくらいなら演奏なんてしないで講演会でもすりゃあいいわけですな。はい、おしまい。

 ※ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901年8月4日[1] - 1971年7月6日)は、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンである。
サッチモ (Satchmo) という愛称でも知られ、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人

第10位
「音楽なんて突き詰めたら駄目。楽しくなくなっちゃうだろ?飽きたなーと思ったら、辞めちゃう。で、また、やりたくなったらやりゃあいいんだ。そのほうがいいよ。」
(オーギー・メイヤーズ)
教訓:
音楽なんて商売にならないことが多いんだから、自分が楽しんでナンボ。
これも納得。さらに言うなら、やってる当人が楽しくなかったら、絶対に聴き手にそれが伝わります。ま、日本人はマゾっぽい人が多いので、自分で自分を追い込んだりいじめたりして、苦しがって楽しい、っていう・・・わー、やだなあ、おれどっちかっていうとS系なんすけど。こういう人みかけるといじめたくなっちゃいますわ、うふん。


 ※オーギー・メイヤーズ(1940年5月31日生まれ、サンアントニオ、テキサス州)アメリカのミュージシャン、シンガー、ソングライター、パフォーマー、スタジオミュージシャン、プロデューサー、レコードレーベルオーナー。サー・ダグラス・クインテットとテキサス・トルネイドウズの創設メンバー。

さて、締めは「おまけ」と決まっているんだよ、そこのおばちゃん!
番外編(おまけ):
「わかっちゃいるけど、やめられねえ。」
(植木等「スーダラ節」by 青島幸男)
教訓:
人生、そんなものである。
もはや、何も言うことはございません。ただただ、深く頷くのみであります。

 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年(昭和7年)7月17日 - 2006年(平成18年)12月20日)は、日本の作家、作詞家、タレント、俳優、放送作家、映画監督、政治家。

ところで、あなたの言った名言ありますか?こっそり教えて!
え?なに?えーっ???マジ??バッカじゃないの! とかいったりして。
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